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札幌・東苗穂小学習の発表会でアイヌ文化発表

2019-11-18 | アイヌ民族関連
北海道新聞 11/17 20:41

ムックリの演奏を披露する東苗穂小の児童たち
 札幌市立東苗穂小の4年生31人が17日、アイヌ民族の伝統的な暮らしや音楽、神話などを紹介する舞台「レラ エカッタラ(風の子)~風の子太鼓とアイヌ文化」を学習発表会で初めて披露した。
 同小は2年前から社会科の授業にアイヌ民族の講師を招き、郷土史や異文化理解の大切さを伝えてきた。発表会では、シマフクロウの神話劇やムックリの演奏などアイヌ文化と共に、同校に伝わる「風の子太鼓」も披露した。
 出演した岡奎太(けいた)君(10)は「アイヌの人たちの自然を大事にするところを見習いたいと思った」。異なる文化を尊重する気持ちは、子どもたちの中にしっかりと育っているようだ。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/365670

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樺太犬 絶滅か 日本、秋田犬と交雑進む 旧ソ連、大食いで殺処分

2019-11-18 | 先住民族関連
東京新聞 2019年11月17日 朝刊

1959年1月、南極昭和基地で第3次観測隊員の北村泰一さんと再会したタロ(左)、ジロ=北村さん提供
 ロシア・サハリン(樺太)と北海道を生息地とし、南極観測隊のタロ・ジロで知られる樺太犬(からふといぬ)について、純血種はもはや存在しない可能性が高いことが、名古屋大博物館の新美倫子(みちこ)准教授(動物考古学)の調査で明らかになった。日ロで「最後の純血の一群」と目されてきた個体が、これまで樺太犬の原形とされてきた骨格の特徴を備えていなかった。千年以上、先住民や開拓者を支えた犬は消えてしまったのか-。 (モスクワ・小柳悠志)
 樺太犬は五~九世紀、サハリンの海洋狩猟民とともに北海道に渡来した。当時の「オホーツク文化」の代表的遺跡であるモヨロ貝塚(網走市)などから、樺太犬の原形とされる骨が出土している。
 大型で耐寒性に優れ、人にも従順なことから、サハリンではギリヤーク(ニブフ)などの先住民や移住した日本人がそり引き用に飼育した。日露戦争後、南サハリンが日本に割譲されると、大量の樺太犬が北海道に渡来。同時に、本州から渡ってきた秋田犬と交雑が進み、雑種化していった。
 旧日本軍は第二次大戦時、犬ぞりの輸送力に注目して樺太犬を千島列島に配備するなど活用したが、逆にロシア(旧ソ連)では一九三〇年代以降、ソ連軍によって大量に殺処分された。現地報道などによると一日最大四キロもの魚を食べるため、人間の食料不足をもたらすと判断されたという。
 近年はサハリン北部ネフラスカ村で、愛犬家が「最後の樺太犬」と呼ばれる約二十頭を飼育していた。北海道稚内市の犬愛好家が一九九九年に五頭を譲り受けたが、一頭が六年前に死んだ。骨を新美准教授が調査したところ、モヨロ貝塚などで出土した原形の特徴である、太い鼻づらと下あごの底部分の丸みを備えていなかった。
 新美准教授は「日ロともに雑種化が進み、もはや以前の樺太犬はいないと考えられる」と結論づけた。今後、調査結果を樺太犬を巡る骨格の変遷としてまとめ、発表する予定という。
 「樺太犬を無方針に飼育するならば、いつかは雑犬化し原形は失われる」。タロ・ジロら南極犬ぞり隊を編成した長野県出身の動物学者、故犬飼哲夫氏は六十年前、自著でこう警告していた。東西冷戦を背景に日ロで保存協力が進まなかったことも、純血が途絶えた背景にあるとみられる。
 一方、本紙の取材では、サハリンで現在も二人が樺太犬の血筋を引く個体を飼育していると主張するが、オオカミと交雑させており純血ではないという。飼育者の一人、ニコライ・チャルキン氏(62)は樺太犬を先住民とのかかわりから「ギリヤーク犬と呼ぶべきだ」としている。
<樺太犬> サハリン(樺太)原産の大型犬で雄の平均体長は60センチ余。足の指の間に密毛が生える特徴がある。江戸期の探検家間宮林蔵らが、アイヌ民族やギリヤーク人がそりや船引きに犬を使う様子を記録している。南極探検では明治末期、白瀬矗(のぶ)中尉が樺太犬の犬ぞりを採用。1959年、昭和基地で前年から取り残されていた樺太犬15頭のうち、タロ・ジロの2頭の生存が確認されたニュースは、後に日米で映画化された。ロシア語の通称はカラフトケンかサハリン・ハスキー。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201911/CK2019111702000158.html


