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ダコタ・アクセス・パイプラインに抗議する先住民、ホワイトハウス前に集結「私たちは抵抗する」

2017-03-13 | 先住民族関連
The Huffington Post  |  執筆者: Chris D’Angelo
投稿日: 2017年03月12日 17時30分 JST 更新: 2017年03月12日 17時30分 JST

アメリカの首都ワシントンで3月10日朝、石油パイプライン「ダコタ・アクセス・パイプライン」(DAPL)の建設に抗議するアメリカ先住民らと支援者がデモ行進をした。
ダコタ・アクセス・パイプラインの建設地近くに居留地があるアメリカ先住民「スタンディングロック・スー族」の参加者数十人を含む数千人のデモ隊が行進し、ダコタ・アクセス・パイプライン、そして建設再開の大統領令に署名したトランプ大統領への抗議は7日から4日間に及んだ。
みぞれが降り、最高気温が0度近い真冬日、デモ隊はホワイトハウスに向けて出発する前に、パイプラインの建設許可を与えた陸軍工兵司令本部前に集結した。参加者は、行進しながら「石油は飲めない、採掘をやめろ」と口々に叫んだ。
スタンディングロック・スー族と支援団体「先住民族環境ネットワーク」が組織するアメリカ先住民たちのデモ行進は、陸軍工兵司令が2月7日に環境影響評価を中止し、パイプライン建設完了に許可を与えた約1カ月後に行われる。
モンタナ州北シャイアン族のレイモンド・キングフィッシャーさんはハフィントンポストUS版に、「2016年に6回スタンディング・ロックの居留地に足を運んで抗議に加わった」と語った。彼はトランプ政権に「我々はまだここにいる」と、抗議は終わっていないことを強調した。
「彼らは私たちに向き合わなければならない。私たちはどこへも行くつもりはない」と、キングフィッシャーさんは10日の行進中に語った。「彼らには、条約を守り、我々の権利を尊重する必要がある」
#NativeNationsMarchで歌に加わるモンタナ州北シャイアン族のレイモンド・キングフィッシャーさん
ホワイトハウスに向かう途中で、抗議デモの参加者たちはトランプ・インターナショナル・ホテルの前に集まり、ティーピー(アメリカ先住民のテント小屋)を立てて音楽やチャントを奏で、踊った。午前11時45分頃、彼らはホワイトハウス前の芝生のすぐ北にあるラファイエット広場に到着した。
ネブラスカ州オマハ族のメアリー・フィリップスさんはハフィントンポストUS版に「大統領はアメリカ先住民の声に耳を傾けていない」と語った。「彼が話を聞くまで、デモは続くだろう」
「大統領が先住民の居留地に行く機会はないでしょう」と、フィリップさnは言った。「現地に行って、何が起きているかを見る機会はないでしょう」
だから、先住民たちは大統領にメッセージを送ることにしたという。
トランプ氏は、何カ月にも及ぶ抗議活動を無視し、パイプライン建設再開を認める大統領令に署名した。トランプ氏は、「このプロジェクトが物議をかもすとは思えない」と発言した。
「抗議の電話なんて1本もなかった」とトランプ氏は語っている。「いいか、私が何かするときは、たいてい混乱がおきて騒ぎになるだろう? 誰からも、何の抗議もないじゃないか」
先住民のための人権団体「Peaceful Advocates for Native Dialogue and Organizing Support(原住民との対話と支援の組織化に関する平和的な信奉者たち)」代表で、ユタ州ホピ・チェマウェヴィ族のカール・ムーア氏は、民族服と羽で覆われた被り物を身にまとった多くの先住民たちと共に行進した。ムーア氏は、今回のデモ行進はパイプラインやトランプ氏への抗議だけではなく、先住民の自治権を求めるものだと語った。
「これは、この地球を守るという、アメリカ先住民が負っている神聖な義務を認めることです。私たちには環境を守るという、神から授かった義務があります」とムーア氏は言った。「そして、私たちの主権は尊重されなくてはなりません。それが尊重されたことなど今まで一度もありませんでした」
