先住民族関連ニュース

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先住民族の食世界集会 アイヌ民族女性ら 20年道内開催目指す

2017-03-07 | アイヌ民族関連
北海道新聞-03/07 07:00
 札幌のアイヌ民族の女性団体が、食に関する先住民族の世界集会「先住民族テッラ・マードレ(ITM)」の道内開催を目指し、主催するスローフード協会国際本部(イタリア)と協議に入ったことが分かった。国の「民族共生象徴空間」が胆振管内白老町に開業する2020年に合わせて誘致し、千人以上の先住民族の参加を見込む。
 テッラ・マードレ(イタリア語で母なる大地)は、地域伝統の食文化を見つめ直して持続可能な社会の構築を目指す「スローフード運動」の一環。ITMは、この思想に合う先住民族の食文化の知恵や考え方を広めようと、同協会国際本部が国際農業開発基金(IFAD)や国連食糧農業機関(FAO)などと協力し、11年にスウェーデンで初開催。過去2回開かれた。
 15年の第2回インド大会は62カ国から170の先住民族の約640人が出席。持続可能な食糧生産や先住民族の食文化などについて議論した。ワークショップや地元の先住民族との交流会や食の祭典も開かれ、一般市民も約4千人訪れた。(続きあり)
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/1-0375995.html

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平取で発掘され北大、札医大で保管 アイヌ民族遺骨計27体に

2017-03-07 | アイヌ民族関連
北海道新聞 2017年03月07日 火曜日
 【平取】研究などの目的で平取町内で発掘され、北大、札幌医大に保管されているアイヌ民族の遺骨が計27体であることが分かった。両大は昨年9月に身元の特定された8体を公表したが、このほかに平取関係分が19体あったことが町の照会で判明した。町民有志でつくる「平取アイヌ遺骨」を考える会は、広く町民に関心を持ってもらおうと、18日にこの問題の学習会を開く予定だ。
 町が両大に照会し、北大から1月、札医大から2月に回答があった。札医大が10体、北大が9体。札医大分は1990年代に町内の遺跡4カ所で町教委が実施した発掘で見つかり、文化財として預託された。北大の9体の出土時期は、1952、53年が5体、33年が1体、不明が3体。出土場所は長知内が4体、二風谷が1体、町内が4体という。
 北大分のうち2体には「平取村役場より寄託」「平取町立病院より寄贈」との記録があるが、町によると、資料が残っておらず、詳細は不明だという。(続きあり)
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/doo/1-0375889.html

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ベトナム・ミャンマー・ラオス・シンガポール等から学生が来日

2017-03-07 | アイヌ民族関連
アセアンポータル-2017年3月6日
日本の外務省は、ベトナム・ミャンマー・ラオス・シンガポールなどから、日本との交流を行うために学生などが3月7日から14日までの日程で来日する事を発表した。
今回の来日プログラムは、JENESYS2016の一環として実施される。今回のプログラムでは、ミャンマーから大学生・大学院生26人、ラオスから高校生・大学生21人、シンガポールから専門学校生28人、ベトナムから大学生・若手研究者25人、東ティモールから大学生・社会人37人、インドから高校生35人が来日する。来日した一団は、「日本語コミュニケーション」「日本語交流」「日本研究者研究」をテーマとして、日本各地を訪問する。
インドの高校生達は、浅草寺・科学未来館に訪問した後に北海道に移動する。その後は、アイヌ民族博物館・北海道大学 総合博物館などに訪問し、座禅や書道などを体験する。
シンガポールの専門学校生達は、江戸東京博物館・浅草寺に訪問した後に兵庫県へ移動する。その後は、姫路城・神戸市立工業高等専門学校などに訪問し、姫路城西御屋敷跡庭園「好古園」で抹茶体験を実施する。
東ティモールの大学生・社会人達は、明治神宮・原宿の竹下通り・日本科学未来館・お台場アクアシティー・皇居(二重橋)・東京タワー・秋葉原・江戸東京博物館・浅草寺仲見世に訪問した後に北海道へ移動する。その後は、札幌市役所・大倉山展望台・札幌オリンピックミュージアム・白い恋人パークなどに訪問する。
ベトナムの大学生・若手研究者達は、江戸東京博物館・浅草に訪問した後に栃木県へ移動する。その後は、文星芸術大学・栃木県庁・大西製麺有限会社・大雄寺などに訪問する。
ミャンマーの大学生・大学院生とラオスの高校生・大学生達は、江戸東京博物館に訪問した後に福井県へ移動する。その後は、福井県庁・養浩館庭園・歴史博物館・うるしの里会館(越前漆器伝統産業会館)・国立大学法人の福井大学・もやいの郷農楽園などに訪問する。
https://portal-worlds.com/news/asean/9735


