先輩について
川へと降りる階段をつくっているKくん。
しばらく彼の動きを追いかけていると
わたしが愛してやまない
あの詩が浮かんできました。
此の道を行けば どうなるのかと
危ぶむなかれ 危ぶめば 道はなし
ふみ出せば その一足が 道となる
その一足が 道である
わからなくても 歩いて行け 行けば わかるよ
(『道』清沢哲夫)
「わからない」からやらないではなく、
「わからない」からやる、
あるいは、
「わからない」けどやる。
その一足の先に「わかる」がある。
ところが、いったんそこに立ってしまうと、
「わかった」そのときが、
次の「わからない」のスタートラインにしかすぎないことが
「わかる」。
その繰り返しから学ぶことは、
「わからない」からやらない、という行動パターンを採用する人(とはいえそれがふつうです)には、永遠に「わからない」ことなのです。
(スイマセン受け売りです。元ネタは橋本治 ^^;)
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橋本治 | |
集英社 |
そして、わたしのようなイイ年こいたオジさんになるとなおさら、
余計なものが身につきすぎているため、
その”「わからない」という方法”を採用して生きることがむずかしくなってきます。
(わたしはあいもかわらず、、ですけどね (^^))
(バカだから ^^;)
以上、
やっている仕事の内容や
彼自身がどう思っているかとは何の脈絡も関係もなしに、
そんなことを思い浮かべた
昼下がりの宇川3号橋現場からでした。
それにしても、、
いい顔しちゅうねえ。
(みやうち)
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