国中の部族たちがワシントンD.C.に何日間も集結し、ホワイトハウスに近いナショナル・モールにティーピーを立てた。
抗議集会では、スタンディングロック・スー族の代表デーブ・アーチャムボルト2世や民主党のタルシー・ギャバード下院議員がいた。ギャバード氏は2016年12月、抗議が激しくなる中、ノースダコタ州スタンディングロック・スー族の居留地にあった抗議デモの拠点「オセチ・サコウィン・キャンプ」に出向き、人々が凍える寒さの中で野営キャンプを張って抗議していた光景を目にしている。
部族の代表者らは9日、石油パイプラインの建設計画に反対するバーニー・サンダース上院議員と面会し、先住民らが直面している問題を話し合った。
抗議デモ参加者は10日、「先住民の権利を認めよ。私たちは存在する。私たちは抵抗する。私たちは立ち上がる」と書かれたプラカードを持ってデモ行進した。
ムーア氏は、「今こそ世界が目を覚ましてひとつになり、片隅に追いやられた全てのコミュニティのために戦い始めるべきだ」と語る。
「特権階級の人間は、このように片隅に追いやられたあらゆるコミュニティを支援し、先導する必要があるのです」とムーア氏は話した。「そうすれば、私たちは世界に変化を起こすことができます。アメリカだけでなく、世界を変えられます」
■ ダコタ・アクセス・パイプラインとは
ダコタ・アクセス・パイプラインは、「エナジー・トランスファー・パートナーズ」がノースダコタ州のバッケン油田からイリノイ州の石油ターミナルまでをつなぐ1172マイル(約1886キロメートル)のパイプラインをおよろ38億ドル(約4360億円)かけて建設するプロジェクト。建設ルート近くの居留地に住むアメリカ先住民スタンディングロック・スー族とその支援者たちが、水源のミズーリ川が汚染されることを懸念し、「水の保護者」として抗議デモを続けていた。
陸軍工兵司令部は2016年12月4日、ミズーリ川をせき止めたダム湖「オアへ湖」の地下を掘削する地役権(ある土地の便益のために、他人の土地を利用する権利)の承認を拒否し、地下にパイプラインを通す工事を認可しないと発表し、建設は中断されていた。バラク・オバマ前政権は、パイプラインによって起こり得る環境への影響を調べ、他のルートを探るための環境影響評価報告書をまとめるよう陸軍工兵司令部に指示した。
スタンディングロック・スー族はこの計画に一貫して反対しており、部族が生活する居留地の水資源に打撃を与え、神聖な土地を脅かし、連邦文化財保護法とスタンディングロック・スー族ら先住民の居留地を侵害しないと約束した1851年のフォート・ララミー条約に違反しており、連邦当局はパイプラインが環境に及ぼすリスクを適切に調査していないと主張している。
しかしトランプ大統領は1月24日、ダコタ・アクセス・パイプラインの工事を進め、カナダのアルバータ州からネブラスカ州までの1179マイル(約1897 キロメートル)をつなぐパイプライン「キーストーンXL」建設を手がける「トランスカナダ」に、オバマ前大統領が2015年に却下した建設計画の再申請をするように促す大統領令を出した。トランプ氏は建設再開で「多くの雇用、2万8000もの雇用を生む。素晴らしい建設計画だ」と述べた。
大統領令を受けて陸軍工兵司令部は7日、環境に及ぼす影響調査が完了するまで建設許可を与えないとしていた方針を覆し、環境影響評価の調査を中止し、建設を完了させる許可を与えると発表した。エナジー・トランスファー・パートナーズは9日からパイプラインの最終区間の建設を開始した。
ワシントン連邦地裁のジェームス・ボアズバーグ判事はエナジー・トランスファー・パートナーズ社に対し、ノースダコタ州の貯水湖の地下にパイプラインを通す工事再開を認めた。一方アメリカ先住民のスタンディングロック・スー族とシャイアンリバー・スー族は戦略を変更し、陸軍工兵部隊とエナジー・トランスファー・パートナーズに対する法廷闘争へと移行し、訴訟が現在も複数進行している。
http://www.huffingtonpost.jp/2017/03/11/dapl_n_15306068.html

