十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

自未得度先度他

2015年03月21日 | 佛教

今日は彼岸の中日なので、彼岸関連で「自未得度先度他」、読みはじみとくどせんどた、書き下しにすると「自れ未だ度るを得ざるに先ず他を度す」となる。

涅槃経を始めいろんな経や論書に出てくる有名な言葉である。
特に道元禅師がが好んで使った言葉で道元門ではよくいう。

同じ意味の和歌も禅師が作られていたのを読んだことがある。今正確に覚えていないが、意味内容は覚えているので書いてみると、「草深い庵に居ても寝ても覚めても思うことは我より先に人を度すことだ」

最近も安泰寺住職ネルケ無方和尚が、「読むだけ禅修行」と本を出版したが、その中にもこの言葉があり解説が書かれている。
太字で書かれたところ3箇所を、引用すると次のとおりになる。

「人より先に佛になってはいけないということです」
「自分のことを後回しにして、他人のために何かしようという思い自体が、実は悟りなのです」
「「自未得度先度他」という「こころ」を起こすことは、全人類が地球上、いや宇宙いっぱいの生きとし生けるものと、調和し、生活できる社会の実現への第一歩です」

いやいや、その精神や良し、素晴らしい、お経や道元禅師お言葉だから恐れ入りましたと言いたいところだが、ヘソの曲がった我輩としてはそのまま有り難く受け取るわけにいかないのである。

「人より先に佛になってはいけない」 こんなことを言っていたのでは誰も佛になるものはいない。「お先へどうぞ」の譲り合いで前へ進むことはできない。初期仏典に「他人によって解脱が得られるものではない」とある。
レディーファーストは何も女性を尊重しているようでそうではない。実は女性を弾除けにしている行為という、たしかにそういう理屈はある。
訳の分からん者に先導されたのではどこへ行き着くか、分かったものではない。やっと極楽の門にただりついたと思ったら、角の生えた門番が立っている、ここはどこかと聞いたら地獄の一丁目だなんてことになりかねない。

「自分のことを後回しにして、他人のために何かしようという思い自体が、実は悟りなのです」
これはいくら何でも言い過ぎ。いくら高邁な思いでも思いであれば煩悩である。だから、「思いの手放し」をするわけである。

「「自未得度先度他」という「こころ」を起こすことは、全人類が地球上、いや宇宙いっぱいの生きとし生けるものと、調和し、生活できる社会の実現への第一歩です」

どうぞ、どうぞもいいけれど自分自身が見通しをちゃんと持っていることが大切なんだと思う。

そもそも、いったい他を度すってどうするんですか。度すことできたんですか。「自未得度先度他」て言っておられるお坊さん方に聞きたい。

とにかく、人間朝起きてから晩寝るまでずっと自分自身にかかり切りになっている訳でこいつの始末をつけないことにはどうにもならないのである。

コメント (2)
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