またまた、山陰の名刹、安来の『清水寺』に行って来ました。
この時期の「清水さん」は、ここが島根の紅葉の名所でもあることから、紅
葉狩りを兼ねて参拝する人が多く、私も毎年のようにこの時期に訪れます。
モミジやイチョウ、さくら等の紅葉が、常緑樹の緑とほど良く溶け合い、中で
も森に囲まれた三重の塔は、モミジの朱を映して、美しい佇まいを見せてお
ります。
春の桜花爛漫、秋には山を染め上げる紅葉、冬、千年杉から落ちてくる積
り雪、春夏秋冬を通じて、ここは自然そのものを堪能できる場所でもあるの
です。
さて、今日も瑞光山・清水寺(天台宗)とは宗派を異にしますが、曹洞宗の
禅僧「良寛さん」の漢詩を、またまた紹介します。
花無心招蝶 花、無心にして蝶を招き
蝶無心尋花 蝶、無心にして花を尋ぬ
花開時蝶来 花、開く時、蝶来り
蝶来時花開 蝶、来る時、花開く
吾亦不知人 吾れも亦人を知らず
人亦不知吾 人も亦吾れを知らず
不知従帝則 知らずして帝の則に従う
~花は無心で蝶を呼んでいる 蝶も無心で花を尋ねる 花が咲くとき蝶が
やってくる 蝶がやってくるとき花は開く あなたは心の奥深くで私を探して
いる 私は心の奥深くであなたを探している あなたは私との未来を知らな
い 私もあなたとの未来を知らない いつ出逢うのかどこで出逢うのか 私
たちはその理由をしらなくても出逢うべきときに出逢っている~
すなわちこの詩は、
世の中には「偶然」ということがあるが、しかし偶然にも意味があるのだと、
受け止めることも大切なことである。
また、その意味を感じることで、その「偶然」が何故起きたかを知ることが
出来る。
それは「必然」だと言うことを知り、力を尽くせば自ずと「偶然」を「必然」とし
て引き寄せることが出来る。
と解するのだろうか・・・・・私にはそんな気がするのであるが如何なものだ
ろうかと。
~今日も、良い一日であります様に~
今日も食後のひと時、もう7時だと言うのに眠いな~
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