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【市況】【フィスコ・コラム】:天国に一番近い通貨パシフィック・フラン

2017-03-13 | 先住民族関連
株探ニュース-2017年03月12日07時00分
南洋諸島のニューカレドニアに出張する知人の話を聞き、東京の寒い空の下で夏の日差しが恋しくなりました。同時に、代表的なトロピカル・カクテルのピニャコラーダを飲む時に使う通貨パシフィック・フランは、一体どのような値動きをしているのか、気になりました。
日本がこれからバブルを迎えるという1980年代に、ニューカレドニアを舞台とした「天国に一番近い島」という映画がありました。この印象的なタイトルは、作家の森村桂(故人)が亡き父親から聞いていた楽園のようなニューカレドニアの旅行記から借りたものです。
映画は、1960年代に出版された原作とは趣が異なるものの、当時の能天気なサーファー文化真っ盛りだった時流に乗ってヒットし、南洋のリゾート旅行ブームのきっかけにもなりました。調べてみると、ニューカレドニアは興味深い歴史があります。映画「天国に??」で描かれているほどお気楽な国ではないようです。
1774年にこの島を発見したイギリス人のクックが、山並みを見てスコットランドの風景に似ていることから、スコットランドのローマ時代の旧名「カレドニア」を名前に使ったといわれています。その後、フランスの植民地となってからは政治犯の流刑先でした。今は楽園ですが昔は「地の果て」と思う人もいたでしょう。
ニッケル産業が盛んなことでもよく知られています。埋蔵量は世界の4分の1とみられており、19世紀末から世界的なニッケル需要とともに大きく発展しました。しかし、1990年代には先住民族の自治権拡大を求める独立運動が激化し、内戦に発展しました。
この結果、1998年に交わされたヌーメア協定では、ニューカレドニアのアイデンティティを維持することが約束されました。将来的にフランスは、外交、国防、司法権、通貨発行以外の権限をニューカレドニア特別共同体に移譲することが決まっています。
2018年11月までに独立の是非を問う住民投票を行う予定で、現在は政治・経済上の過渡期とも言えるでしょう。ニューカレドニアやタヒチなどフランス領南洋諸島で流通している通貨はパシフィック・フランです。本国フランスが1999年にユーロを導入したのに伴い、1ユーロ=119.33パシフィック・フランで固定されています。
仮に、4月、そして5月のフランス大統領選で、欧州連合(EU)離脱を掲げる極右政党、国民戦線(FN)のルペン党首が選出された場合、パシフィック・フランは復活が見込まれるフランス・フランに固定されるはずなので、ユーロとの固定レートは見直されるかもしれません。
通貨だけでなく、植民地政策そのものも変化する可能性はあるでしょう。遥か遠く離れた本国フランスの都合で、天国に一番近い島が天国から遠ざからないよう見守りたいと思います。
(吉池 威)
《MT》
 提供:フィスコ
https://kabutan.jp/news/marketnews/?b=n201703120006


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米先住民がホワイトハウスへデモ行進、石油パイプライン建設に抗議