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文化の多様性を未来へ残せ~ETV特集「今よみがえるアイヌの言霊~100枚のレコードに込められた思い~」

2017-03-07 | アイヌ民族関連
ニフティニュース-2017/03/04
ギャラクシー賞月間賞:ETV特集
「今よみがえるアイヌの言霊~100枚のレコードに込められた思い~」
12月17日放送
23:00~24:00
日本放送協会
 NHK札幌放送局の資料室に眠っていた100枚のレコード。そこには、太平洋戦争直後に北海道の各地で録音したアイヌの人々の肉声、歌や語りが残されていた。そのままでは再生が困難な古いレコードの汚れを注意深く取り除き、原音が消えないようにノイズだけを消して整音する地道な作業が続けられ、70年の時を経てアイヌの言葉がよみがえった。鮮明に再現されたアイヌの人々の声はぬくもりを感じさせる優しさを伴って伝わってくる。
 もともとアイヌ民族の文化は口伝えで受け継がれており、文字としては残されていない。明治32年に制定された「北海道旧土人保護法」により、アイヌ独自の文化継承が妨げられ消滅の危機にさらされるなか、道内各地で録音された歌や語りの音源はかけがえのない記録となった。独自の文化を継承するために孤軍奮闘してきたアイヌの人々、研究者、そして録音に携わった技術者たち、それぞれの努力が紡がれて貴重な文化遺産を守ることとなったその意味は大きい。
 修復したレコードには、もてなしの心を伝える祝詞のような挨拶、祭りや儀式の時などに披露される歌、神や英雄が活躍する叙事詩などが記録されている。その音声に耳を傾けながら、昔の祭りや生活の様子を映し出すモノクロ動画や写真、さらには研究者が言葉を読み解いて書き起こした内容をあわせ読むと、当時の人々の暮らしや思いに心を通わすことができる。
 大自然と共に暮らし、身の回りの万物に感謝しつつ、人間の能力を超えたあらゆるモノに「カムイ」という神が宿ると考えてきたアイヌの人々。彼らはかつて「旧土人」と差別され、政府の同化政策で自らの言語や風俗習慣を変えざるをえなかった歴史を背負っている。失われつつある彼らの文化を未来に残していこうと、地元北海道の小学校では昨年度から子どもたちにアイヌ語を教える試みを始めているという。
 根気強く資料を掘り起こし、アイヌの声をよみがえらせたこの番組を通して、文化の多様性を大切にしなければならないとの思いを強くした。(小泉世津子)
★ギャラクシー賞月間賞とは?=NPO放送批評懇談会が、優れた番組を自主的に選び出す制度。月間賞に選ばれた番組は、年間のギャラクシー賞審査に自動的にエントリーされる。
https://news.nifty.com/article/magazine/galac-20170305-01/

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バードウォッチングカフェ:60種以上、撮影もOK…千歳

2017-03-07 | アイヌ民族関連
ニフティニュース-2017/03/04 毎日新聞
 北海道千歳市在住の動物写真家の嶋田忠さん(68)が同市蘭越に設けた「嶋田忠ネイチャーフォトギャラリー&ザ・バードウォッチング・カフェ」が、道内外の鳥好きの注目を集めている。店内からさまざまな野鳥が観察でき、嶋田さんは「鳥を見たお客さんが良い顔になって帰って行く。鳥たちの姿に癒やされてほしい」と話す。
 30年来の友人でアイヌ文化伝承者の故中本ムツ子さんの遺族から旧宅を譲り受け、半分をギャラリー、もう半分をカフェ空間に改装して2014年12月にオープンした。
 自然に囲まれた立地で、餌が置かれた庭に年間を通じて60種類以上の鳥が庭を訪れる。カフェで注文をすると利用できる撮影専門小屋が併設され、小さな穴からレンズを出して人を意識していない鳥の自然な姿をカメラに収めることができる。庭には愛らしい姿から雪の妖精とも呼ばれるシマエナガも姿を見せ、客の「アイドル」となっている。
 嶋田さんは、カワセミの仲間アカショウビンを撮影するために1980年、埼玉県から千歳市に移住した。その後世界各地を飛び回り、自然と動物の映像作品を制作。5年前に娘夫婦が同市に転居したのを機に、カフェとギャラリーの開設を決めた。「高齢者や体の不自由な人でも、屋内で安心して撮影できる空間になっている」と胸を張る。
 利用者の多くは札幌市から訪れ、関西や九州からも問い合わせがあるという。週4日は足を運ぶという常連客で恵庭市の田中康夫さん(75)は「四季を通じていろいろな鳥が見られる。座りながら撮影できるし、おいしい食事もある」と魅力を語った。【日下部元美】
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12159-0305m040017/

