トドクロちゃんと山登り

自然が好きで日本アルプスと近郊の山登り。
高山植物や四季折々の花を愛で。
史跡・歴史・ドライブがすきな自由人です。

槍穂高の紅葉 三日目 涸沢カール絶景!!

2020年10月10日 | データ

※槍穂高の紅葉山行

槍穂高の紅葉 一日目 横尾野営場 - トドクロちゃんと山登り

槍穂高の紅葉 二日目 槍沢・天狗原(池) - トドクロちゃんと山登り


槍穂高の紅葉 三日目 涸沢カール絶景!!(本文)

2020.10.07 涸沢カール ←全ての絶景写真が大きなサイズで見えます。

■2020.10.07 本日最終日。涸沢の紅葉これを見に山行計画を立て準備してきました。

今日は飛騨市・高山市・松本市の時間天気予報を調べ8時着を目標に4:30に出発。コースタイムは横尾〜涸沢まで3時間に少し余裕も持たせたのは足に疲れが残っているので。

朝食は涸沢ヒュッテで「おでんと+生ビール」としているので軽くカロリーメイトをコヒーで胃に流し込む。

4:30 横尾発

モルゲンロートで山肌が染まる。予報では8時まではガスで包まれるはず。やっぱり山の天気予報は当たらない。

春山で涸沢には3回入っているので一般登山道が本沢の右岸高巻きにあるとは思って見なかった。春は雪の本沢を登ります。

7:30 涸沢ヒュッテ
天気は晴れ模様ですがお日様が当たるにはもう少し時間がかかります。
 
徐々に明るくなります。
朝食予定のおでんは9時半頃になるそうで、あきらめラーメンと缶ビールで朝食。
この時間ラーメンを食べているのは他に・・・テン場のお隣山のお連れのお兄様だけでした。
 
何から何まで行動スタイルがよく似ている。
前穂北尾根の屏風岩上部からお日様が姿を表しました。(8時40分位)
 
2020.10.07 涸沢カールにて

ヒュッテで撮影する面々。更に報道関係で撮影が4クルー程入っているようです。また環境省がドロン撮影をしていました。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
カメラの画角が足りない、やっぱりフルが欲しい。ミラーレスのフルでも検討しよう。
涸沢カールのテント場は見ての通り岩だらけで寝られそうもない。春山は雪絨毯で快適です。
フェイスマスクをしています。(ヒュッテでマスクをして下さいと書いてある。)
横尾に下山するまでずーっと付けていました。装着者は1〜2割。
9:30 涸沢を後にします。涸沢2時間の滞在です。今日の夜から悪天候になりますが沢山登って来ます。やっと取れた予約ですからね。
やっぱテントは重いけど予約不用なので日程が自由に決めれるメリットがあります。
 
本沢
屏風岩
11:10 横尾着。
さあ撤収です。この時間ならフライは乾いています。最初からそのつもりで計画。
約1時間ゆっくり片付けをして山岳救助隊のおじさんに挨拶をし下山をする。
このおじさんには色々教えて頂きました。
上高地のカラ松の紅葉は少し色づきを見せています。
14:41 河童橋。明日からは台風の影響であれ模様。
あかんだな行バス停に並び2台目のバスに乗る。
 
3日間の疲れは平湯温泉で流し帰路につく。
 
紅葉時期、天気など全てバッチリ。今年始めてのテント泊山行は記憶に残るものとなった。
槍沢・天狗原の紅葉では帯のように伸びるナナカマドの赤に感動。涸沢の紅葉はハイマツ、ダケカンバ、ナナカマド、岩、砂礫など赤、黄、緑、茶、白、そして空の青と総合力で彩る紅葉は圧巻だった。もちろんカールや山並みの姿も良いですね。
 
一度は見るべき紅葉ですね。
涸沢貴族とまでいかないが涸沢貧民にはなれたかな。
 
 
雪の涸沢も素敵です。

GW山行は涸沢から北穂高岳、最終日は上高地散策1/2 - トドクロちゃんと山登り

■2015.05.01-05.03北穂高岳へGWの山行は色々計画を立てたが結局、雪が少ない所は止め涸沢か立山方面に絞り込む。立山はビーコンが...

