いつもは近くの映画館で月に1回位のペースで肩のこらないアクションものの映画を楽しんでいる。先月はシュワルツネッガーのターミネーターを観てきた。自分自身は体力的に弱くて荒っぽいことは苦手であるためか、それの代償か、ドンパチを大音響で体感するのが好みのようなのである。
今月はその流れで、「ミッション・インポッシブル」を観に行く予定にしている。
でも、もう1本どうしても観たい映画があった。「日本のいちばん長い日」である。ところが近くの映画館は、どうも松竹系の映画をやらないみたいで、案の定上映予定に入っていなかった。
で、ネットでやっている映画館を探すと大阪駅まで出なければならない。ブルク7とステーションシティシネマでやっているのが分かったが、ステーションシティシネマには行ったことがなかったのでそこにした。
2回めの上映が11:50からなのでそれを狙って出かけたが、映画館前に着いたのは11:00。チケット売り場の前は人でいっぱい廊下まで列は伸びていた。最後尾について徐々に前進、ひょっとしてチケットが買えるのか、心配になってきた。売り場近づくにつれて発売状況が気になって表示板を見るも「日本のいちばん長い日」の表示がない。どうなってるの、まさか今日は上映の予定なし?ちょうど誘導テープの端に来た時、係員が通りかかったので聞いてみた。「やっています。残りが少なくなっていますが・・・」との返事だった。次の回になるかもしれないなと覚悟した。
しかし、表示がされていないのはけしからん、確かに表示板の全体が使用されており、それからはみ出してしまったのであろう。しかし、朝1番の1回しか表示されていないスクリーンが5つほどあり、その発売はとうに終わっている。つまり、使われていないのである。また、夜だけの分もある。とすると当日朝から何回も上映するものを優先するのが当たり前というものである。
30分近く並んでやっと窓口に着いて、座席を確認すると、1番前の3列までしか空いていない。こらあ、アカン、首が痛くなると諦めて14:40の回のを観ることにしたが、これも結構詰まっていて、結局前から5列目、通路が間に入るから7列目くらいの席を取った。
支払いを済ませてから窓口のお姉さんに「ちゃんと表示するように」注意した。メモを採っていたので連絡が行くはずだが、即時対応は難しいと思い、場内整理をしていた別の女性にも声をかけた。ちゃんと伝えるがすぐに対応はできないとの返事、「こんなの簡単だろう」と言ったが、「できる者がいない」という。何ということ、駄目だね。次からは行かないことにする。
3時間近く時間が空いてしまったので、以前によく行ったラーメン屋でラーメンを食べ、喫茶店でコーヒーを飲み、本屋に立ち寄ったりして時間を潰して14:30に映画館で座席に着いた。
今年見た映画の中で一番良かったし、諸兄にお勧めしたい1本である。
こんなことがあって、今の自分がいる。これが一番の感想である。読者諸兄はほとんどが戦後生まれだろうから、こんなことがなければ生まれてこなかったということである。過去の歴史は絶対に否定出来ない。否定すれば現在もなければ未来もない。当然評価はあるべきだが、それはこれからの生き方にどう生かすである。
そうそう、終戦の詔書は安岡正篤氏が起草したものに内閣が手を加えたものだが、それが何ともけったい文言になってしまったというのである。
映画にもそのシーンが出てくる。
たった一句の言葉で戦後のあり方が方向付けられてしまったのである。残念というしかないが、起草通りの言葉が使われていたらどんな日本になっていただろうか。今よりは素晴らしい日本になっていただろうか。
もとより歴史の逆戻しはできないが、そこのところを読み替えて日本人としての我々のこれからの指針とすることはできる。
問題の箇所は次を参考にされたい。
http://www.chichi.co.jp/i/books/i-yasuokaepisode02.html