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震災を忘れない、の巻 時代の記憶 描き切る=青山郁子記者 /富山

2017-03-07 | アイヌ民族関連
毎日新聞-2017/03/03
 今月11日で東日本大震災の発生から丸6年。改めて亡くなられた多くの人々のご冥福をお祈りします。
 書道の展覧会を見に上京した折、たまたま毎日新聞を開くと、以前にこの欄で紹介した「原爆の図 丸木美術館」で開催されていた、震災や満蒙開拓団などをテーマにした特別展示「富山妙子-終わりの始まり 始まりの終わり」の記事を発見。富山県とは関係ないかもしれないが「富山」という名字にご縁を感じ、思い切って東武東上線で埼玉県東松山市に出かけた。
 富山さんは95歳。神戸市生まれで少女時代を旧満州などで過ごした。戦後は炭鉱や日本の植民地支配などを…
残り1051文字(全文1316文字)
http://mainichi.jp/articles/20170304/ddl/k16/070/258000c

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学習指導要領改定 何がどう変わるかCheck!

2017-03-07 | アイヌ民族関連
毎日新聞-2017/03/03
文部科学省は2021年度に実施(じっし)する中学校の「学習指導要領」改定案をこのほど発表した。質を向上させ、量も減らさないという。その中身とは……。
授業は英語で
 英語の授業は基本的に英語で進められる。英語に触(ふ)れる機会を増やすためという。英語で情報を整理し、考えを表現したり伝えたりするコミュニケーション能力を身に着ける。言語だけでなく、外国文化への関心を高めて理解を深める。学ぶ語彙(ごい)は今の1200程度から1600~1800程度に増える。新たに接続詞、助動詞なども学ぶが、授業内容は文法に偏(かたよ)らないようになるという。
残り1211文字
http://mainichi.jp/articles/20170304/dbg/048/040/011000c

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【開催中です!】特別展平成28年度アイヌ工芸品展「イカラカラ-アイヌ刺繍の世界-」 茨城

2017-03-07 | アイヌ民族関連
産経新聞 3/3(金) 7:55配信
 20日まで、水戸市緑町2の1の15の茨城県立歴史館で。
 華やかで力強いアイヌ刺繍。儀礼などに使われた晴れ着や首飾り、耳飾りといった装身具など18世紀から現代までのアイヌの服飾を展示している。同時に国宝「伊能忠敬測量図下図」(伊能忠敬記念館)、重要文化財「日本国図(蝦夷)」(東京国立博物館)などアイヌの歴史を伝える資料も紹介。水戸藩と蝦夷地の歴史的関係にもスポットを当てている。
 開館時間は、午前9時半~午後5時(入館は午後4時半まで)。月曜休館、今月20日は開館。入館料一般600円、大学生310円。高校生以下、満70歳以上、身体障害者手帳などを持つ人と付き添いの1人は無料。問い合わせは茨城県立歴史館(電)029・225・4425。
http://www.sankei.com/region/news/170303/rgn1703030035-n1.html


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本学学長が北海道議会で包括連携協定記念講演会を行いました

2017-03-07 | アイヌ民族関連
札幌大学-2017/03/02
2月23日(木)、北海道議会庁舎にて、本学学長・桑原真人による講演会が開催されました。
この講演会は、1月に締結された北海道議会と本学との包括連携協定を記念して行われたものです。
桑原学長は、「北海道の歴史」というテーマで、北海道の長い歴史の中でも、アイヌ民族の成立から和人の移住、松前藩の経済活動、明治政府のアイヌ政策などについて講演されました。桑原学長は講演の中で、北海道150年事業に触れ、和人による開拓前の北海道の歴史にも思いを馳せる機会としてほしいとの考えを述べられました。
講演後には、議員の方々から、これまでの北海道の歴史やアイヌ民族の歴史・文化などについて活発な質疑応答が行われ、大変有意義な機会となりました。
北海道議会との包括連携協定についてはこちらhttp://www.sapporo-u.ac.jp/society/partnership.htmlをご覧ください。
http://www.sapporo-u.ac.jp/news/topics/2017/0303105823.html

