十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

佛教は素朴実在論

2018年03月18日 | 佛教

私は平成8年にパソコンを購入、私的に使い始めた。Widows95の機種が発売されて1年経った頃である。

ニフティサーブというパソコン通信に加入、以来ずっとニフティのユーザーとして今日までやってきた。

フォーラムという会議室があり、現代思想フォーラム、佛教フォーラム、佛教思想フォーラムとかに加入、いろいろと勉強させてもらった。

それらフォーラムで活動していたH氏は元僧侶で非常に佛教に造詣が深く、ものをはっきりいう人で「决定の説は真僧を表す」の地でいく人だった。死後の世界とか輪廻転生なんてはっきり否定。

さて、H氏がある時書いていたのを記録していたものがあるので参考にしてもらいたい。

【1】佛教は素朴実在論
【2】認識していない「ものごと」は言及不可能
【3】「ものごと」は認識内容のみ言及可能
【4】認識を離れた「ものごと」は非存在とみなす
【5】この意味で「存在論」と「認識論」は不可分離(認識内容、結果が存在論)
【6】よって、空の言及内容は「ものごと」であると同時に「認識や心」を論じている
【7】縁起やその他の法体系も同じであり、佛教とそれ以外を峻別する基準でもある。

さて、「【4】認識を離れた「ものごと」は非存在とみなす」に関しては、違和感を持たれる人も多いと思う。
認識しないものだって存在するではないかという考えである。

それは認識しないものだって存在するという程度に認識しているのであり、また、存在するではないかというのはその存在を知ってから「やはり、あったじゃないか」と認識後の話となっているのである。

「存在論」と「認識論」が不可分というのは、内山老師の言われた佛教は絶対一元という言葉と帰を一にする。

老師のいつもの自己図で理解を深めてもらいたい。

 

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