2017-03-13 | 先住民族関連
AFPBB News 2017年03月11日 20:38  発信地:ワシントンD.C./米国

米首都ワシントンで、ノースダコタ州のダコタ・アクセス・パイプライン建設などに抗議するデモ「ネイティブ・ネイションズ・ライズ」に参加した人々(2017年3月10日撮影)。(c)AFP/NICHOLAS KAMM
【3月11日 AFP】米首都ワシントン(Washington D.C.)で10日、ノースダコタ(North Dakota)州の先住民居留地近くを通る石油パイプラインの建設に抗議するため、先住民らの団体がホワイトハウス(White House)に向かってデモ行進を行った。
「ダコタ・アクセス・パイプライン(Dakota Access Pipiline)」の建設計画はバラク・オバマ(Barak Obama)前大統領の政権下で却下されたが、ドナルド・トランプ(Donald Trump)大統領は就任後最初の週に計画を再開させる大統領令に署名した。
 デモに参加した約500人の中には打楽器に合わせて踊ったり、先住民の言葉で掛け声を響かせたり、「水は命」というスローガンを叫ぶ人々が見られた。ある参加者は「政府はきれいな水に対するわれわれの公民権を侵害している」とAFPに語った。
 先住民スタンディングロック・スー族(Standing Rock Sioux Tribe)とその支持者らは、このパイプラインによって先住民の聖地を含む居留地が荒廃し、また飲料水の水源であるミズーリ川(Missouri River)と人造湖のオアヒ湖(Lake Oahe)が汚染されると訴えている。
 建設会社エナジー・トランスファー・パートナーズ(Energy Transfer Partners)によれば、1日当たり50万バレル以上の石油を輸送する予定のダコタ・アクセス・パイプラインは今月中に稼働可能となる。(c)AFP/Maggy DONALDSON
http://www.afpbb.com/articles/-/3121018

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新聞漫画家のビル・リーク氏、病院で心臓発作死

2017-03-13 | 先住民族関連
日豪プレス-2017年3月10日
アボリジニ取り上げた一コママンガで議論沸騰させる
 オーストラリアン紙の一コママンガ作家、ビル・リーク氏(61)が病院で亡くなったことが伝えられている。死因は心臓発作の疑いが濃い。
 ABC放送(電子版)が伝えた。
 リーク氏は、1994年からニューズ・リミテッド系紙に政治批評の一コママンガを描いており、ジャーナリズムの賞であるウォークリー賞を9回受けているが、その作品はしばしば議論を巻き起こしており、2016年のマンガではオーストラリアの先住民族を攻撃した内容だとして批判を受けた。リーク氏は、「率直な議論を望んだだけ」と語っている。
 リーク氏はSA州アデレードに生まれたが、シドニーで育ち、ジュリアン・アシュトン美学校に学んだ。その後、ヨーロッパを旅して、その地域の美術に開眼した。1983年には廃刊された雑誌、「ブレティン」誌に職業として一コママンガを描き始め、その後、シドニー・モーニング・ヘラルド紙に移籍した。
 その後に、ニューズ・リミテッド社のデーリー・テレグラフに移籍し、一コママンガ作家としての名声を高め始めた。
 また、肖像画コンテストのアーチボルド賞にも何度か応募しており、2005年には小説を出版、ABCでも6夜のミニTVシリーズ「Face Painting」として放送された。
■ソース
Bill Leak, editorial cartoonist for The Australian, dies aged 61 of suspected heart attack
http://nichigopress.jp/ausnews/entertainment/140522/

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【維新伝心150年】肥前佐賀藩・鍋島直正(下)肥前の魂、北海道の礎に