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メキシコ 「死者の日」の祭典 圧巻の仮装パレード

2019-11-18 | 先住民族関連
newsphere Nov 17 2019

 先住民族の衣装を着たダンサーが広い道路を駆け降りると、その後からやってくるのは赤い羽根の王冠をかぶり、右手にシャレコウベを乗せた、高さ約6メートルもの「死の女神ミクテカシワトルと、我々の骨の守護する者たち」を擁したフロートの一団だ。
 さらに後方に目をやると、頭からつま先まで赤土色のメイクを施し、動物のマスクをつけた人々が、ギクシャクした固い動きで歩いてくる。彼らが表現しているのは、死者の国「ミクトラン」の9つの階層だ。
 11月2日、首都メキシコシティでは死者の日のパレードが実施され、街を斜めに貫くレフォルマ通りには多くの観衆が集まった。パレードは大通りを進み、近年になって大きな祭壇が作られた旧市街の中心部ソカロにまで続く。
 2週間の間、街ではカラフルなメキシコの伝統彫刻「アレブリヘ」のパレードや、先日死去したばかりの国民的スター、ホセ・ホセへのオマージュなど、さまざまなイベントが開催された。また、人々は墓地を訪れ、家庭用の祭壇を飾るなどして、故人を忍んだ。そして、街をあげての大規模なイベントの集大成とも呼べるのが、この死者の日のパレードなのだ。
「これは非常にいいことだと、感謝すべきです」と語るのは、メキシコシティ在住の弁護士で、毎年家族で祭壇を飾るマルコ・アンドニオ・カルデナス氏(58)だ。「国内そして世界でさまざまな問題が起きるなか、こうした行事はポジティブに作用しますし、この文化に生きる者としての我々を表現してくれるので、とても良いものだと思います」
 メキシコの文化省によると、寓話的なフロートやダンスチームから成る「芸術的プロジェクト」ともいえるパレードの参加者は2,500名を超え、主催者によると観客数は200万人に上るという。
 断続的な霧雨が本格的な氷雨に変わると、パレードの放送係がアステカの雨神に向けて「トラロック様、どうかお恵みを!」と叫ぶ。ほとんどの観客が、傘とプラスチック製のポンチョを広げて身をかがめた。
 道端には造花の花束や「ルチャリブレ」のマスクなどを販売する売店が並び、多くの人が顔にペイントを施してもらうなど、にぎわいを見せた。大通りのプランターは、死者の日にゆかりのあるオレンジ色のマリーゴールドでいっぱいだ。
 群衆の中には観光客も多い。獣医クリニックに勤めるスカーレット・フォックス氏(33)と広告代理店勤務のビデオプロデューサー、エリック・ブレイ氏(39)もまた、この祭りを見物するためにアトランタからやってきた。滞在日程は約10日間。
 この夫婦は、死者の日の祝典はアメリカでも人気が高まっており、特に2017年にディズニー映画『リメンバー・ミー』がヒットしてからは、この伝統行事が広く知られるところになったと話す。フォックス氏はこの数週間、同僚も交えて「死者の日」をテーマにしたハロウィンパーティの準備を進め、完璧な「バラと白の頭蓋骨のフェイスペイント」の練習を重ねてきた。祭りには、そのメイクで参加したという。ブレイ氏によると、デザインのインスピレーションはインスタグラムで探したそうだ。
「これほど素晴らしいパレードは、初めて見ました」とフォックス氏は言う。「思い出すだけで胸が躍ります。皆さんのコスチュームも、ディテールにまでこだわっていて素晴らしかったです!」
「実は、私はメキシコ人とのハーフなのです。でも、メキシコ側の親戚とは付き合いがありません。ですから、メキシコの文化について何も知らずに育ったのですが、好奇心は強く抱いていました。ずっとここに来たかったし、知りたいと願っていたのです」とフォックス氏は語る。
 前週にもパレードは行われたが、その際モチーフとなったのは2015年公開のジェームズ・ボンド映画『007 スペクター』で、小道具なども映画から拝借していた。それに対し、2日のパレードは地元のグループがフロート制作やオーソドックスな演出を手掛けるなど、より地域伝統色の濃いイベントとなった。
 ダンサーが脚につけたラトルを振り鳴らせば、白いスカートとラベンダーのコートをまとった女性たちは通りを駆け巡り、顔のペイントは雨で流れ落ちた。ソチミルコ南部地区の運河を航行する伝統船「トラジネラ」のレプリカを冠したフロートからは、ガイコツ風メイクの6人が手を振った。LGBTQコミュニティから参加したグループ、「エキゾチックなカトリーナ」は、レインボー色の旗を振って多様性と非排他性を祝福した。
 メキシコシティでセルフサービス店のスーパーバイザーを務めるアレハンドラ・ロメロ氏(42)は、15歳の娘と一緒に偶然パレードに出くわし、しばらくここに留まることにしたと話す。彼女は、黒いマリアッチの衣装に身を包んだ50 名ものドラマーが、クライマックスに向けて躍動感あるリズムを打ち鳴らしていたシーンが、最も感動したと話した。
 ロメロ氏は、「死者の日というのは、愛する者を亡くした人たちに、絶えず故人を思い出させてくれる日なのです」と語る。
By PETER ORSI Associated Press
Translated by isshi via Conyac
https://newsphere.jp/culture/20191117-1/

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