昔のがたまたま出てきました。パソコンのみで描いた絵。
現在とは視点がまた違いますが、その時どきで、心を込めたものでしょう。
細かな直線の組み合わせで線画を描いたもの。2012年
同じく直線によるイラスト。2013年
2013年。曲線も直線の集合
マウスで描いたもの。2014年
2015,16年はパソコンがなかったため、コンピュータで描いた絵は存在せず。
そして今も何となく氣が向いてマウスで描いていますが(仕事の挿絵や似顔絵は手描き)、
いずれ、ペンタブレットが欲しいところです。
実は1度も使ったことがありません。
スーパーファミコンのマリオペイントの頃から、
おぼつかないながらもマウスの不器用な線で描くことが
嫌いではありません。
今、あえてマウスで描いてみてるのも、
「より面倒でなければパソコンを使う意味が無い」とも考えているから。
手で描くほうがずっと楽ですが、
パソコンでしか出せない味というものもあり、
その味は道具が不便なほどしみ出てきたりする。
そして、写実でも漫画調でも現在は描くときの
まなざしは同じです。
画面の中で優先順位はなく、
砂粒ひとつの有り無しで完成形が変わってきます。
また、僕は線画を描くことが多いですが、
最も好きな作業は色塗りです。
絵の中の色は互いにバランスを取り合う。
どこかを塗ると、他の色を変えたくなったりして、
全てがつながりあっている。
これは線画にもいえることで、
僕ははじめに絵の完成形を全くイメージせずに
描き進めるのですが、
足を描くことで腰が生まれ、
腰が胸を生み、胸が肩と手を生む、というように
全部めくるめく連動しているので、
足はこうしよう、手はこうしたい、と部分でのイメージは
そもそも存在せず、
足をこうしたら、手は自然とこうなってしまう、という風に
なるべくしてなるので、
一発描きでも自ずからバランスがとれる。
町おこしにしても、
この土地から自然と生じてきているもの、を観察・発見することが大切なのに、
よその地域の成功例や理論をそのまま取ってつけようとすると、
とても氣持ちわるいものになり、
風は吹かず、人も寄ってこないということになる。
自然と一つになり、なるに任せればよいのに、
思考や思想や都合で押し通すとめちゃめちゃになっちゃう。
絵の描き方一つにも、その人それぞれの生き方が
否応なしに現れるものですね。
手段が違えど、ものの見方が同じなら、その人が出る。
だから、左手で描いても右手で描いても、らしさは勝手に表れるし、
逆に、いかに方法に変化や工夫や差異をもたらそうとも、
生まれるものの本質は、かわらない。
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