2017-03-13 | アイヌ民族関連
産経新聞 2017.3.11 07:02
北海道を守ることは、日本を守ることだ-。肥前佐賀藩の近代化を推し進めた10代藩主、鍋島直正(1815~1871)は、北海道開拓と防衛の必要性に、早くから気付いた。直正の考えに沿って、佐賀藩を中心に多くの九州人が、北海道開拓に尽力した。
 「北方を固めることは、長崎警備と同様に、日本を外国から守るのに不可欠だ」。直正は口癖のようにこう語り、蝦夷地(北海道)に関心を寄せた。
 長崎のオランダ商館長が幕府に提出する世界情勢の解説文書「オランダ風説書」には、列強のアジア進出が詳細に記されていた。長崎港の防衛を担う直正も、この文書を読んでいた。特に気がかりなのが、ロシア帝国だった。
 嘉永6(1853)年、浦賀に来た米国ペリーに続き、ロシアのプチャーチンが軍艦を率いて長崎港に来航した。「南へ勢力を広げようとするロシアにとって、蝦夷地は格好の獲物ではないか」。直正の脳裏に、警報が鳴り響いた。
 直正は幕府の大老、井伊直弼(1815~1860)と馬があった。
 直正の祖父・治茂が、井伊家の姫を娶(めと)って以来、両家は結びつきがあった。直正と直弼は同い年だった。
 何より、正確な情報で列強の力を把握していた2人だけに、危機感を共有していた。
 イギリスの外交官アーネスト・サトウによると、直正はしきりにまばたきをしながら、ぶっきらぼうな口調でしゃべったという。
 そんな直正は、直弼としばしば、政治や歴史について語り合った。北海道も話題に上がった。
 直正は安政3(1856)年、藩士、島義勇(よしたけ)(1822~1874)を北海道に派遣した。島は4カ月かけて、北海道・樺太を調査した。
 「海産物の宝庫だが、現地の役人や商人には不正が多い。蝦夷人(アイヌ)は酷使されている。早急に開拓を始め、彼らを保護すべきです」。島は報告書「入北記」をまとめ、直正に提出した。
 あるとき直正は、直弼に切り出した。
 「天領(幕府直轄領)の天草に、わが藩の港を置かせていただけないだろうか。軍艦の訓練と蝦夷地開拓の予行演習をしたい」
 直弼は許可した。幕府にとって、産業・軍備の近代化を進める佐賀藩の力は、どうしても必要だった。
 直正はさらに、色丹島(千島列島)への停泊権を求め、認められた。
 直正は藩内の豪商・武富家に、北海道との貿易を進めさせた。この取引は、莫大(ばくだい)な利益をもたらした。北海道の防衛とともに、佐賀藩の「富国」という一挙両得だった。
 幕府大老として、倒幕派志士を弾圧した直弼は安政7(1860)年、水戸藩を脱藩した浪士に殺された。「桜田門外の変」だ。「次は直正が狙われる」。そんな風説も飛んだ。
 直正と直弼が話し合った北海道開拓構想は一時、頓挫(とんざ)した。本格的に実行されるのは、維新後だった。
 ◆固い決意
 明治2(1872)年10月。雪がちらつく道を、「サッポロ」に向けて歩く十数人の列があった。一行の中心は、佐賀藩出身の島だった。
 直正は維新後、北海道の初代開拓使長官に任命された。だが病身だった。自身の代わりに、北海道探査の経験をもつ島を、ナンバー3の首席開拓使判官に就かせた。島は、開拓の新たな根拠地(本府)建設の特命を受けた。
 直正は、赴任直前の島の自宅を訪れ、夜更けまで酒を酌み交わした。
 「上(かみ)(明治天皇)は蝦夷地について『一日たりともなおざりにできない』と仰せだ。開拓は国の命運を左右する。しっかり勤めるように」
 直々の激励に、島は感動した。
 それだけではない。北海道を行く島は、大きな黒塗りの唐櫃を背負っていた。開拓の成功を祈り、明治天皇が直々に授けた三面の神鏡が入っていた。
 氷の海でわが身が朽ち果てようとも、この任務は必ずやり遂げる-。島は固く決意していた。
 ◆碁盤の目
 北海道は危地にあった。
 幕末、プロイセンの貿易商、リヒャルト・ガルトネルは函館近郊の300万坪の土地について、99年間の租借権を得た。戊辰戦争中には、会津・庄内両藩がプロイセン政府と、資金援助と引き換えに、99年間の蝦夷地土地租借権を与える交渉を、進めたこともある。
 函館付近の租借権は、明治政府が賠償金を支払い、契約を解除した。だが、南下するロシアもいる。
 列強に対応するには、北海道南端の函館ではなく、中央に近い札幌に拠点を築く必要がある-。島らはそう考えた。
 当時の札幌は、人口20人足らずの低湿地だったが、悠々と川が流れ、かなたまで平原が広がる。
 「本府をここに置けば、世界一の都になるだろう」。島は、京都を模した碁盤の目状の大都市を築く夢を描いた。図面も引いた。
 だが、横やりが入る。
 兵部省の現地責任者、井上弥吉が、開拓使への協力を拒否した。
 兵部省は、この地へ会津藩士らの入植計画を立てていた。その予定地を、開拓使に譲渡させられた。さらに幕末の遺恨もあった。
 井上は兵部省の主流を占める長州藩士だった。
 長州藩は倒幕までに、多くの血を流した。それだけに、強大な軍事力を持ちながら、最後まで中立を保とうとした佐賀藩を嫌う人間が多かった。
 開拓使の物資荷揚げや、食料供給は遅れた。開拓使の一行は、蔵で掃き集めた土まみれの米を食べた。予算も底を突いた。
 島は右大臣の三条実美に兵部省との交渉や、予算増額を求めた。この行動に、直正の次の開拓使長官になっていた東久世通禧(ひがしくぜ・みちとみ)は、へそを曲げた。
 「大風呂敷を広げたあげく、頭越しに金の無心とは、何様のつもりだ」
 明治3年2月、島が上京する代わりに、開拓使に予算が出ることになった。事実上の解任だった。
 骨を埋める覚悟が、たった4カ月で立ち去る。胸中は無念でいっぱいだった。
 島が北海道を離れて半年後、東久世は初めて札幌を視察し、驚いた。
 現在の大通公園を中心に、北側を官庁街、南側を商業地とする巨大都市の建設が進んでいた。
 「できばえ、規模も広大で、称賛されるものである」。東久世は日記にこう書いた。
 島は明治7(1874)年2月、佐賀の乱の首謀者の一人として、処刑された。身は滅びても、札幌に巨大都市をつくるという夢は花咲いた。
 札幌の人々は、街の礎を築いた島を慕い、中心部に桜を植えた。今は1400本まで増えた。今年も4月末ごろに、咲き始める。
                   ◇
 この連載は中村雅和が担当しました。「維新伝心」は随時掲載します。
http://www.sankei.com/region/news/170311/rgn1703110023-n1.html

