Forbes 2019/11/26 20:00
アイヌ民族舞踊を踊る長野さん(ASAKO YOSHIKAWA撮影)
近年、コミック「ゴールデンカムイ」のヒットにより、アイヌ文化が注目を浴びている。日露戦争後の北海道を舞台に、アイヌの少女が活躍する物語には、アイヌ語やアイヌ料理が随所に登場し、これをきっかけにコミックのファンたちが盛んにアイヌ文化を学んでいる。
とはいえ、現在のアイヌを理解している人は極めて少ないだろう。私は学生時代に東京のアイヌ料理店でアルバイトをしていた。そこにはたくさんの「ゴールデンカムイ」のファンが訪れていたが、現代のアイヌの話をすると、「アイヌってまだいるんですか?」と驚いた表情をする。もう過去の民族だと思っている人が多いのだ。
多くの人々が無関心な一方で、アイヌが多く暮らす北海道を中心に、民族に対する差別は続いている。以前ほどではないと言われているが、学校やSNS上などでアイヌに対する差別は繰り返されている。それらを受け、今年制定されたアイヌ新法では、アイヌに対するヘイトスピーチを禁じる文言が盛り込まれた。アイヌは一部の根強い差別と、多くの人の圧倒的な無関心に囲まれて、現代を生きている。
長野いくみさんは、1984年、住民の7~8割がアイヌだといわれる北海道平取町二風谷地区に生まれた。彼女は、平取町役場のアイヌ文化振興対策室(現アイヌ施策推進課)で、アイヌ民族に不可欠な生活・自然環境を復元・発展させる「イオル再生事業」や、大学生がアイヌ文化を合宿形式で学ぶ「大地連携ワークショップ」などに携わっていた。
2019年からは、2020年北海道白老町にオープン予定の民族共生象徴空間「ウポポイ」(国立アイヌ民族博物館や慰霊施設などの総称)の職員として、アイヌ文化の継承・発展に努めている。必ずしも自らがアイヌであることにポジティブだったわけではないという彼女に、話を聞いた。
──最初にお会いしたのは平取町役場時代でしたね。アイヌ文化にかかわる仕事をしたかったのですか?
実は看護師になりたかったんです。看護師だったおばの影響を受けたのだと思います。また、学生時代に入院したことがあったのですが、看護師さんたちの対応が素敵で、自分もその道に進もうと決意しました。
高校卒業後、資格を取るため専門学校に進学しましたが、自分には向いていないと考えてあきらめました。しかし、奨学金の返済をしなくてはならなくて、どこでもいいから働こうと思い、応募したのが平取町役場でした。
──平取町役場で働くことになったのは偶然だった?
はい。アイヌ文化とは関係のない部署での採用でした。総務課に配属され、受付や郵便物の仕分けなどなんでもやりました。そんななかで、全国に先駆けて「アイヌ文化振興対策室」が設置され、配属されることになりました。まさか、自分がアイヌ文化に関わる仕事をするとは思ってもいませんでした。
──それまで、アイヌ文化に関わりたいという思いはあったのでしょうか?
答えるのは難しいですね。自分がアイヌであることに前向きではない時期もありました。父方の祖母は相当苦労したようで、死ぬまで差別された話ばかりしていました。自分も差別されたことがあるし、同世代が差別されているのを目の当たりにしたり、話を聞いたりしていました。差別が怖くて。アイヌであることを隠しながら学生生活を過ごしました。
──どうしてアイヌ文化に対して前向きになることができたのでしょうか?
