次郎物語を書いた下村湖人の言葉に次のようなのがある。
「どんな人でも、心の奥にはいつも清らかな泉がわいている。それは愛と智と勇
気とが透明にとけあった泉である。これをうたがうものはまだ一度も自分の心を
本気でほりさげてみたことのない人である。本気で自分の心をほれ。そうした
ら、自分がいかに貴い存在であるかにめざめるであろう」
心の奥に汲んでも尽きぬいのちの泉があるというわけである。これを汲み出してみようではないかというのである。
この知と愛と勇気の三つが精神的支柱であり日本人共通の宝です。これを象徴するのが三種の神器。
まず、鏡。鏡は私照がない、だから事物を正直に映す。これが智恵。鏡が智の
象徴であり、誠を表す。
また、玉は柔和善順。相手に合わせて動く。つまり、愛を象徴している。
つぎに剣というものは剛利決断。つまり、勇気を表している。
智と愛と勇と、この三つがなければ人間一匹具足しないわけである。
この三つがよく渾然として一緒に働く、一つになって働く、つまり、これが和の精神。そうでなければ本当の働きにならない。これが日本の精神(大和魂)である。
さて、この日本精神を旗としたのが日の丸である。
白地は鏡と同じで清く明るく何でも正しく映しので知、誠を表す。丸は玉、愛の象徴。赤が熱血つまり勇気を表す。
また、日の丸は太陽であり、太陽は古来より日本人の信仰の対象である。お天道様、お日様、また、日本神道の最高神天照大神である。
かくのごとく 日の丸は日出ずる国、日の本の国日本の象徴であり、かつ、日本人の精神の象徴でもある。
日の丸にこのような深い意味を蔵することを知らず敬意を表さない人間は日本人といえない。
昨日も書いたが国旗に私的欲求を書くがごときは、国辱的な行為であり、日本人としての精神を自ら卑しめる行為であることを知るべきである。白地は余白では断じてないのである。戦前日の丸に「武運長久」たら書いて寄せ書きするようなことを軍人がやっていたが「智」を穢す馬鹿をやらかしていたのである。
先週、近所の小学校で卒業式があり、校門に2本の日の丸が掲揚されていたが美しい風景として目に焼きついている。これほど深い意味をもった国旗は他にないであろうし、シンプルで実に美しい。
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