3泊4日で小辺路踏破を計画(幕営装備)したが日程と天候が中々マッチしない。そこで、この小辺路でも気になっている果無峠超えのみで歩く事にした。
また、日帰りではもったいないので1泊2日として計画を練った。
1日目
小辺路(果無峠越えから熊野本宮大社)
2日目
中辺路(発心門王子から熊野本宮大社)
熊野那智大社、青岸渡寺、那智の滝
赤木城跡、丸山千枚田
■2022.06.02 2:00に自宅を出発し熊野本宮大社駐車場を目指す。目的地までは4-5時間。
4:34 熊野市「獅子岩」日の出前です。カメラを持った地元の人がこの時期は獅子が太陽を咥えた写真が撮れると見せてくれた。5時10分頃と教えてくれたが・・・・バスの時間があるので。
と獅子岩を後にした。
丸山千枚田経由で向うが!
残念です霧が濃くて(。•́︿•̀。)
6:10 熊野本宮大社河原の駐車場着。
私の車がポツンと・・・・
駐車場の土手を上がれば大斎原(おおゆのはら)が見える。
水田に映る大鳥居も入れて一枚。早朝で地元の人が散歩しているだけです。
熊野本宮大社はこの時期は入れない。(8時から)
仕方なく近くをぶらぶら。
今日はここからバスに乗り蕨尾まで向かいそこから歩きだす。
大社本宮前のバスターミナルから7:14の大和八木駅行きバスに乗る。
このバスは日本一長い距離を走る路線バス(距離169.8kmで停留所の数は168)。
約35分で蕨尾バス停到着。
近くにいたお婆さんと会話が弾む(コーヒー淹れて下さった)。ご馳走様でした。
従ってスタートは20分遅れ。
蕨尾バス停は右岸奥。橋まで歩き渡ってから左岸を手前の方に歩いて来た。
8:01 果無峠登山口(標高195m)
果無峠の標高は1,070mなので標高差は約900mもある。
これは完全に山登りです。
急な登りの石畳道が続く。
最初の地蔵。
小辺路は紀伊山地山中の住人の生活道路という背景から近世に参拝道として確立した。
また源氏に敗れた平維盛が密かに逃亡の道としたとか後醍醐天皇の王子護良親王が鎌倉幕府の追討を逃れて落ちのびた際に利用したと言った伝承が残る。
熊野古道(小、中、大、伊勢路)の中で最も険しい路とされているが大峯奥駆道には及ばない。
空が広くなったと思ったら「果無集落」
ここは民家の庭先を古道が通っている。
農作業のおじさんに挨拶をして通り過ぎた。
世界遺産の碑。
木々が繁り過ぎている。秋から春先が良いようだ。
天水田跡(水源を雨水のみに頼った水田)
山口茶屋跡。
地蔵菩薩立像。
観音堂。水場とトイレがあるので暗黙の幕営場所となっている。
果無峠(標高1070m)
果無山脈の尾根を古道が横切る小平坦地で、半壊した法筐印塔と第十七番観音像がある。
ここからダラダラとして下りが続く。
林間から本宮町を望む。
果無集落から八木尾にかけての峠道には、大正末期に地元の人々に寄進によって西国三十三番札所を模した観音石仏が据えられている。
三十丁石。
七色分岐。
植林の路は日陰で涼しい。
八木尾バス停で果無峠越は抜けた。
ここからは暫し道路沿いに進む。
洞門の木陰て休憩している西洋の男性と日本の女性に出合う。(小辺路を歩いて初めて)
三軒茶屋跡で中辺路と合流。
祓殿王子。
13:02 熊野本宮大社、まずは参拝。
4年前(大峯奥駆道踏破)とは異なり海外の人は殆どいないし国内の参拝者も少な目。
小辺路を一部歩いたがこれで良かったと思う。
時間:5時間30分(休憩59分含む)
距離:13.8km
標高差:1,153m/1,236m
消費カロリー:2,400Kcal
到着予定時間より1時間20分早い、これなら今から中辺路(発心門王子から本宮)も歩けそうだ。
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