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2017リオのカーニバル写真集(3) インペラトリス・レオポウジネンシ

2017-03-07 | 先住民族関連
メガブラジル-2017年 03月 4日 06:19

2月26日(日)の夜から28日(火)の明け方にかけて、ブラジル、リオデジャネイロのカルナヴァウ専用会場サンボードロモを舞台に、2017年のコンテストパレードが開催され、33年ぶりにポルテーラが優勝を果たした。カルナヴァウの模様をTVグローボ、「G1」などが伝えた。
初日の3番手で行進を行ったのは、リオデジャネイロ州を拠点とするインペラトリス・レオポウジネンシ。アマゾン地域の先住民族の、抵抗の歴史をテーマに行進を行った。
3200名が29のアーラ(パート)に分かれ、山車6台、小型山車1台とともに、シングーインヂオ国立公園の居住区に暮らす16の民族グループを紹介、先住民の豊かな文化や動植物の多様、自然とともに生きる先住民たちのの神聖な伝統、先住民族の生活を脅かす脅威の数々(病原菌、白人による搾取、農薬、自然破壊など)を表現した。
行進には先住民族のカイアポ族も参加。打楽器隊の衣装にもカイアポ族の装飾が取り入れられた。
(文/麻生雅人、写真/Riotur)
コミサォン・ジ・フレンチ(行進の先導部)の振り付けを手掛けたのはテアトロ・ムニシパウ(リオ市市立劇場)のプリマバレリーナ、クラウヂア・モッタ。
ハオニ酋長をはじめマットグロッソ州在住の先住民族、カイアポ族の人々が山車に乗って登場したほか、ハオニ酋長はサンバ・エンヘード(行進のテーマ曲)の歌詞にも登場した。
http://megabrasil.jp/20170304_34129/


