過去ログを整理していたら、24年前にあるHPに寄稿した文章が出てきたので、縁の不思議さを身を以て体験しているところを紹介したい。
人生生きていればいろいろある。そして、ちょっとした出来事、思いが人生を通して支配していくことになる。「出逢うところわが生命」なのである。
なお、本文は当時のそのままではなく一部手直ししている。
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私が内山興正老師と出逢ったいきさつからお話させていただきます。
昭和40年ごろ某大の学生でしたが人生に迷いフラフラブラブラしていました。縁あって昭和42年に内山老師の弟弟子に当る村上光照さんと知り合いになり、澤木興道老師の話を聞いたりテープを聞かせてもらったりしたことから始まります。
それまで宗教的なものは読んだことはなかったのですが、村上さんに澤木老師のことを教えられていたところから大阪梅田の旭屋書店でたまたま手にしたのが「禅とは何か」(誠信書房)という本でした。
その本だけで禅とは何かはよく分らなかったのですが、個々の話はなかなか面白い。それで、「禅談」とか「観音経講話」なんかを読み始めたんです。
ある時、澤木興道全集を纏め買いをしていたら、「安泰寺をご存知ですか」と声をかける人がある。小山勇さんという澤木老師の在家のお弟子さんだったのですが、「行ったことはないです」と答えるとチラシを出して日曜参禅会を内山老師がされているから「よかったらおいでなさい」とお誘いていただきました。小山さんと別れて仏教関係のほかの書棚を見渡してみると内山老師著の「進みと安らい」(柏樹社)という本が目に入りました。早速、買い求めて読んだのですが、何と仏教とはこういう教えだったのか、眼からウロコが落ちる思いがしました。「自己生命があってその世界がある」という世界観、生命観にはびっくり。これは安泰寺へ行かなければということで安泰寺を訪れたのが昭和45年の秋でした。丁度永平清規の提唱を始められた時でした。
この時始めて内山老師にお会いしたのですが、提唱を聞き坐禅を終えて帰ろうとするとき老師が玄関へ出てこられて声をかけてくださいました。「今日が初めてですね。どちらからお見えになりました。」というのが最初でした。二言三言言葉を交わして帰ろうとお辞儀をして頭を上げると内山老師はまだ頭を畳の上につけておられたので慌ててもう一度お辞儀し直したことを思い出します。
また、この日、老師の最新刊「人生料理の本」が廊下に積まれており、早速、買い求めたのですがこの本には感動しました。特に書かれていた『出逢うところわが生命』という言葉、これには魅せられました。辛いこと、悲しいこと、嬉しいことほか事あるごとに『出逢うところわが生命』という言葉とともに今日まで生きて来たのです。私にとって、当に魔法の呪文です。
そんなことで、お人柄も優しく涼やかで、仏教を分かりやすく説いてくださるし、この方に仏教を教えていただこうと心に決めたのです。
でも、本を読んだり安泰寺や宗仙寺での提唱を聞かせていただいたりする程度で個人的に教えを受けるようなことはしておりませんでした。昭和56年に在家得度を受けたい気になってお頼みに行った時、宗仙寺の正法眼蔵味読会に参加していたので、君ならということで気安く渡部耕法老師への紹介状を書いていただいたことは感激でした。 お陰でその年の4月8日に浜坂の安泰寺で在家得度させていただき老師の法系に繋がることができたことを喜びとしております。
老師が隠居されているお宅にはほんの時々しかお訪ねすることはなかったのですが、お訪ねするといつもやさしく笑顔で接していただいていろいろ親切にお教えいただきました。それが久しぶりに昨年3月に小山さんと2人でお訪ねした日の夜に倒れられ2日後にお亡くなりになってしまいました。
お会いした様子では、とても元気そうに見えましたし、まだまだ、やり残した仕事があるからそれを仕上げたい、その後は華厳経をじっくり読んで人生の終わりを迎えたいというようなことをおっしゃっていたのに誠に残念です。 当日は1時間ほどお邪魔していたのですがお疲れさせてしまったのではと今も申し訳ない気持ちが湧いてきます。享年86歳でした。
とにかく、いろんな方々とのご縁がなければ内山老師との出会いもなかったわけだし、内山老師との出会いがなければ今のこの私がいないわけです。このような素晴らしいご縁をいただいたことはわたしにとって真に幸運であったと喜んでおる次第です。当に『出逢うところわが生命』です。