= 西日本新聞 2012/04/16付朝刊=
台湾の全人口の約2%を占める先住民。中国から渡ってきた漢民族から差別を受け続けながらも、独自の文化を築いてきた。今、どんな暮らしをしながら台湾社会で生きているのか。人口約8万人で、台湾当局が認定する14の先住民20+ 件族のうち2番目に人口が多いタイヤル族が住む台湾北部・桃園県復興郷(郡に相当)奎輝(けいき)村を訪ねた。 (台北・佐伯浩之)
奎輝村は人口約500人(3月末現在)。標高約800メートルの冷涼な気候を利用して、山あいの段々畑でキャベツやハクサイ栽培が行われている。
簡清雲村長は「住民は、今も畑で野菜を作る自給自足の生活だよ」と語る。畑を持たない住民は知り合いの農作業を手伝い、野菜を分けてもらうか、300円の日当を得る。簡村長は「川に行けば魚も捕れるし食べるには困らない。先住民20+ 件はこうやって生活してきた」と胸を張る。
◆ ◆
集落の中心にある奎輝小学校を訪ねた。児童数43人の小規模校だ。
事務員の羅香芬さんがこんな悩みを話してくれた。「こどもたちは中学校を卒業後、近隣の都市の高校に進学したまま、村には帰らない」。簡村長も「20年前は900人いた村人は500人に減った」と話す。
さらに切実な問題は、現地語のタイヤル語を知る子どもが減少していることだ。タイヤル語は文字はなく、話し言葉のみだが、「結婚式」や「どうぞ」といった日本語が一部交じり、日本統治時(1895~1945)の名残を残す。
同小の教諭12人は全員部族出身ではない上に、授業はすべて北京語で行われる。児童の親の世代もタイヤル語を話さなくなってきているという。同小では、タイヤル語を知る地域の古老が特別に授業を行っているが、羅幼蓮校長は「授業だけでは語学は身に付かない」と嘆く。
村には「押し寄せる過疎」と「民族文化の継承」の難題が横たわる。
◆ ◆
「簡」を姓に持つ約100人が集まった宗親会に参加した。先住民20+ 件の多くはキリスト教信者だ。
祈りの後の食事会では鶏肉の焼き物やレタス、キャベツの生野菜など十数種がテーブルに並んだ。タイヤル族が客人をもてなすムササビや豚の丸焼き料理はなく、都市住民が日常食べる料理だ。
「たくさん食べてください」と流ちょうな日本語で話し掛けてきたのは簡徳文さん(80)。日本統治時に日本語を学び、「竹山昭七」の日本名を持つ。今も日本の本を読み、日本語か北京語を話す方がタイヤル語で意思疎通するより楽という。
「(宗親会は)漢民族の文化だが、親族の絆を深める大事な行事だ」と語る徳文さん。「タイヤル語の継承など民族文化を守りながら漢民族文化を取り入れて共存すればいい。私たちの心のよりどころが廃れないようにできればいいのだから」と笑顔を見せた。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/297438
台湾の全人口の約2%を占める先住民。中国から渡ってきた漢民族から差別を受け続けながらも、独自の文化を築いてきた。今、どんな暮らしをしながら台湾社会で生きているのか。人口約8万人で、台湾当局が認定する14の先住民20+ 件族のうち2番目に人口が多いタイヤル族が住む台湾北部・桃園県復興郷(郡に相当)奎輝(けいき)村を訪ねた。 (台北・佐伯浩之)
奎輝村は人口約500人(3月末現在)。標高約800メートルの冷涼な気候を利用して、山あいの段々畑でキャベツやハクサイ栽培が行われている。
簡清雲村長は「住民は、今も畑で野菜を作る自給自足の生活だよ」と語る。畑を持たない住民は知り合いの農作業を手伝い、野菜を分けてもらうか、300円の日当を得る。簡村長は「川に行けば魚も捕れるし食べるには困らない。先住民20+ 件はこうやって生活してきた」と胸を張る。
◆ ◆
集落の中心にある奎輝小学校を訪ねた。児童数43人の小規模校だ。
事務員の羅香芬さんがこんな悩みを話してくれた。「こどもたちは中学校を卒業後、近隣の都市の高校に進学したまま、村には帰らない」。簡村長も「20年前は900人いた村人は500人に減った」と話す。
さらに切実な問題は、現地語のタイヤル語を知る子どもが減少していることだ。タイヤル語は文字はなく、話し言葉のみだが、「結婚式」や「どうぞ」といった日本語が一部交じり、日本統治時(1895~1945)の名残を残す。
同小の教諭12人は全員部族出身ではない上に、授業はすべて北京語で行われる。児童の親の世代もタイヤル語を話さなくなってきているという。同小では、タイヤル語を知る地域の古老が特別に授業を行っているが、羅幼蓮校長は「授業だけでは語学は身に付かない」と嘆く。
村には「押し寄せる過疎」と「民族文化の継承」の難題が横たわる。
◆ ◆
「簡」を姓に持つ約100人が集まった宗親会に参加した。先住民20+ 件の多くはキリスト教信者だ。
祈りの後の食事会では鶏肉の焼き物やレタス、キャベツの生野菜など十数種がテーブルに並んだ。タイヤル族が客人をもてなすムササビや豚の丸焼き料理はなく、都市住民が日常食べる料理だ。
「たくさん食べてください」と流ちょうな日本語で話し掛けてきたのは簡徳文さん(80)。日本統治時に日本語を学び、「竹山昭七」の日本名を持つ。今も日本の本を読み、日本語か北京語を話す方がタイヤル語で意思疎通するより楽という。
「(宗親会は)漢民族の文化だが、親族の絆を深める大事な行事だ」と語る徳文さん。「タイヤル語の継承など民族文化を守りながら漢民族文化を取り入れて共存すればいい。私たちの心のよりどころが廃れないようにできればいいのだから」と笑顔を見せた。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/297438