過去は過ぎ去り今はなく、未来は来らず今はない、過去と未来に挟まれた現在は幅がない。過去現在未来と流れる時間を1本の羊羹のようなものと考えてみると、現在はその切り口みたいなものです。切り口を開いてみると片面が過去で、もう一方が未来ということです。現在という切り口が刻々に動いて未来が即過去となる。
その幅のない現在が時間の中心であることは間違いない。
空間も自己はここしか体験できない。体験する空間は自己を中心として東西南北四緯上下つまり十方に広がっている。中心を移そうとしても移したはずのところが中心となっているのである。
船がレーダーを持ち、車がカーナビを持つのと同様である。位置するところが必ず中心となる。
自己生命は必ず時間的にも空間的にもその中心点にいるのである。本来そこから絶対はずれることはないのである。
ところが外してしまうのである。頭がそれをやらかすのである。大阪にいるのに東京にいるがごときことを考える。生まれる前にも、死んでから後にも我が身を持っていく。
皆、迷いなのである。
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