ヤフーの知恵袋で一切皆苦、十二支縁起、四諦、諸行無常、諸法無我等の質問があったので、下のとおり回答を書いた。
仏教の根本教説は縁起説、あらゆる教説は縁起を根本としそれから派生したものである。
ところが縁起が切ったり結んだり、あったりなかったりしている。私は縁は切れない、切りようがないと考える。宇宙の果まで繋がっているのである。
「以下知恵袋の文章」
仏教の根本命題は苦からの解脱です。それをいろいろの視点から説いています。
物事を分析的に見る、諸要素にバラバラしてしまう。それらが仮にくっついて成り立っている、つまり、縁起だというわけです。
本来、バラバラなものだから実態はない、無我、無常、無自性だというわけ。だから、自分も存在しない、その苦しみも本来ないのだというのです。
しかし、これは無茶な論理です。それで納得しているのがおかしいでしょう。
例えば、五蘊説というのがある。人間生命を色受想行識の五蘊から成り立っているという。では五蘊に分かられるかというと実際に分けようがない、無理に分ければ死んでしまいます。
元々、生命がちゃんとあるのです。そして、生きているのです。
バラシは頭の中での思考によるもので、実際にはバラせていない。バラしようがないのです。
仏教の根本教説は縁起説です。
縁というのは繋がりです。それは切りようがないのです。
ところが、皆んな切って考える、切ったものをくっつけても元には戻りません。
我々の身体も切り分けられるとして切り分けて行くと、素粒子まで行ってしまいます。素粒子には4つの力が働いていて、電磁力と重力は影響範囲が無限大で相互作用していると言います。
相互作用は仏教で言うところの縁ですから、実は縁は切れないのです。
ところが従来の仏教の縁は切れてしまいます。切ったり結んだり、あったりなかったり。
切れない縁で仏教を考え直す時代に来ています。
誰がそんな事を言っている? 私が言っているのです。(笑)