宗教に嵌っている人がよく使う言葉に「永遠の生命」というのがある。どんなものかと聞いてみると、死んでも死後の世界というものがあって、そこで生き続けることができる。この世の所業によって天国や地獄に行き、そこで永久に生き続けることになると言う人がいる。また、未来永劫生まれ変わるのだと言う人もいる。
どちらにしても個体が永遠だという話である。諸行は無常だし、万物は流転する、生じたものは必ず滅するのである。この道理をわきまえず永遠の生命なんて簡単に言う。「死んでも命がありますように」という願望が生んだ妄想なのである。道理に反する願望のあるところにインチキ話の供給者が現れる、宗教家である。有りもしないしないあの世とやらの偽情報を流し、無知な大衆から金を巻き上げているのである。
個体が永遠ということは絶対ないのである。
では、永遠の生命というものがないのかというと実は有るのである。
人でも物でもあらゆる個体は個体性と全体性を併せ持っているのである。全体性とは何か、個体は個体それ自体では存在し得ない。たとえば身の回りに空気が密着してある、外せない。地球の引力が働けばこそ今ここにいる、これまた外せない。大きくいえば宇宙全体の力が働いているからこの身は存在しているのである。
逆にこの個体がなければ全体もない。今現に有るものをなくすることはできない、ないことにすれば全体はバランスを失い全てがなくなってしまう。
しかるゆえに個体は個体性と全体性を併せ持つというのである。
個体的生命が永遠であることは絶対ない。全体なるものこそ永遠である。全体なるものは個体的生命を中心にして展開しているのである。