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ロシア犬の屈強な北方的性質

2017-03-07 | 先住民族関連
BLOGOS2017年03月06日 18:12ロシアNOW

シベリアン・ハスキー=写真提供:Fox Grom
 彼らは過酷な極地観測にも出かけた。島や湾には彼らの名も付けられている。また記念碑が建てられ、伝説も作られた。そり犬たちは北方の人々にとっての誠実な旅のパートナーであり、強くて、毛むくじゃらで、忍耐強く献身的な友人である。
シベリアン・ハスキー 生まれながらにしてレース向き
 ライカ犬のように背中にかわいい尻尾の「輪っか」があり、がっしりとした体型で、青い目をしていて、吠える代わりにうなるような声をあげる犬を見たら、それはシベリアン・ハスキーだ。ユカギール、ケレク、アジアエスキモー、チュクチといった極東の定住民族の土着犬であり、インスタグラム、モスクワの公園、そしてシベリアの犬ぞりレースのスターでもある。
 先住民族たちの間でトナカイの管理をしてきたライカ犬とは異なり、ハスキーはもっぱらそり用の犬で、しかも走るスピードがもっとも早い。1925年、このハスキー犬のスピードが疫病の蔓延を止めるのを助けた。ノルウェイ人のレオナルド・セッパラはハスキーの犬ぞりで、北極の嵐によって孤立した、まだ荒れ狂うアラスカの町ノムにジフテリアのワクチンを届けたのである。人とハスキー共同でなされたこの偉業は「Great Race of Mercy(偉大なる慈悲のレース)」と呼ばれ、ハリウッドではこのストーリーを基に「バルトのノムへのレース」というドキュメンタリー映画が制作された。
 現在、そり犬たちは人間の仲間である。同じ家の中に暮らし、スポーツ競技にともに参加し、狩猟に出かけ、犬ぞりをし、そしてシベリアに到達したりもする。たとえば、フランスの旅行家で作家のニコラ・ヴァニエ氏は犬種の異なるそり犬たちとともにバイカルからモスクワまでの道を辿り、「シベリアのオデッサ」を旅した。
サモエード犬 敏感な牧夫、優しい子供の遊び相手
 まるで微笑んでいるように両端がキュッと上がった黒い口、くるっと巻いたフワフワの尻尾、毛玉のような白い毛、心優しい性格。スピッツの一種である愛くるしいサモエード犬は他のどんな種とも間違えることはない。数千年もの間、サモエード犬は20世紀初頭までサモエード人と呼ばれていた北部の少数民族たちの仲間であったことから、サモエード犬と呼ばれる。現在その子孫たちであるネネツ人、エネツ人、ガナサン人などはタイムィルに住んでいる。
 ロシア北部の先住民族はサモエード犬を輸送用に使うことはあまりなかった。というのも、「家族の一員」であったサモエード犬はその他の役割、つまり敏感なトナカイ管理として、また優しい子供の遊び相手としての役割を果たすのに理想的だったからである。日中、両親がツンドラにいる間、子供たちは犬と遊び、夜には犬も移動住居の中で眠るのを許されたことから、子供たちは凍えないように犬を抱いて眠り、子供たちのぬいぐるみのような存在にもなった。
 19世紀、イギリスの動物学者エルンスト・キルバーン=スコットは3か月にわたりサモエード族とともに暮らし、シベリアのサモエード犬をイギリスに連れ帰った。これにより、サモエード犬はヨーロッパにもたらされることとなった。
 現在、サモエード犬は世界中で人気の犬種である。サモエード犬を飼いたいという人は、この犬には人との活発な交流が必要不可欠だということを覚えておいてほしい。なぜならこの「雪の犬」は3000年もの間、ほぼ変わることなく、あらゆる北方の犬種の中でもっとも社交的で、もっとも調教された種であり、子供たちと遊ぶ能力は彼らの天性といえるものだ。いたずらのない散歩を1週間も続ければ、サモエード犬は鬱になってしまうほどだからだ。
サハリン・ハスキー 北の郵便局員そして日本の伝説
 サハリン犬、ギリヤークのそり犬、あるいは日本語で樺太犬、これらはいずれも今ではほとんど消滅してしまった犬種サハリン・ハスキーの呼び名である。この古い歴史をもつそり犬はかつて沿アムール地方とサハリンの少数民族ニヴフとともに働いてきた。雪の中も転ばずに走ることができる大きな足、知性、辛抱強さがこの犬たちを極東の人々の生活になくてはならないものにした。
 サハリン・ハスキーの犬ぞりはサハリンの一般的な冬の輸送手段であった。魚、冷凍の牛乳、郵便小包、人・・・・、御者が制御する30頭から成る犬ぞりは氷塊や吹雪を物ともせず、あらゆる品、あらゆる人を運んだ。1930年代、持久力があって、穏やかで、人間の出す指示をよく覚えるこの犬は赤軍でも使われるようになった。
 しかしソ連政府はニヴフ民族が伝統的に食べさせていたサケの干し肉を犬たちに与えることは、国にとって浪費だと考え、犬たちを駆除することにした。その結果、サハリンではこの犬種がほぼ全滅した。1950年ごろまでにサハリン・ハスキーはわずかに日本に残っていたが、そんな日本では彼らにまつわる伝説がうまれた。
 1958年、日本の観測隊が樺太犬とともに南極観測に出発した。しかし観測隊員たちは激しい嵐に遭遇し、15頭の犬を南極に残して避難することを余儀なくされた。観測隊のメンバーたちはすぐに犬たちを迎えに行くつもりだったが、天候のせいでなかなか行くことができなかった。
 それから1年後、日本の隊員たちはサハリン・ハスキーたちを埋葬しようとようやく南極にたどり着いたが、なんとそのうちの2頭、タロとジロが奇跡的に生き残っていたのである。このサハリン・ハスキーは国のヒーローとなった。彼らのために記念碑が建てられ、彼らを描いた映画「南極物語」が製作された。またこの映画はのちにアメリカでリメイクされ、「Eight Below」という作品となった。
ネネツ・ライカ、ヤクート・ライカ 極地探検に参加した犬たち
 20世紀前半の北極探検において、犬ぞりはロシアの研究者たちの主要な移動手段であった。厳しい条件において、犬と人間の間の「取り決め」という特別な関係が非常に重要だったのである。
 極地研究者のゲオルギー・ウシャコフは50頭のライカ犬から成る犬ぞりで探検に出かけた。この探検の結果として1930年、世界地図にはセヴェルナヤ・ゼムリャ諸島という新たな島が書き加えられることとなった。ウシャコフの探検隊は犬たちのためにシロクマやアザラシなどの新鮮な肉を調達し、犬の足に履かせる特別な靴を縫い、寝床にする穴を雪の中に掘ってやった。そして犬たちはそれに応えるように、彼らのために数千キロを走ったのである。
 極圏での2年にもわたる生活、ツンドラでの連日の作業、長い極圏の夜・・・。極地探検の厳しい条件を耐え抜くことができるのは、安定した精神状態で、屈強な北欧的性質をもち、食べ物の好き嫌いのないライカ犬だけなのである。
http://blogos.com/article/212890/

