先住民族関連ニュース

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道と恵庭市「全国都市緑化フェア」誘致へ

2019-11-09 | アイヌ民族関連
北海道新聞 11/08 18:52
 鈴木直道知事と原田裕恵庭市長は8日、「全国都市緑化フェア」の2022年度の同市内開催へ向け、道と市が共同で誘致に取り組むと、それぞれの会見で発表した。
 同フェアは公益財団法人都市緑化機構と開催地の自治体の主催で1983年から全国各地で開かれ、30万人以上が訪れる。道内では86年に札幌で開かれた。
 恵庭市は「花のまちづくり」を進め、庭園などを整備中の「花の拠点」地区をメイン会場にする考え。20年にアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」が開業する胆振管内白老町や、胆振東部地震で被災した同管内厚真、安平、むかわ3町などにサブ会場開設といった協力を呼び掛け、来年6月までに道と基本構想を策定する。(山口美智瑠)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/362949

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古くて新しいカリワダム問題 大統領の権限は先住民のために

2019-11-09 | 先住民族関連
マニラ新聞 2019.11.8
 首都圏の深刻な水不足の解決策として、ケソン州とリサール州にまたがるカリワダム建設計画が大きな議論になっている。建設予定地に暮らす先住民族のレモンタード族とドゥマガット族の人々は、居住地が水没するため、ダム建設に反対の声を上げているのだ。
 しかしドゥテルテ大統領は「最大多数の最大幸福」を優先させるため、中国が187億ペソの貸付けに同意したこのダム建設事業の実施に向け「特別な権力」を行使する用意があるとも警告している。
 カリワダムはそもそも、上流のライバンダムを含む包括的な水源開発計画として、1970年代に当時のマルコス政権が提案したものだった。その後ベニグノ・アキノ政権下で、日本の資金によるもっと規模を縮小した計画が決定されたが、実現しなかった。
 現政権は元の規模で建設するために中国からの融資を求めた。これが、現在問題になっている大規模なカリワダム建設計画だ。
 環境への影響も問題だ。ダムの建設予定地は野生動物の保護区域であるカリワ流域森林保護区の一部だからだ。建設事業の影響を受ける森林は1万2千ヘクタールの広さになり、172種もの植物が確認されている。フィリピンワシなどの希少生物の生息域も破壊される。
 首都圏に十分な水を供給するために、地下水をくみ上げる井戸に加え、ラグナ湖や既存のワワダムの利用など他の方法も開発されつつある。民間の開発業者は雨水利用の設備設置も義務付けられている。そのうち海水の淡水化も可能になるだろう。
 しかし、まずカリワダムの問題を解決しなくてはならない。大統領は、ダム建設のために権力を行使すると述べたが、住む場所と故郷を失おうとしている先住民族の人々のためにも、その大統領としての権力をいかに使えるのかをよく考えるべきだ。(4日・ブレティン)
http://www.manila-shimbun.com/column/opinions/series247997.html