GW山行は涸沢から北穂高岳、最終日は上高地散策1/2 - トドクロちゃんと山登り

 

 


槍穂高の紅葉 二日目 槍沢・天狗原(池)

2020年10月08日 | データ

■2020.10.06 3:30起床、結構冷え込んでいる。今日は槍沢・天狗原までなのでコースタイムは8時間を越す。

飲み物はポカリ500mlとサーモスにお湯800mlを持参。途中水分は補給できるので安心。

4:30 横尾出発。1時間はヘッドライトを灯したまま真っ暗な沢沿いを歩く。初めてのコースだが上高地から槍へのメインルートなので登山道は整備されている。過去に槍には2度登っているが全て飛騨側からのアクセス。

6:30 槍沢ロッジ

ここを朝週発した登山者は多い。

 
 
7:09 ババ平キャンプ場
 
曇り空・・・
8:30 天狗原分岐
穂先が
槍沢の中央にナナカマドの帯が
 
 
9:10 天狗原

天狗池が見えた。

逆さ槍。青空が欲しい。
カメラ撮影者が多い
ここで朝食を取りながら青空を待つ(1.5時間)

登山者同士で撮影。

シンメトリックな槍と逆さ槍
風は無く残す条件は太陽と背景の青空。
西岳方面
近くの浅い池は凍っていました。
 
 
天狗原
 
大天井岳から西岳と槍に続く東鎌尾根、いわゆる表銀座。

まだ行けていないルートです。百高山の西岳、赤岩岳、赤沢山があり百高山の残りは鋸岳を含め4座。

田淵行雄(山岳写真家、高山蝶研究家)の言った「一山百楽」の方が自分には合ってる。

今回は花より紅葉。
槍が従える東西南北の4つの尾根で北鎌は別として東鎌尾根は縦走したいですね。
背景が真っ白。
槍へ向かう登山者より天狗原へ向かう登山者の方が多かった。
昼食をご一緒した団塊の世代の男性は涸沢の小屋が取れず、直近でも予約できた槍沢ロッジと南岳小屋を利用しての山行を計画。他にも同じような人が数人いた。紅葉時期の平日なら徳沢や横尾で宿の予約が取れそこをベースに涸沢を狙う登山者も多い。
 
小屋泊りで涸沢の紅葉を狙うなら、初日は横尾山荘で泊り翌日涸沢をピストンし徳沢園で止まれば無理なく涸沢の紅葉を楽しむ事ができる。この場合初日が3時間、二日目が6時間、三日目が2時間+上高地散策で余裕だ。
10:40 まで待っても青空が望まれないと判断し天狗池を後にする。
・・・・これが痛恨の判断だった。
下山開始したら明るくなってきた。
 
よくあることですが。
ここのナナカマドのグラデーションは今回の山行で一番だった。
 
槍沢の紅葉も素敵です。
 
飛騨側から雲が切れだした。だよね〜

天狗池でスマホの4G通信ができたので南岳小屋のライブカメラを見れば分かったはず。

あれよあれよと青空が広がる。
 
 
でも日が高いので・・・撮影には斜光がいい。
真ん中がモッコリ
 
 
12:45 槍沢ロッジ
外に望遠鏡が設置してあり除くと槍の穂先がアップ。
14:27 横尾着
この時間も人の流れが少ない時間帯ですね。
本当の昼食。

中華三昧に生卵豚の角煮をトッピング。生面風なので抜群に美味しい

5時頃からお隣のお姉様とお兄様とで山話会。
お互いダウンの上下を着込んでいる。
山道具の花話から世間話まで。暮れゆくまで山の宴会は進む。
 
大変ご馳走になり有難う御座いました。
 
昼食が遅かったので暗くなってからの夕食。お腹一杯だけどシャリバテになるよりは・・・
 
 
ごはんを炊く。
お水は1.5倍で炊飯、山でこれが調度良い。硬いめしより柔らかいほうが良いので。

卵かけごはんと赤だし。

これならどんな何時でも美味しい。

お腹一杯で動けない・・・

明日はいよいよ涸沢です。

 

大画面で見れます。

2020.10.06 槍沢・天狗原(池)

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槍穂高の紅葉 一日目 横尾野営場

2020年10月08日 | データ

今年の紅葉登山は涸沢へ。混むのが苦手でこの時期の涸沢へは足が向かなかった。今年は空いているかもと期待したい。いつものように登山用SNSで色々なパターンを模索し、横尾野営場をベースにするのが一番便利な事が分かった。