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僻地住民、「work-for-the-dole」制度で罰金

2017-03-07 | 先住民族関連
日豪プレス-2017/03/04
地域の実情無視した制度で55,000件の違反
 失業手当を受ける代償として週に25時間何らかの仕事をする「work-for-the-dole」制度に登録していいる35,000人に対してわずか3か月で55,000件の違反罰金通告があった。
 ABC放送(電子版)が伝えた。
 連邦議会上院予算委員会で明らかにされたもので、問題の制度は「Community Development Programme (地域開発プログラム、CDP)」と呼ばれるもので、登録者はほとんどが僻地のアボリジニとなっている。また、他の失業手当プログラムよりも週あたりの労働時間が3倍も長い。
 首相府は、2016年7月1日から9月30日までの間に54,997件の罰金通告を出したことを認めた。また、2015年7月のCDP設立以来20万件の罰金通告があった。
 罰金通告は、CDP制度下で遅刻または欠勤があった場合には2週間分の手当ての10%が罰金として削られることになっている。Newstartの場合には支払われる手当は週$290で罰金は$48から$57となっている。結局、その四半期には5,000人が8週間の支払い停止になっている。
 「罰金制度で受給者の生活が苦しくなっているのではないか」という質問に対して、ナイジェル・スカリオン先住民族問題相はこれを否定し、「私は個々の問題をチェックしたが、メディアなどが報道しているような、制度のために困窮者が出たというのは間違いだ」と語った。
 2016年の上院予算委員会で、「このプログラムの違反者の90%は僻地に住むアボリジニかトーレス海峡諸島人」という報告が出されている。また、北部準州がもっとも罰金率が高いことも報告されている。
■ソースRemote work-for-the-dole participants hit with 55,000 fines in three months
http://nichigopress.jp/ausnews/news/140358/

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日本軍のブルーム攻撃75周年祈念式典開かれる

2017-03-07 | 先住民族関連
日豪プレス-2017/03/03
日本政府「大勢の犠牲者に心からの哀悼」を表明
 3月3日、第二次世界大戦中の1942年3月3日、数機の零戦がWA州北部ブルームの町を攻撃し、飛行場の連合軍の軍用機22機を破壊、その他に飛行艇15機を破壊した。この飛行艇は蘭領ジャワからのオランダ将兵と民間人の避難のために往復飛行していてブルームに到着したばかりで、大勢のオランダ人が乗っており、公式発表で80人、実際には100人を超える犠牲者が出たとされている。また、日本軍側も零戦パイロットの工藤修中尉が撃墜され、遺体は地元先住民族の人々の手によって海岸に埋葬された。2017年3月3日、ブルームで日本軍攻撃75年の式典が行われた。
 ABC放送(電子版)が伝えた。
 今年の式典にはコリン・バーネットWA州首相、野党労働党のマーク・マクガワン党首らが出席し、日本政府から派遣された使節のカタエ・タカシ副団長が、「大勢の犠牲者に心からの哀悼の意を表する。第二次世界大戦中に日本軍がオーストラリアのブルームや他の土地を攻撃し、甚大な破壊と多数の犠牲者を出したことを決して忘れない」と述べた。
 当時のブルームは、日本軍のアジア地域での南進が速かったため、蘭領ジャワからの避難民やオランダ軍将兵で混乱しており、その氏名を届け出ていない人も多かったため、犠牲者の精確な数は今も明らかになっていない。
 また、オランダからも犠牲者の家族が出席しており、エリカ・ショウテン・オランダ王国駐豪大使は、「日本軍の迫ってくる蘭領ジャワを逃れたオランダ人避難民は、安全なブルームに着いてほっとしたが、そこで攻撃を受け、全員が犠牲になった家族も多い。なんとむごい皮肉か。ブルームは戦争までは静かな町だったが、一転して忘れられない悲劇の場面になった。ブルームの人々の援助と助力に感謝したい」と述べた。
 カタエ副団長は、「第二次世界大戦以後、オーストラリアと日本は友邦になった。戦争の恐怖を再び繰り返してはならない。この場を借りて、日本は戦後のオーストラリアの寛大さに感謝の意を表したい。日本は戦争の悲劇を再び繰り返すことはしないと決意した」と述べた。
■ソースJapanese Government expresses ‘sincere condolences’ 75 years after attack on Broome
http://nichigopress.jp/ausnews/world/140289/