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人はどうすれば「虫を食べよう」と考えるようになるか

2019-11-09 | 先住民族関連
グローブ 2019.11.08
「entomophagy(食虫性)」という言葉をご存じ?
古代ギリシャ語とラテン語の合成語で、「entomon」は「昆虫」を、「phagus」は「常食にしている」を意味する。
これが、未来の「食」の姿だと見る人もいる。
国連食糧農業機関(FAO)は2013年、持続可能な未来に向けて、これまでのたんぱく源を昆虫に切り替えていく必要があるという報告書を出した。すると、ミールワーム(ゴミムシダマシの幼虫)をあなたのこれからの食事にしようとするさまざまな試みが、爆発的に広がった。
科学の世界も例外ではない。昆虫の研究者は、どうすれば食べられるかということにもっと時間を割くようになった。米昆虫学会が19年9月に出した紀要の特別号を見れば、それがよく分かる。米ジョージア州アセンズで前年に開かれた関連会議「イーティング・インセクツ・アセンズ(Eating Insects Athens)」に登場した報告者たちが、いくつもの論文を発表しているからだ。 その主なポイントをまとめてみた。
■コロンブスのおかげで
新大陸を発見し、スペインに帰還したコロンブスは、先住民を人間として扱おうとはしなかった。探検隊の一行は、昆虫を食べる習慣をあげて、それを正当化した。野蛮さを示すよい一例とし、先住民を奴隷にする根拠にもした――ミシガン州にあるウェイン州立大学の人類学者ジュリー・レスニクはこう述べる。「Edible Insects and Human Evolution(食べられる昆虫と人類の進化)」の著者でもある。
その後の植民地時代には、欧州大陸では昆虫を食べることへの嫌悪感がさらに強まり、南北アメリカに入植した欧州人にもその心情は受け継がれた。しかも、奴隷制度や工業化とともに盛んになった単一栽培の大規模農業を脅かす害虫としてのイメージも加わり、虫は忌み嫌われるようになった。
しかし、欧州の歴史をひもとくと、常にそうだったわけではない。古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、セミが好物だった。古代ローマの軍人で博物学者の大プリニウスは甲虫の幼虫を好んだ。他の大陸で昆虫を食べていた人々と、さして変わりはなかった。
■征服された文化が先導役になるかも
人類がもう何千年も昆虫を貴重な食物としてきたことには、さまざまな裏付けがある。文書の記録があれば、排泄(はいせつ)物の化石もある。北米大陸のあちこちの洞窟で見つかったミイラもそれを示し、ほぼどの大陸でも同じようなことが実証されている。
現在では、世界中で数十億人の人々が2100種を超える昆虫を食べている。
米国でも、カリフォルニア州のモノ湖(訳注=塩湖)には塩気の強いさなぎを珍重する先住民族がおり、「ハエを食べる人たち」とも呼ばれている。
今日ではこれに続こうという動きが、買い物をする人々の間で広がろうとしている。専門店やアマゾンで買い求める人気の商品は、Chapulなどのメーカーが製造したコオロギ粉やコオロギ・プロテインバーだ。
ちなみに、Chapulとはアステカ語(訳注=メキシコに栄え、16世紀にスペイン人に滅ぼされたアステカ帝国の言語)でコオロギを意味する。同社は、米西部での水資源保護や先住民の食材知識について関心を持つ人にアピールしながら成果をあげてきた。
■食虫恐怖症をどうなくすか
私たちの多くは、幼いときから昆虫を嫌いになるようにすり込まれている。だから、昆虫食に食欲がわくようにするのは、容易なことではない。
「気持ち悪いと思うことには、何の問題もない」と先の人類学者レスニクは話す。「だって、自ら望んでそうなったのではないから」
それでも、このすり込みを正せば、昆虫に対する姿勢も大きく変わるのではないかと食虫派は考えている。野菜のケールやすし、ロブスターは、かつては食文化の違いからあざけりの対象にされた。オリーブ油やトマトですら、なじみのない地域もあった。
でも、考え方は変わるものだ。一つには、啓発。さらには、昆虫食への悪感情を自覚すること。そうすれば、次の世代にそれが受け継がれないように試みることもできる。
「虫を気持ち悪く思わないことが、どれだけ恩恵をもたらすことか」とレスニクは続ける。「この問題を解決せねばならなくなるのは、私たちの子供の世代なのだから」
■主要な食材への道は遠く
生ゴミなどをたんぱく質に変える効率に優れるアメリカミズアブは、米国では長らく家禽(かきん)や養殖魚のエサとして使われてきた。
では、昆虫食としてこれをいかに増産すればよいのか。科学は、まだその入り口に立ったに過ぎない。器官の形から、精子尾部の長さまで、生殖の仕組みをようやく解いたばかりだ。さらに、幼虫は飼育密度が比較的薄い方が生存率が高く、早く、大きく育つことも分かってきた。
こうした研究は、他の昆虫を食材として大量生産するための先行モデルにもなるだろう。ミールワームやコオロギの飼育は、まだ大量消費をまかなえるようになるはるか手前の段階にある。
畜産分野の研究が、実際に生かされるようになるまで、どれだけ時間がかかったのかを思い起こしてほしい。より健康で安全な食肉をどう生産し、エサのむだをどう減らすのか――研究成果は一夜にして業界の規則になったわけではない。昆虫食とて、例外であることはまずないだろう。
■いつ不潔で、いつ不潔ではないのか
こんな難問も、横たわっている。
食べ物に虫が入っていれば、米食品医薬品局(FDA)は「不潔なもの」と見なすことになる。
しかし、生産された虫に不潔なものも、病原菌も、毒性もない限り、FDAは食品として認めることになる。
昆虫食の販売については、明確な規則がある。一方で、食材もしくはエサとしての昆虫そのものの生産についていえば、規則はガイドラインに近いものでしかない現状がある。より強力な規則がないことが、市場に出回る昆虫食の規模を制限する一因にもなっているようだ。
もし、昆虫を食べるという考えが今より普及したとしても、品質と安全性を保証する専用の規則がなければ、実際の消費にはつながらないだろう。その制定は、新たに結成された業界関連団体「North American Coalition for Insect Agriculture(昆虫農業の北米連合)」(訳注=「昆虫農業」には人間の食材と家畜用飼料の生産の両方が含まれる)などが目指すところだ。 食卓に昆虫がお目見えする機会が増える中で、業界と規制当局との連携も始まろうとしている。(抄訳)
(JoAnna Klein)©2019 The New York Times
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https://globe.asahi.com/article/12859310