作成した計画はこうだ。

混まない横尾野営場をベースに槍沢・天狗原(池)と涸沢カールを2泊3日で。上高地からは横尾まではほぼ平らな道で3時間なので楽ちん(テント装備一式)。其々へはアタックザックで行けるし。

1日目 6時間30分 / 12km
07:20上高地バスターミナル -1時間A -8:20明神分岐 -1時間A -9:20徳沢 -20分A -9:40新村橋 -50分A -10:30横尾(1時間) -30分A -12:00槍見台 -50分-12:50 2071m地点 -40分-13:30槍見台 -20分A -13:50横尾(1泊)

2日目 9時間40分 / 15.5km
04:30横尾 -1時間B -5:30一ノ俣 -40分-6:10槍沢ロッヂ -45分B -6:552000m地点 -55分B -7:50大曲 -1時間B -8:50天狗原分岐 -40分-9:30天狗池(1時間) -30分-11:00天狗原分岐 -50分B -11:50大曲 -25分B -12:152000m地点 -35分B -12:50槍沢ロッヂ -30分-13:20一ノ俣 -50分B -14:10横尾(1泊)

3日目 10時間10分 / 20.4km
04:30横尾 -1時間B -5:30本谷橋 -1時間10分B -6:40Sガレ -50分B -7:30涸沢ヒュッテ(1時間) -30分B -9:00Sガレ -40分B -9:40本谷橋 -50分B -10:30横尾(1時間) -50分A -12:20新村橋 -20分A -12:40徳沢 -1時間A -13:40明神分岐 -1時間A -14:40上高地バスターミナル -0分※-14:40

合計 26時間20分 / 47.9km (休憩込み)

問題は日程×天気×紅葉見頃時期でネット情報と数日間にらめっこ。テニスと重なるが以前からこういう場合は登山重視。

そして10月5日〜10月7日に決定。


■2020.10.05 自宅を2:30に出発→約3時間半でアカンダナ駐車場着→6:50発のあかんだな始発バスに乗り込む。

上高地バスターミナルで70Lザックにカバーをかけ雨具を着込み歩き出す。登山届は事前に電子申請済。

8:12雨の河童橋。

雨が残っていなければ大正池で下車し散策しながら行こうと思ったが、ガッツリ雨。

ザックが大きく幕営装備の登山者が多い。最近のレインウェアは上下色違いでカラフルです。

8:56 明神分岐 団体も多い。

9:42 徳沢、ここの幕営も考えたが2日目、3日目の日程に+2時間されるので却下。

この時期の特別装備と言うことで体温計、マスク、消毒スプレー、ジップロックも持参。体温は毎日測定。

10:47 横尾 

雨は止んだ、早々テント設営。(700円/泊)

少し早いがランチパックとコーヒーで昼食。

そして横尾から往復2時間を目安に蝶ヶ岳への登山道へ入る。

槍見台でも槍は見えない。

2017mの展望の開けた所を初日の最高点とししばし休憩。

あの白い雲の中に槍があるはず。

少しづつ雲は切れて大天井岳が見えた。(8年前の大天井岳山行

上空は青空が広がり始めたが、槍穂は飛騨側から雲が湧き晴れそうもないので森を観察しながら下山する。

このルートは静かで下山者1名とすれ違ったのみ。

14:36 テント場着

私のテントは右から2つ目のオレンジのエアライズ。

それを挟むようにシルバーのGOLITEが2張り。ご近所と言うことでお話をすると上田市からのお姉様でコースは私と全く一緒。さらに話しが進むと私のブログ友と同じ山岳会に所属し、お知り合いとであることが分かった。

びっくりです

昨年自分なりにテントを修理したが、追加整備が必要。

フライ引きのゴムが伸びて切れそう(反対側は修理済み)

クリップのひびが完全に割れた。細引きで応急処置。

夕方、チョット散策。この時間は静かなもんです。

橋の中ほどで自撮り。

横尾のテント場は3ヶ所。

情報通り100張り程度は行けそうですね。ここは混んでいても何処かに張れそうですね。

夕食は、ママースパゲティのイタリアンに自家製のピーマンとハム入り。このゆで麺パスタは大さじ1杯の水と油で作れる優れものでトッピングで美味しいパスタが出来上がります。

