北海道新聞 03/14 17:00
ドイツの民間学術団体が札幌で盗掘されたアイヌ民族の遺骨1体の返還を決めた問題で、発掘場所は北大近くの公園、偕楽園(かいらくえん)緑地(札幌市北6西7~北区北7西7)周辺にかつてあったアイヌ集落(コタン)だったことが、北大の小田博志教授(人類学)が同国で行った調査で判明した。1882年(明治15年)に同国で発行された学術雑誌に「カイラクエン」の名称が記されていた。
79年に盗掘し、遺骨を母国に持ち帰ったドイツ人旅行者ゲオルク・シュレジンガー本人の翌年の報告には発掘場所の具体名はなく、「政府の試験農場」といった報告の内容から歴史の専門家が偕楽園周辺の可能性を指摘していた。
小田教授が先月、ベルリンの国立図書館で当時の文献を閲覧。遺骨の提供を受けた解剖学者ルドルフ・ウィルヒョウが82年発行の民族学雑誌に「シュレジンガー氏はサッポロの試験農場(カイラクエン)からアイヌの頭骨を持ち帰った」と書いているのを見つけた。
偕楽園は71年に開拓使が札幌に初めて造った公園で、周辺にはサクシュコトニ川にのぼるサケを捕って暮らしていたコタンがあった。小田教授は「発掘場所の特定は誰に、あるいはどこに返還すればいいかを検討する上で重要な情報」とみる。
当時、コタンの長(おさ)は琴似又市さん。ひ孫に当たる旭川市の女性(73)は「北大のアイヌ納骨堂で行われた慰霊の儀式に参加したことがあり、アイヌ民族の遺骨がたくさん集められていたことは知っていましたが、コタンの遺骨が海外にまで持ち出されていたことが分かり、戸惑いを感じています」と話している。(編集委員 小坂洋右)
■小田博志北大教授「子孫の声聞くべき」
ドイツの民間学術団体「ベルリン人類学民族学先史学協会」がアイヌ民族の遺骨1体の返還を決めたことを巡り、先月、同国でその遺骨と対面し、ウォルフラム・シーア会長とも会談してきた北大大学院文学研究科の小田博志教授(人類学)に、受け入れに向けた課題などを聞いた。(聞き手・編集委員 小坂洋右)
――協会が返還を決めた理由は何ですか。
「収集者は夜陰に乗じて掘り出したと報告しており、協会独自の倫理規定に照らして不法な収集方法だったと認定されました。今後、同様の実態が明らかになれば、返還される遺骨が増える可能性もあります。日本国内でもかつての収集のあり方を再検証すべきではないでしょうか」
――受け入れに向けて求められることは。
「遺骨は埋葬地から海外に持ち去られて形状などが測定されたが、そうした研究手法が時代遅れになり、放置されてきました。人としての尊厳が奪われてきたわけです。だから、それをまず回復しなければなりません。私たちは、協会のメンバーとともに、かつてこの地で生きていた人間を帰還させるのだという思いを共有する必要があります」
――地元の対応はどうあるべきですか。
「最も重要なことは子孫の声を聞き、郷里の土へと戻れるように努めることです。当事者はサクシュコトニ・コタン(集落)の子孫であり、もっと広げるとかつての札幌や石狩のコタンゆかりの人々です。当事者との対話や協議の枠組み抜きで意思決定することは望ましくありません。かつてのコタンの構成員や暮らしの情報を集め、コタンの歴史の中に遺骨を位置づける努力も欠かせないと思います」
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/1-0378650.html
ドイツの民間学術団体が札幌で盗掘されたアイヌ民族の遺骨1体の返還を決めた問題で、発掘場所は北大近くの公園、偕楽園(かいらくえん)緑地(札幌市北6西7~北区北7西7)周辺にかつてあったアイヌ集落(コタン)だったことが、北大の小田博志教授(人類学)が同国で行った調査で判明した。1882年(明治15年)に同国で発行された学術雑誌に「カイラクエン」の名称が記されていた。
79年に盗掘し、遺骨を母国に持ち帰ったドイツ人旅行者ゲオルク・シュレジンガー本人の翌年の報告には発掘場所の具体名はなく、「政府の試験農場」といった報告の内容から歴史の専門家が偕楽園周辺の可能性を指摘していた。
小田教授が先月、ベルリンの国立図書館で当時の文献を閲覧。遺骨の提供を受けた解剖学者ルドルフ・ウィルヒョウが82年発行の民族学雑誌に「シュレジンガー氏はサッポロの試験農場(カイラクエン)からアイヌの頭骨を持ち帰った」と書いているのを見つけた。
偕楽園は71年に開拓使が札幌に初めて造った公園で、周辺にはサクシュコトニ川にのぼるサケを捕って暮らしていたコタンがあった。小田教授は「発掘場所の特定は誰に、あるいはどこに返還すればいいかを検討する上で重要な情報」とみる。
当時、コタンの長(おさ)は琴似又市さん。ひ孫に当たる旭川市の女性(73)は「北大のアイヌ納骨堂で行われた慰霊の儀式に参加したことがあり、アイヌ民族の遺骨がたくさん集められていたことは知っていましたが、コタンの遺骨が海外にまで持ち出されていたことが分かり、戸惑いを感じています」と話している。(編集委員 小坂洋右)
■小田博志北大教授「子孫の声聞くべき」
ドイツの民間学術団体「ベルリン人類学民族学先史学協会」がアイヌ民族の遺骨1体の返還を決めたことを巡り、先月、同国でその遺骨と対面し、ウォルフラム・シーア会長とも会談してきた北大大学院文学研究科の小田博志教授(人類学)に、受け入れに向けた課題などを聞いた。(聞き手・編集委員 小坂洋右)
――協会が返還を決めた理由は何ですか。
「収集者は夜陰に乗じて掘り出したと報告しており、協会独自の倫理規定に照らして不法な収集方法だったと認定されました。今後、同様の実態が明らかになれば、返還される遺骨が増える可能性もあります。日本国内でもかつての収集のあり方を再検証すべきではないでしょうか」
――受け入れに向けて求められることは。
「遺骨は埋葬地から海外に持ち去られて形状などが測定されたが、そうした研究手法が時代遅れになり、放置されてきました。人としての尊厳が奪われてきたわけです。だから、それをまず回復しなければなりません。私たちは、協会のメンバーとともに、かつてこの地で生きていた人間を帰還させるのだという思いを共有する必要があります」
――地元の対応はどうあるべきですか。
「最も重要なことは子孫の声を聞き、郷里の土へと戻れるように努めることです。当事者はサクシュコトニ・コタン(集落)の子孫であり、もっと広げるとかつての札幌や石狩のコタンゆかりの人々です。当事者との対話や協議の枠組み抜きで意思決定することは望ましくありません。かつてのコタンの構成員や暮らしの情報を集め、コタンの歴史の中に遺骨を位置づける努力も欠かせないと思います」
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/1-0378650.html