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『ゴールデンカムイ』の旅から、本と土地の歴史へ

2019-11-09 | アイヌ民族関連
論座 2019年11月07日
サハリンへの旅――『ゴールデンカムイ』聖地巡礼
 前篇では、サハリン州の北の旧都、亜港(アレクサンドロフスク・サハリンスキー)での『ゴールデンカムイ』聖地巡礼について記したが、亜港まで足を延ばすのはなかなか大変で、容易にはお薦めしがたい。でも、成田から2時間かからずして行くことができる豊原、現在の州都ユジノサハリンスクだけでも、『ゴールデンカムイ』(通称、金カム)の読者には多くの見どころがある。
 「アントン・チェーホフ『サハリン島』文学博物館」は、作品としての『サハリン島』についてだけでなく、流刑地としてのサハリンの歴史がよくわかる博物館だった。金カム読者には既知の、逃亡時に目立つよう頭髪を半分だけ剃り落とされた囚人が、蝋人形で再現されている。
 サハリン州立郷土博物館は聖地中の聖地で、『ゴールデンカムイ』に登場する樺太アイヌ、ウィルタ、ニブフといった民族の衣服や民具が展示されていて、金カムファンにはたまらない。作品内に登場するウィルタの頭痛のお守りの実物も目にすることができた。
 郷土博物館には北緯50度のロシア(ソ連)・樺太国境に置かれていた、大きな将棋の駒のようなかたちの標石もあった。
 ただ、側面の記述からして、『ゴールデンカムイ』の国境越えのシーンに描かれた標石とはちがっていた。標石は4つつくられ、博物館にあったものは「天第一号」の実物と「天第三号」のレプリカらしい。『ゴールデンカムイ』の標石には、「天第二号」と描きこまれている。「天第二号」の現物は根室市「歴史と自然の資料館」が所蔵しているので、いずれはそこにも行かねばならないかしらん……。
 こういうのを、沼にハマるというのだろう。
 帰国を前に、商店が並ぶユジノサハリンスクの通りで、書店を探した。
 ショッピングモールや市場の近くにはマガジンスタンドがあり、雑誌やペーパーバックが文房具と一緒に並び、小さな本屋としての機能をはたしているように見える。
 マガジンスタンドのほか、3軒の書店に立ち寄った。サハリンは店が閉まるのが早く、そのうちの1軒は17時には閉店していて中に入ることができなかったが、どの店もこぶりな店構えで、州都とはいえ日本の大規模書店のような店はなさそうだ。
 訪ねた書店のうちの1軒は、小さな間口の奥で年配の女性店主が一人で店番をしている、少し前に日本のあちこちの町にあったような本屋さん兼文房具屋さんだった。
 本の並べ方は日本の書店と比べて雑然としている。本を棚に横積みしていたりする。分野ごとにわかりやすく整理されている様子もない。SFやミステリーとおぼしき華やかな装丁の本が目につくところに置いてあるが、よくよく見るとヴィクトル・ユーゴーなどの古典の翻訳やマルコ・ポーロやチンギス・ハーンといった人物の評伝シリーズなど多彩な品ぞろえで、小説と歴史ものの需要が高いことが察せられた。
 店主のおばちゃんからは、「観光客の冷やかしかい」とでもいうような、うんざり気味の視線を感じる。それが、一緒に行った著者の方が、こういう本はないかと尋ねると、微妙に目の色が変わり、まさにこういうものがほしかったという本を奥からひっぱりだしてくれた。この規模の店が取り扱っているとは思えないような本だ。
 それでも、おばちゃんの顔に笑みが浮かぶことはなかった。むすっとした表情のままに会計を終え、かさばる本を渡しながら、通訳をかってでてくれたロシア文学研究者の越野剛さんに向かって、愛想なく言葉を投げかけた。
 「こういうのは、男が持つもんだよ」「また、おいで」
 一同みな、そのおばちゃんに魅了されて店を出た。
 今年の7月、朝日新聞GLOBE+に、『不思議の国ベラルーシ――ナショナリズムから遠く離れて』(岩波書店)などの著書がある服部倫卓さんが書いた、「「ロシア国民は世界で一番読書をする」は本当か?」という記事が掲載されていた。ロシアは読書が盛んな国であるのは、まちがいなさそうだ。
 それでも読書人口は減ってきているし、電子書籍がかなり普及しているので、書店の状況も、おそらくかつてとは異なってきているのだろう。日曜だったが、いずれの本屋も、わたしたち以外にお客がいなかったことが思いかえされる。
子どもの本でロシアと出会う