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サンライズもサンセットも!エアーズロックはレンタカーがお勧め

2017-03-07 | 先住民族関連
ORICON NEWS-2017/03/02
オーストラリアのシンボルで世界最大級の一枚岩エアーズロック、そして36個の奇岩が集まったオルガ岩群、これらはウルル・カタジュタ国立公園に指定されています。また、先住民族アボリジニの文化と伝統が色濃く残ることから、ユネスコに自然・文化の複合遺産としても登録されました。
そんな国立公園を楽しむならレンタカーが一番!あのエアーズロックのサンライズもサンセットも、ベストタイミングで臨むことができます。
早朝から日没まで!エアーズロックは行動範囲が広がるレンタカーで
世界で2番目に大きな一枚岩のエアーズロック(ウルル)、そして36個の奇岩が集まったオルガ岩群(カタジュタ)、これらはウルル・カタジュタ国立公園内にあり、オーストラリア政府によって大切に管理されています。
観光のベースとなるのが隣接する「エアーズロック・リゾート」ですが、エアーズロックへは約20キロ、オルガ岩群へはは約50キロと離れているため、一般的にはツアーに参加することになります。
しかし、ツアーは便利である反面、時間に制約があるため、思いどおりに公園内を移動できないのが最大の難点です。
そのため、頼りになるのがレンタカーで、エアーズロック空港での貸し出し・返却が可能です。
海外でレンタカーを運転するのが初めての方なら、ちょっと不安になるかもしれません。しかし、ウルル・カタジュタ国立公園内の道路はきれいに舗装され、交通量も少ないので心配ありません。また、日本と同じ右側通行、さらにレンタカーの大半が日本車ということもあり、まさしく日本人にとってはレンタカー天国なんです。
サンライズもサンセットも!いろいろな顔を見せるエアーズロック
赤土の荒野になべをかぶせたような形のエアーズロック、周囲は約9.5キロ、地上からの高さは約530メートル、オーストラリアのシンボルであると同時に、原住民アボリジニにとっては非常に重要な聖地とされています。そのため、現在ではその名称も正式に「ウルル」に変更されています。
そんなエアーズロックは、1日のうち何度でも、時間や天候によって岩肌を変化させます。その様子がとりわけ顕著になるサンライズとサンセットのタイミングを見逃したくないなら、レンタカーの出番です。
日の出においては、大きな岩肌が、暗闇から太陽の光を浴びて徐々に姿をあらわします。分刻みに赤みを帯びていくその姿はドラマチックです。
また、日の入りでは、太陽が西に傾き始めるころから、岩肌もそれに呼応するように赤みを帯び始めます。そして、日の光が届かなくなるその瞬間、大きな岩が燃え上がるように浮かび上がり、その後は徐々に闇の中に消えていきます。ただし、本当に燃え上がるように赤くなるのは、微妙な気象条件が整ったときだけですから、念のため。
エアーズロック、あなたはそれでも登りますか?
せっかくエアーズロックに行くんだから、ぜひとも登りたい!そんな観光客が世界各国からやってきます。
しかし、エアーズロックは先住民族アボリジニの聖地で、古代から大切にしてきた場所です。オーストラリア政府としても「登れるけれども、登ってほしくない」、そんなスタンスで観光客を迎え入れています。だから、いざエアーズロックに登ろうと思っても、なかなかすんなりとは登ることができません。
エアーズロック登山には、さまざまな制約があります。
12月から1月の夏季、日中の気温が高くなると予想されるとき、山頂の風が強くなると予想されるとき、そしてアボリジニの文化的儀式があるときなどは終日登山が禁止されます。
したがって、やる気満々で登山口に到着した旅行者が、登山禁止の立て看板を見て肩を落としている姿を見かけます。
しかし、登山するだけがエアーズロックを楽しむ方法ではありません。エアーズロック周辺にはさまざまなウォーキングトレイルが整備されており、30分程度のショートウォークから、5時間程度かけて1周するベースウォークまであります。
わざわざ登らなくても、歩くことでエアーズロックを十分に感じることができるんです。
アボリジニ文化を知ると、エアーズロックがさらに楽しめる!
エアーズロックを楽しむ前にぜひ訪れていただきたいのが「ウルル・カタジュタ カルチュラルセンター(Ululu Kata Tjuta Caltural Centre)」です。ここでは、この地域に昔から住んでいるアボリジニの文化や生活様式をパネルやビデオを使って紹介しています。
この施設を訪れると、ただ単なるオーストラリアのシンボルとしてしか捉えていなかったエアーズロックの存在が、あなたの中できっと変わるはずです。そういう意味でも、エアーズロック観光の前にぜひ立ち寄っていただきたいスポットです。
レンタカーならオルガ岩群にも思いのまま!
レンタカーを借りたなら、当然オルガ岩群(カタジュタ)にも足を延ばしたいところです。エアーズロックからは、約50キロ、45分のドライブです。
マウントオルガを初めとする36個の奇岩からなるオルガ岩群は、アボリジニ名ではカタジュタと呼ばれています。何とこのオルガ岩群、地中ではエアーズロックとつながっていると言われていますので、この岩の全体像を想像することができません。
また、オルガ岩群には、渓谷内を歩くことができるトレイルがあります。1つは片道約2キロのワルパ渓谷、もう一つは1周約7キロの風の谷です。トレイルによって駐車場が違うのでご注意ください。
さあ、レンタカーでウルル・カタジュタ公園を楽しもう!
エアーズロックの空港には幾つかのレンタカー会社があります。事前にウェブサイトで車種や予算を確認して、予約しておくほうが手続上スムーズです。
また、エアーズロック・リゾート及びウルル・カタジュタ公園をレンタカーで走行することについて制約はありませんが、事故防止のため、夜間にアリススプリングスなどへ遠出することを許可していないレンタカー会社もあります。エアーズロックならではのレンタル規約が定められている場合がありますので、借りる際に確認が必要です。
では、レンタカーを使ったエアーズロック観光、安全に気をつけて存分に楽しんでください。
■関連MEMO
ノーザンテリトリー政府観光局
http://northernterritory.com/ja-jp/uluru-and-surrounds/uluru-ayers-rock
【トラベルjpナビゲーター】やま かづ
http://www.oricon.co.jp/article/132046/

