呑む気オヤジ/蔵王山麓蓬莱庵便り

訳アリで山暮らしから都会に戻ったオヤジの日記。合唱も映画もドライブも温泉も、たまには俳句も・・・😄

おかあさんへの手紙・その21~みんな集まりました!

2009-05-25 | 家族のこと

おかあさんへ
本当に久しぶりの手紙です。なんと、去年の秋以来!
ゴメンね、決しておかあさんを忘れている訳じゃありませんよ。
毎日仏壇にお線香を上げているし、合唱練習の時に通るお寺でも、必ず手を合わせて声を掛けていますよね。
でも、手紙としては随分間が開いてしまいました。

おかあさんがそっちに行って、もうすぐ2年ですね。
昨日は三回忌法要でみんな集まりましたよ。分かりましたか?
仙台の両親、Sの家族、新座のおばあちゃん、Mちゃん家族、全員揃いました。
Mちゃんのところは、子供たちも含めていろいろ忙しそうだったけれど、無理して集まってくれたのかもしれません。
Auちゃんはドラッグストアーの会社に就職しました。Yoクンは所沢の高校に入学しました。
Mちゃんの家族が全員揃うのは、正月以来だって。
ウチの息子はご存知のとおり、Yuは就活中、Waは学校を辞めて相変わらずバイトに夢中です。
このままフリーターになっちゃうのかね。心配だね。
おかあさんが生きていたら、Waはどうしたんだろう。同じことになっていたかな。
まぁ、今となっては分からないね。なるようにしかならないのかな。
困ったもんだね。

仙台の両親も、随分年をとりました。体も不自由そうです。
特におじいちゃんは相当体力が落ちて来ました。もうそうしょっちゅうは上京できないと思います。
おばあちゃんだって「掃除と洗濯ぐらいならやってあげられる」と言っていますが、以前みたいには動けません。もう当てには出来ないですね。
新座のおばあちゃんは、Mちゃんたちが戻ってきて大変そうだけど、それでも一緒に住めるのは良かったんじゃないかな。
お母さんもその方が安心でしょう?
仙台の両親には、向こうから来てもらっていましたが、今度は時々こちらから行ってやらなければと思います。

命日が近づいて、法要をやったりしたからか、またお母さんのことを想い出すことが多くなりました。
なんかお母さんを看取った後の僕の人生は、フロクのような気がします。
だから、もうあまりあくせく生活したくないんだよね。
出来るのなら、仕事もやめて静かに暮らしたいです。
でもそうも行かないよね。Yuの就職が決まれば一段落だけど、Waはいつまでも心配です。
住宅ローンだって残っているし、食っていけないもんね。
合唱をやっているときは、嫌な仕事のことも家事のこともすっかり忘れて楽しんでいますが、それ以外のときは、どうもやる気が出ません。
腑抜けになっちゃったのかな。

ごめんなさい、おかあさんに心配かけちゃうよね。
大丈夫です。まだ老け込むわけには行かないし、僕はお母さんの分も一生懸命元気に生きなければならないんです。
そう、頑張りますよ! おかあさんもどこからか見ていてくださいね。
また手紙を書きます。お墓にも行きますよ。今度からはYuが運転してくれるでしょう。
ではまたね。

追伸
MちゃんのところのShoクンが、Waとそっくりになってきました。
今時の若者の髪型などが似ているんですが、顔も似てきました。なんか双子みたい。
おかあさんにも見せたかったな。
ん?この前お墓に来てくれたから見た?
そう、それなら良かったです。

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三回忌法要のご挨拶

2009-05-25 | 家族のこと

え~皆さん、本日は妻志津江の三回忌法要に遠路遥々お集まりいただきまして、誠にありがとうございます。

志津江を看取ってから、実質2年が経ちました。
なんか、もう2年?という気持ちと、まだ2年?という気持ちが半々です。
おかあさん、この呼び方が慣れているのでおかあさんと呼びますね。
おかあさんの病院に毎日通っていたのは、ついこの前のような気もしますし、あれから季節が2回巡ったことを考えると、随分前のことのようにも思えます。
お母さんは50歳になったばかりという若さで逝ってしまったので、やっぱり本人は悔しかったし、1年でも1ヶ月でも長く生きたかったのだと思います。
そんな闘病生活を5年も続けて来たのに、僕は何の支えにもなってやれなかったという後悔は、未だに続いています。
多分この先何年経っても、この思いは消えることはないでしょう。
でも最後の1ヶ月の入院中は僕を含め、息子たちもよくお母さんの面倒を観てくれました。
新座のおばあちゃんもMちゃんも、遠いのに良く来てくれました。
おかあさんも随分感謝していたと思います。
僕も最後にほとんど毎日一緒にいてやれたこと、手術の後遺症でパンパンに張った腕をさすってやれたことなどは、少しは喜んでくれたのかなと思います。

おかあさんは亡くなってしまい、肉体はありません。でも僕らの心の中にはいつまでも生きています。
おかあさんは一日でも長く生きたかった。でも力尽きて逝ってしまった。
その無念さを、僕たちは受け継いで、一生懸命頑張って生きていかなければならないと思っています。
今日お集まりの皆さんは、いろいろ人生の転機を迎えている人が多いですね。
進学して新しい学校に入学した人、学校を辞めた人、就職して社会人になった人、就活中の人、引越しした人、これから引越しして新しい生活を始める人・・・。
楽しいこと辛いこと、いろいろありますが、でも生きているからこそです。
生きていれば何とかなるし、どうにでも出来ます。
おかあさんは、あと30年ぐらいあったたはずの人生を無念にも放棄せざるを得なかったのです。
だから残った僕たちは、おかあさんの気持ちを大事にして、精一杯生きていかなくてはならないと思います。
特に僕や息子たちは尚更です。
ぜひ皆さんは、志津江姉さん、志津江おばちゃん、志津江おかあさんの分まで、これから精一杯生きてください。

すみません、なんか坊さんのお説教のような挨拶になってしまいました。
でもおかあさんも、空の雲の上からか、僕たちの周りを吹き渡る風になってか、とにかく側で見守っていてくれるはずです。
今日はみんなで語りかけてやってください。よろしくお願いします。

では、献杯!
コメント (2)
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