 コルサコフとアレクサンドロフスク・サハリンスキーに同行してくれたロシア人のガイド、ワシーリィさんは、驚異的な博識で、訪ねた場所ごとの歴史的な解説に加え、道端に咲く花々の名を、ロシア語やアイヌ語、日本語で、たちどころに教えてくれた。ペレストロイカ以降、日本人のガイドを多く務めるようになり、日本語は独学で習得したという。ネイチャーライフを愛し、植物学や地理学の論文まで目を通す読書家だ。サハリンの金カム聖地巡礼がもっと盛りあがることを願い、ワシーリィさんに『ゴールデンカムイ』近刊数巻を渡してきた。
 ワシーリィさんとは、文学についてもおしゃべりした。
 「マヤコフスキーの詩は、ロシア革命やソヴィエトがどういうものだったか知らないとわからないから、いまの若いひとたちは、あまり読まないですね」
 「マルシャークは、わたしが子どものころはよく読まれていましたが、いまの若いひとには、あまり読まれない」
 そのワシーリィさんと、「そう、それ!」と、とりわけ盛り上がったのは、子どものころに読んだ絵本についてだった。
 『マーシャとくま』『3びきのくま』『おおきなかぶ』『てぶくろ』(福音館書店)……。
 日本版の絵本の表紙をスマートフォンでワシーリィさんに見せながら、幼いころ意識しないままに、ずいぶんとロシアやウクライナの物語に触れていたのだと気づかされた。『3びきのくま』はトルストイの作品だ。
 自分が住む国と異なる国やそこに暮らすひとびとを近しく感じさせてくれる媒介者として、本がはたす役割の大きさを思う。とりわけ、絵本やマンガのように、子どもや若いひとがうけとる物語の影響力ははかりしれない。
 本に関心をはぐくまれ、本を持って旅に出れば、その土地はさらに親しい場所となる。
 少し意識してみれば痕跡やモニュメントは至るところにあり、土地に刻まれた歴史が、いま現在もつづく痛みとしてそこにあることに、断片的ながらも想像がめぐる。
「サハリン州立郷土博物館」に展示されている樺太アイヌの衣服=撮影・筆者
 先住民族、流刑者、移住者、独ソ戦や日ソ国境の兵士たち、引き揚げ者、残留日本人、残留朝鮮人、粛清による死者、大震災の被災者、出稼ぎ者――短い滞在の浅い見聞によるものだが、この島に暮らしてきたさまざまなひとたちのことが、これまでとはちがう輪郭をもって胸に刻まれた。多彩なルーツを持つ顔立ちのひとびとが行き交うサハリンで、歴史は本のなかだけではなく、いまここにこそあるのだと感じた。
 著者の方のサハリン行きに便乗しての金カム聖地巡礼の旅だったが、じつは、これからの新しい本への伴走を視野に入れての旅でもあった。
 著者――ノンフィクション作家の梯久美子さんは、サハリンへ流刑となったポーランドの独立革命家にして、樺太アイヌと深く親交を結んだ民族学者、ブロニスワフ・ピウスツキ(1866-1918)についての執筆を準備されている。サハリンと日本、そしてポーランドをつなぐ、旅の記憶を交えた壮大な人物伝の誕生を、期待とともに予感している。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
https://webronza.asahi.com/culture/articles/2019110600008.html

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アイヌとポーランド、その意外な繋がり

2019-11-09 | アイヌ民族関連
本がすき 11/8(金) 18:00配信
『熱源』文藝春秋
川越宗一/著
明治維新以降、和人たちの同化の圧力にさらされた樺太の地で生まれた、アイヌたちと一人のポーランド人の絆。少年期を北海道で過ごし、20代で樺太に戻り指導者となったヤヨマネクフ。
未遂に終わったロシア皇帝暗殺計画に加担したとして流刑になったサンクトペテルブルグの学生、ブロニスワフ・ピウスツキ。樺太で出会った二人の交流を軸に、歴史の変動に翻弄される人々の姿を描く。脇役に至るまでみな魅力的、それぞれの熱い思いを汲み取って引きつける『熱源』。
『天地に燦たり』で松本清張賞を受賞した著者の第二作である。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191108-00010000-honsuki-ent

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