先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

住友商事出資のボリビア鉱山、労働者の抗議行動続く

2010-04-18 | 日記
(reuters.com 2010年 04月 17日 12:19 JST)
 [ラパス 16日 ロイター] 住友商事(8053.T: 株価, ニュース, レポート)が出資する南米ボリビアのサン・クリストバル銀・亜鉛・鉛鉱山で12日に始まった労働者による抗議行動は16日になっても収束せず、同鉱山から鉱物を運び出す鉄道の封鎖は依然として続いている。
 労働者は、同鉱山で採掘される鉱物を隣国チリ経由で海外に輸出するために必要な鉄道を12日に封鎖。16日は採掘された鉱物を辺りに撒き散らし、要求が聞き入れられるまで封鎖は解かないとの姿勢を示した。
 労働者代表のマリオ・ママニ氏は「われわれの要求は正当であり、聞き入れられるべきだ。鉱山経営者はわれわれの天然資源を搾取している。搾取による損害を補償し、経済発展を支援するよう要求している」と述べた。
 鉄道の封鎖が行われているのは、サン・クリストバル鉱山から60マイル(100キロ)東の地点。
 貧困化に苦しむボリビアや隣国ペルーでは、銀、亜鉛、銅などの鉱山で働く地元住民による鉱山経営者に対する抗議はそれほど珍しいことではない。
 アンデス地域ではこのところ地元住民が自国の天然資源を自分たちの手に取り戻し、天然資源から得られる収益の分配を求めて立ち上がる動きが相次いでいる。
http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPJAPAN-14865420100417

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住商系鉱山の施設占拠 ボリビアで先住民

2010-04-18 | 日記
(MSN産経ニュース 2010.4.17 12:25)
 AP通信などによると、ボリビア南部ポトシ県で住友商事が出資するサンクリストバル鉱山の鉱石輸送事務所が地元先住民らに占拠され16日、事務所の一部施設が焼かれるなどした。鉱山側は従業員を避難させるなどしたが、鉱石を国外に搬出するための鉄道も占拠されており、輸出ができない状態にあるという。
 事務所は鉱山から西に100キロ以上離れたチリとの国境の町アバロアにあり、鉱石をチリ側に鉄道輸送する際の拠点。占拠した先住民らは、家庭用電力や上水道が整備されていないと不満を訴えているという。
 サンクリストバル鉱山は亜鉛や銀で世界有数の生産量を誇り、亜鉛精鉱の一部は日本にも輸出されている。(共同)
http://sankei.jp.msn.com/world/america/100417/amr1004171225003-n1.htm

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【書評】『宮司が語る京都の魅力』中川久公・著

2010-04-18 | 日記
(sankeibiz  2010.4.17 05:00)
 ■伝統の由来から探る日本人の心
 年間5000万人もの観光客が訪れる京都。その魅力は一体どこにあるのか。
 そんな疑問を、さまざまな伝統行事のルーツをさかのぼりながら探っていく。京都を中心としたさまざまな日本の伝統のルーツをたどっていくと、現在まで受け継がれる伝統を培った、われわれ日本人の祖先の繊細な心が見えくるという。
 ふだんは意識しないで当たり前に行っている伝統行事や習慣にも、深くて意外な由来がある。たとえば「お土産」の語源はアイヌ民族の「イヨマンテ」という儀式で神から人間に贈られた熊の肉や毛皮を指す「ミアンゲ」という言葉だった、という具合。“由来”を知ることで、古くからある日本人特有の自然観や命のルーツを感じる一冊だ。(1365円、PHP研究所)
http://www.sankeibiz.jp/econome/news/100417/ecc1004170502010-n1.htm

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アイヌ民族の物語出版 千歳の82歳女性

2010-04-18 | 日記
(北海道新聞 04/16 14:55)
 【千歳】千歳アイヌ文化伝承保存会の中本ムツ子会長(82)=千歳市蘭越=が、自作の物語「カンナフチ ヤイェイソイタク」を出版した。1人のアイヌ民族の少女が懸け橋となり、争い続けた二つの村の人々が許し合っていくストーリー。持病のため手が自由に動かない中本さんのため、地元のアイヌ語教室の生徒たちが出版準備を手助けした。中本さんは「物語から命や平和の大切さを知ってほしい」と呼び掛けている。(渡辺淳一郎)
 中本さんは千歳で生まれ育ち、結婚を機に札幌市内などで暮らしたが、千歳に戻っていた50歳ごろにアイヌ民族としての自覚や誇りが芽生え、これまでにアイヌ語教本などを出版。現在は社会人や親子を対象にアイヌ語教室を開いている。
 物語の題名は「カンナおばあさんの昔話」という意味。幼いころに祖母らから聞いた村同士の略奪の昔話をヒントに、構想を練っていた。
 数年前から執筆しようと考えていたが、リウマチで字を書くのもままならない状態が続いた。そんな中本さんの窮状を助けようと、アイヌ語教室の生徒10人が2008年夏、編集委員会を設立。中本さんが日本語でテープに吹き込んだ物語を文章に仕上げる作業などを担った。
 今年2月に完成した本はB5判142ページ。物語のアイヌ語訳も掲載している。編集委員会の平井史郎事務局長(67)は「同じ場面が何度も登場するなど、アイヌ文学の特徴が盛り込まれた作品。作業を通して勉強することが多かった」と振り返る。
 1冊1575円。道内の主要書店で販売中。問い合わせは出版元のクルーズ(電)242・8088へ。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/sapporo/226464.html

