今週は月曜と水曜がテニスで金曜がお施餓鬼。そこで木曜日に日帰り登山を計画。
この時期は暑いのでできれば標高が高く登山口が1,000m以上で考え、「木曽の御嶽山」をチョイス。
※御嶽山への登山についてここをチェック → 木曽御嶽山安全対策情報
■2020.08.09 深夜、2時過ぎに自宅を出発。
その途中で、車のメータが20万キロに到達。よく乗ったものだ。
5時45分頃、黒沢口(中の湯)駐車場へ。さすが百名山、すでに十数台車が止まっている。
準備をし6:12に歩き出す。ここの標高は1,800m。
久し振りに飛騨口(飛騨小坂、濁河温泉)も考えたが開田高原を経由しもう少し走らなければならないのでボツ。
この黒沢口は覚明行者によって開かれた最も古い登山道。
信仰の対象物が多い。
07:44 八合目の女人堂到着。
三ノ池方面のトラバース道は未だ通行止め。この道は一番好きな紅葉ルートです。
遠望は乗鞍岳が薄っすら。
9:45 頂上のシェルター。土・日・月・水のテニス疲れが残っているのかペースが上がらない。
風で寒くウィンドブレーカーを着る。
色々手を加える工事が続けられています。
まずは慰霊所で。
何か建造物ができるようです。
先日行けるようになった王滝頂上と、まだ行けない八丁ダルミと地獄谷。
詳細は御嶽入山規制図を参照願います。
王滝頂上。
山頂標識がないのでこれで。
一等三角点。
奥の院社務所も綺麗になっている。
一ノ池とニノ池。
継母方面がら火山性ガスが出ている。
「お鉢巡り」もまだいけません
さあこれから三ノ池を見に行きます。
エメラルドグリーンのニノ池にはいつ戻れるか?
雪が少し残っています。
賽の河原と摩利支天山
賽の河原(三途川の河原)は、親に先立って死亡した子供がその親不孝の報いで苦を受ける場とされる。そのような子供たちが賽の河原で、親の供養のために積石塚または石積みの塔を完成させると、供養になる。しかし完成する前に鬼が来て塔を破壊しまた積み上げる。最終的には地蔵菩薩に救われるとされる。
賽の河原から剣ヶ峰方面。
実は地元の高台から雪を被った木曽の御嶽山が見えます。
地元でも御嶽講がある。
火山性ガスの向きが気になり摩利支天はパス。
10:45 三ノ池乗越から三ノ池
ここから北アルプスが見える景色が好きなのですが継子岳までしか見えません。
トラバース道が通れれば三ノ池も周り周回できるのですが。
ここで昼食。
今日は男めし。(深夜自分で)
白米の上に海産物ふりかけ+塩昆布+紫蘇+梅干し。
ところがどっこい、美味しい。
さらに麦茶でお茶漬け風にしたらさらにGOOD。
花は賽の河原に多いですね。
下山に向かう途中で御嶽山の廻りを10回ほど旋回する飛行機がありました。
どうも地形や火山活動の測定をしている航空機のようです。
さあ下山です。
まが火山灰が残っています。
八合目のこれが気になりました・・・今度行った時調べて見よう。
13:45 中の湯へ到着。
これで御嶽には家族で登ったのを含め11回目だ。キャンプやスキー、温泉、ドライブ等を含めれば50回近くはこの辺で遊んでいる。
※記録に残る御嶽山記事
++2018.09.28
++2017.09.30
++2013.10.07
++2012.09.29
++2011.10.28
++2010.10.02
++2008.06.07
++2007.10.05-06
++2007.07.29
簡単に御嶽山の歴史
702年(大宝2年)6月 - 役小角が開山したとされる。
774年(宝亀5年) - 信濃国司の石川朝臣が勅を受けて登頂し、大己貴命と少彦名命の二神を祀り悪疫退散を祈願。
1177年-1184年(治承元年-寿永3年) - 木曾義仲が打倒平氏を祈願するために登ったと伝えられている。
1785年(天明5年) - 尾張の覚明行者によって黒沢口が開かれた。
nemobaba様の一日後ですね。
話をした行者の方は、女人道から三ノ池へのトラバース道は当面無理のようですと話していました。
残念ですね。紅葉の時期や周回にも便利なルートですが。
私たちが行った5日よりはお天気が良かったのかな?
男飯美味しそうです!
今の御嶽山は黒沢口からが良かったと思います。コバルトブルーの三ノ池を眺めるのには女人堂からの横道が一番と思っているんです。でも昨年の秋もダメでした。
「田ノ原からここまでは来れます」の部分ですが
田ノ原・王滝口コースは王滝山頂~八丁ダルミ~剣が峰の間は今はまだ通していませんので、その点は誤解されないように書き直したほうがいいと思います。