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巨大パッチワーク制作、白老で2回目の講座 アイヌ刺しゅうに関心高く

2017-03-13 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 (2017年 3/10)

会場に展示された巨大パッチワーク
 白老町総合保健福祉センターいきいき4・6で8日、2回目の巨大パッチワーク制作が行われた。先月15日にパッチワーク用のアイヌ刺しゅう講座を開催したところ、定員を大きく上回る50人以上が参加。2回目の開催要望が相次いだことから急きょ実施した。会場には町民以外に苫小牧市からも参加があり、談笑しながら作業する光景が広がった。
 民族共生象徴空間の2020年開設に向けた機運を高めようと、町内の官民でつくる白老町活性化推進会議が企画を立案。17センチ四方の布地を縫い合わせ、幅7メートル、長さ1メートルの巨大パッチワークを制作する。使用する布地の提供を町民に呼び掛けたところ、今月1日時点で予定を上回る3000枚超が集まっている。
 アイヌ刺しゅうサークル・フッチコラチ代表の岡田育子さんや個人で刺しゅう作品を制作している河岸麗子さんらが刺しゅうのポイントなどをレクチャー。参加した多くの人が丁寧にアイヌ文様を縫い込んだ。
 会場には一足早く完成したパッチワークが見本として展示され、その出来栄えを確認しながら作業する人も多かった。今後の作業では、白老町が進めている「多文化共生」の文字を縫い込んだパッチワークも作る計画という。岡田さんは予想以上の反響を踏まえ、当面は期限を設けずに布地の提供を受け付ける考えで「(象徴空間が開設する)20年まで制作活動を続けたい」と話す。
 町内栄町の背戸田フミ子さん(68)は前回の刺しゅう講座にも参加。「たくさんの人と一緒に作業ができるので楽しい。新しいことも学べるので勉強になります」と笑顔で語った。
 完成した巨大パッチワークは、今月25日に町コミュニティセンターで開かれる多文化共生シンポジウムでお披露目する予定だ。
http://www.tomamin.co.jp/20170348501

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