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国指定史跡のチャシ跡群 PR強化へ 根室市観光協会

2010-04-18 | 日記
(北海道新聞 04/16 14:41)
 【根室】市観光協会は本年度、アイヌ民族が砦(とりで)などとして築いた国指定史跡「根室半島チャシ跡群」のPRを強化する。市歴史と自然の資料館の協力を得て、市内温根元の「ヲンネモトチャシ跡」に案内看板を設置するとともに、チャシ跡群の見学会も開く考えだ。同協会は「アイヌ民族が残した歴史遺産への関心を深めてもらいたい」と話している。(栗田直樹)
 チャシはアイヌ民族が16~18世紀ごろに、砦や、祭事を行う場所として、土を盛ったり、溝を掘ったりして築いた。根室半島には32カ所のチャシ跡があり、そのうち24カ所が「根室半島チャシ跡群」として国の史跡に指定されている。
 中でもヲンネモトチャシ跡は当時の状況を残し、晴れた日には歯舞群島や国後島が見える丘陵にある。市歴史と自然の資料館の猪熊樹人(しげと)学芸員は「アイヌ民族が根室半島と北方四島を行き来した行動範囲の広さを知るのに格好のロケーション」と説明。7月までに意義を紹介する看板を設置し、見学しやすいように段差に階段を整備することにした。
 また、同チャシ跡などを巡る見学会も行う計画だ。
 根室半島チャシ跡群は財団法人日本城郭協会の「日本100名城」の一つ。100名城を巡るスタンプラリーで訪れる人が増えているが、「案内看板がなく、不親切」などの声が出ていた。
 事業費は朝日新聞文化財団の助成金100万円を活用する。市観光協会は「通過型といわれる根室での滞在を増やし、観光振興にもつなげたい」と話している。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki3/226474.html

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ルーツ解明 沖縄に注目

2010-04-18 | 日記
(朝日新聞 2010年4月16日14時59分)
 沖縄で縄文人骨の発掘調査が続いている。かつて日本人の流入ルートとも想定された南西諸島だけに、彼らが現代人につながるのかどうか、注目を集めているようだ。
 沖縄県南城市の武芸洞では2007年度から同県立博物館・美術館が発掘をしている。近くには、旧石器時代の全身骨格として有名な港川人(1万8千年前)の発見場所がある。港川人に連なる古人骨の発見がねらいだ。
■縄文人骨の発掘続く
 武芸洞では、縄文晩期から弥生並行期とみられる石棺墓から、少なくとも3体分の骨が見つかった。うち1体は、小柄で上から見た頭の形が丸い、南西諸島に多いタイプの男性だった。その下に2体分があり、一部の骨が足りないなど手が加えられていた。洞穴内には6千年前の縄文前期ごろの爪(つめ)形文土器もあった。この時期の人骨は見つかっていないが、「周辺に墓があったかもしれない」と同館の藤田祐樹さんは期待する。
 1970年代から発掘が続く伊是名村の具志川島遺跡群では、最近でも沖縄県立埋蔵文化財センターの調査で縄文後期の骨が見つかった。風葬を思わせる埋葬もあった。土井ケ浜遺跡・人類学ミュージアム(山口県下関市)も2007年度から3カ年かけて、糸満市の摩文仁ハンタ原遺跡を調査。縄文後期を中心にした人骨約50体を分析中だ。
 研究者が沖縄に注目するのは、骨を残しやすい石灰岩質の土壌で旧石器時代の骨が集中しており、縄文時代以前の人々の動きを推測できる可能性を秘めるからだ。
 かつて、日本人の祖先は南西諸島を北上して縄文人になった、との説が唱えられた。アイヌと沖縄の人々はともに縄文人の“直系”であり、今日までその形質を伝えるとの仮説も提出された。
 だが、これらの説に対しては異論もある。
 馬場悠男・国立科学博物館名誉研究員は「港川人と縄文人は体つきや顔つきなどかなり違い、港川人がすぐに縄文人に進化したとは言いきれない」。札幌大の高宮広土教授は、沖縄の島々に人間が適応できたのは縄文中期後半から後期以降で港川人と現代沖縄人との間には断絶があるとし、「10~12世紀ごろ、農耕をする人々が九州から沖縄に移住したのではないか」。土肥直美・元琉球大准教授も「中世に大きな動きがあったらしい」と語る。骨の細かな部分を調べたら、沖縄の人々はアイヌよりも本土の人々に近かった、とする研究結果もある。
 これらの検証には、旧石器人骨と現代との空白を埋める縄文早期や前期ごろの骨の発見が不可欠だ。しかし、まだ少ない。「港川人が縄文人になったのか、九州の縄文人が南下したのか。縄文前期までさかのぼる、状態の良好な骨がほしい」と土井ケ浜遺跡・人類学ミュージアムの松下孝幸館長はいう。当分、沖縄への期待は続きそうだ。(編集委員・中村俊介)
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201004160274.html

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