夜は冷え込むもインナーダウン上下に像足でシュラフに潜り込めばポッカポカ。

明日は槍沢と天狗原です少し距離が長いが大丈夫でしょう。


松平郷の天下茶屋へ「麦とろごはん」

2020年10月05日 | データ

秋晴れが爽やかでちょっとドライブがてら松平郷の天下茶屋へランチしに。

娘は初めてなので松平氏発祥の地「松平郷」を散策。

ちょうどいい時間に武家屋敷風の「天下茶屋」へ

何故か休まる場所で何度か訪れています。麦とろと五平餅を注文。

園地で見かけた花々

松平親氏の公願文

天下和順 日月清明
風雨以時 災厲󠄂不起
国豊民安 兵戈無用
崇徳興仁 務修礼譲

「天下が太平であり、太陽も月も清く明らかに照らし、風や雨は時にかなって程よく恵みをもたらし、災害や疫病は起こらず、国家は豊かで民は安らぎ豊かになって、戦争の武器は用いることなく、人々は互いに仁を尊び礼儀と謙譲の道を守る。」 

これは、世の中が平和で、人民は安穏であるようにと願い唱える偈文ですね。


知多四国巡礼 No10 源義朝と織田信孝の終焉の地 48番〜57番まで

2020年10月03日 | データ

今回は平安時代末期に源義朝(頼朝の父)が謀反で終焉の地となったり、織田信長の三男、織田信孝自刃の地なった地域のお寺を巡る。その前にチョットその史実を・・・

源義朝
源頼朝・源義経の実父。
源義朝の最期は平治元年(1159年)、平治の乱に敗れて東海道を下ってきた義朝は、随行していた鎌田政清の舅・長田忠致の許に身を寄せるが、忠致・景致父子は平家からの恩賞目当てに湯殿(野間駅の東にある法山寺にあったとされる)で入浴中の義朝を欺し討つ。この時、義朝は「我れに木太刀の一本なりともあれば」と無念を叫んだとされる。

織田信孝
織田信長の三男。
四国攻めの総司令官に抜擢され軍備を整えていざ就航という時、本能寺の変が勃発。

最期は秀吉との対立があり、信孝は長良川を下って尾張国知多郡に奔り、野間(愛知県美浜町)の内海大御堂寺(野間大坊)に退いた。ここの安養院で、信雄の命令によって信孝は自害させられた。これには秀吉の内意があったとも言われている。
信孝は切腹の際、腹をかき切って腸をつかみ出すと、床の間にかかっていた梅の掛け軸に臓物を投げつけたといわれる。享年26。安養院には短刀とその血の跡が残る掛け軸が伝来している。

信孝の辞世は二つ
「たらちねの 名をばくださじ 梓弓 いなばの山の 露と消ゆとも」
「昔より 主(しゅう)を内海(うつみ)の 野間なれば 報いを待てや 羽柴筑前」

■48番 良参寺 (曹洞宗、聖観世音菩薩)

「御助大師」にすがる善男善女

■49番 吉祥寺 (曹洞宗、釈迦牟尼仏)

地名の由来にもなった「細目の毘沙門さん」

■50番 大御堂寺 (真言宗豊山派、阿弥陀如来)

謀反に斃れた源義朝の無念を偲ぶ

ここには、源義朝、織田信孝の墓と池禅尼の塚がある。

■51番 野間大坊 (真言宗豊山派、開運延命地蔵)

戦国武将も崇拝した開運延命地蔵

移動の道中に、源義朝を謀反で討った長田父子をはりつけた松が史跡として残っている。

■55番 法山寺 (臨済宗天龍寺派、御湯殿薬師如来)

源義朝が討たれたという御湯殿跡

伝承によれば、義朝は入浴中に襲撃を受けた際、最期に「我れに木太刀の一本なりともあれば」と無念を叫んだとされる。その湯殿跡が残っている。

■53番 安養院 (真言宗豊山派、阿弥陀如来)

織田信孝自刃の再期を見とどけた寺

■52番 密蔵院 (真言宗豊山派、不動明王)

昼夜の別なく参拝者を受け入れた赤門

■56番 瑞境寺 (曹洞宗、白衣観世音菩薩)

村外れに佇む慈愛の白衣観世音菩薩

■57番 報恩寺 (曹洞宗、西方如来)

悲運の武将を弔う乳母の思い

同族間での殺し合いや騙まし討ちを好んだ源氏一族。源氏でも木曽義仲だけは好きですね。

平清盛一族は強い団結力があり雅ですがそれでもおごれるもの久しからずで・・・・

平家物語「祇園精舎」
祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

となる。

知多四国も残す所1/4となりました。目標は年内です。