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19年に台湾から与那国へ 3万年前の航海徹底再現計画

2017-03-07 | 先住民族関連
八重山毎日オンライン-2017/03/02
国立科学博物館 台湾の博物館と合意書
 【台北】国立科学博物館の「3万年前の航海徹底再現プロジェクト」は、台湾の竹を使ったいかだで2019年に台湾から与那国島までの航海を試みることになった。昨年7月に与那国島から西表島を目指した草舟に続く取り組み。台湾の国立台湾史前文化博物館(張善楠館長、台東市)が共同で取り組むことになり、2日には台北市内で合意書を取り交わした。同プロジェクト代表の海部陽介人類研究部・人類史研究グループ長は「遠い祖先がどうやって沖縄までたどり着いたのか知りたい。多くの人々とおもしろさをシェアしたい」と話している。
 同プロジェクトは、日本列島に人類が到達したルートのうち、沖縄ルートの再現・検証に取り組む。
 台湾から与那国への航海に使ういかだは、台湾の先住民族のひとつ、アミ族の竹製のいかだを参考にし、台東地区で伐採した竹で今月下旬から来月にかけて製作。6月上旬には台東で試験航海を予定している。丸木舟で渡った可能性も検証し、18年までの2年間かけて実験・研究した後、19年に台湾から与那国に向けて航海を試みる。
 南西諸島では、直接測定によるものとしては最古となる2万年前の人骨が白保竿根田原洞穴遺跡(石垣市)で見つかるなどしており、海部センター長は「(人類は沖縄へ)台湾から行った可能性がすごく高いと思う。台湾と与那国の間には黒潮があるが、祖先は黒潮を渡るのに成功した。それがどれだけ難しい挑戦だったかはわかっていない」と話す。
 同プロジェクト事務局は、3万年前の人類がどのように沖縄の島を認識していたのかを検証するため、台湾から沖縄の島が見えるかという点に関する情報の提供を呼び掛けている。問い合わせは同事務局(koukai@kahaku.go.jp)(松田良孝通信員)
http://www.y-mainichi.co.jp/news/31262/

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