母方の祖母がアットゥシ*織をしており、幼い頃から生活の中で自然とアイヌ文化に触れていたので、興味はありました。でも、アイヌ文化振興対策室に異動になったことで、自分の心境が大きく変わったのだと思います。
仕事を通して、木彫や刺繍の工芸家さん、アイヌ語教室、平取アイヌ文化保存会、平取アイヌ協会ほか、全道各地でアイヌ文化に日々向き合っている人たちと出会い、そんな人々に惹かれていきました。そして、「なぜこれほどにアイヌ文化を大事に思っているのだろう?」と考え、自分も先祖が大切にしてきたアイヌ文化を学びたいと思うようになったのです。
──平取町役場では、イオル再生事業や、私も学生時代に参加した「大地連携ワークショップ」など、アイヌ文化に関わる重要な事業に取り組まれましたね。
さまざまな事業を通して、多くの方が二風谷を訪れ、アイヌ文化をより深く知ってくださることはとても嬉しかったし、やりがいもありました。大地連携ワークショップは、2018年から参加対象を大学生だけではなく一般にも広げ、とても人気の事業となっています。
──アットゥシ*織や木彫など、実際に体験してみるとさらにそれを実感します。技術の高さを身をもって感じることができました。
私も取り組めば取り組むほど、アイヌ文化の奥深さを知り、もっと向き合いたいという気持ちが高まりました。地域によっての違いもあり、平取町以外のことについても知りたくなりました。そして、そのタイミングで「ウポポイ」の募集を知ったのです。まったく自信はなかったけど、後悔したくないと思って応募しました。
──今年からウポポイのある白老町で働くことになり、平取町役場にいた頃とは生活は大きく変わりましたか?
全道から集まった若いアイヌの人たちやそれ以外の方々とともに、アイヌ文化に日々向き合う生活ができて、とても充実しています。いろいろな地域のアイヌ文化についても知ることができるし、ウポポイには豊富な音声資料も収蔵されています。自分のひいおばあちゃんや、そのまた先祖が歌っている音声もあって驚きました。
刺繍も踊りもまだまだできないことは多いのですが、今はできなかったことが少しずつできるようになることが喜びです。2020年のウポポイの開業に向けて、プロとしてきちんと踊りを披露できるよう、日々頑張っているところです。
自らのルーツや文化に誇りを持つことは、その人が生きていくために不可欠かというと、必ずしもそうではないだろう。だが、社会において自身のルーツや文化を否定されることは、存在意義の否定につながり、生きづらさや自己否定を生み出す。日本社会はその単一民族妄想によってアイヌに限らず多様なアイデンティティを持つ人々を積極的に、あるいは消極的に否定し、そのルーツや文化を破壊してきた。
2020年4月に、民族共生象徴空間としてオープンするウポポイ。グローバル化が急速に進むなかで、日本の先住民に対する政策は遅きに失した。
アイヌを文明に遅れた人々とみなす考えを背景に持った北海道旧土人保護法が廃止されたのは、つい最近である1997年のことであった。そして、アイヌを先住民族として初めて明記したアイヌ新法が成立したのが2019年4月。その間、アイヌ文化やアイヌ語は急速に衰退し、継承が難しい時期が続いた。これは、一部の人々による差別や偏見だけでなく、多くの人々による無関心がこの状況をつくってきたと言えるだろう。
そして、近年の国際的な先住民族へ権利保護の要請の高まりに応じて、政府が主導してアイヌ文化を振興するための政策として計画されたのが、このウポポイであった。
大和民族とアイヌは古くから交易などでかかわりがあり、アイヌは大和民族のことを「シサム*」(良き隣人)と呼んできた。しかし、江戸時代の大和民族商人の進出や明治以降の政府の同化政策によって、アイヌの人々の言語や文化を継承が難しい状況に追い込み、誇りを奪ってきたことも事実である。
長野いくみさんのように、自身のルーツを思いながら、あらためて一歩を踏み出した人たちも少なくない。ウポポイの開業まで、あと半年に迫っている。外国人労働者や外国人観光客など、海外からやってくる人々との共生が盛んに議論されているが、ぜひウポポイを訪れ、まずは自国にすでにあるもう一つの文化に理解を深めるシサム*が増えることを願っている。
*アットゥシ、シサムの「シ」は、アイヌ語表記では小文字となる
https://forbesjapan.com/articles/detail/30732