会員限定記事
北海道新聞2023年5月22日 09:20

かわむら・ひさえ 1971年、東京都生まれ。東京造形大在学中、首都圏に住むアイヌ民族と和人の交流団体『ペウレ・ウタリの会』に入会。卒業後に「川村カ子トアイヌ記念館」館長の故川村兼一さんと結婚し、旭川へ移った。2009年から副館長を務める。
道内最古とされる私設のアイヌ文化博物館「川村カ子トアイヌ記念館」の副館長川村久恵さん(52)は、20代から本格的にアイヌ文化を学び、多くの人にアイヌ民族の歴史を伝えている。記念館は昨年6月から建て替え工事を進め、今年4月24日にプレオープン。7月25日の本格開業を前に、記念館の運営方針やアイヌ文化への思いを聞いた。
――記念館の特徴を教えてください。
「アイヌ民族について正しく理解してもらうことが一番の目的です。1階は前の建物にあった民具を中心に展示し、2階はアイヌ文化の発展に尽力した人物の紹介を通して、アイヌの現在や未来について考えてもらえれば。ステージも新設したので、いずれはイベントも開催したいです」
――7月の開業に向け、どんな準備をしていますか。
「収蔵物の展示を進めています。あとはエゾマツやホオノキ、キハダなどの樹木を植えて、アイヌ文化の植生を伝える庭づくりも進めています」
――旭川のアイヌの歴史はどんな特徴がありますか。
「江戸時代の松前藩の区分では、旭川は『西蝦夷(えぞ)』に属します。『二風谷コタン』がある平取町や、民族共生象徴空間(ウポポイ)がある白老町は『東蝦夷』で、文化的な差異があります。また、旭川はアイヌの中でも発言力があった地域で、給与地返還運動で、先進的な活動を続けてきました。そういう点で、旭川は特に広く伝えるべき場所だと思います」
――和人の立場から、アイヌ文化を伝えていますね。
「20代で結婚した後に、アイヌ文化を学び始めました。それもアイヌ文化が好きという気持ちよりは、必要に迫られて一つ一つ覚えていったという感覚です。記念館の運営に携わる中で、和人ゆえにちゅうちょしたり、活動から離れたいと思ったこともあります」
――それでも、活動を続けてきた理由は何ですか。
「ある時、自分は『文化を伝える中継ぎ役なんだ』と思えた時から視点が変わりました。次の担い手が出てきたら、バトンを渡せばいい。周りにどう思われても仕方ないと切り替えられたんです。アイヌは心の内に重いものを持っていても、必ずどこかに明るさを持ち、人生を楽しんでいる。そういう姿や温かさに触れるうちに、離れがたく感じて、続けてこられました」
・・・・
(聞き手・旭川報道部 渡辺愛梨)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/849304/
北海道新聞2023年5月22日 09:20

かわむら・ひさえ 1971年、東京都生まれ。東京造形大在学中、首都圏に住むアイヌ民族と和人の交流団体『ペウレ・ウタリの会』に入会。卒業後に「川村カ子トアイヌ記念館」館長の故川村兼一さんと結婚し、旭川へ移った。2009年から副館長を務める。
道内最古とされる私設のアイヌ文化博物館「川村カ子トアイヌ記念館」の副館長川村久恵さん(52)は、20代から本格的にアイヌ文化を学び、多くの人にアイヌ民族の歴史を伝えている。記念館は昨年6月から建て替え工事を進め、今年4月24日にプレオープン。7月25日の本格開業を前に、記念館の運営方針やアイヌ文化への思いを聞いた。
――記念館の特徴を教えてください。
「アイヌ民族について正しく理解してもらうことが一番の目的です。1階は前の建物にあった民具を中心に展示し、2階はアイヌ文化の発展に尽力した人物の紹介を通して、アイヌの現在や未来について考えてもらえれば。ステージも新設したので、いずれはイベントも開催したいです」
――7月の開業に向け、どんな準備をしていますか。
「収蔵物の展示を進めています。あとはエゾマツやホオノキ、キハダなどの樹木を植えて、アイヌ文化の植生を伝える庭づくりも進めています」
――旭川のアイヌの歴史はどんな特徴がありますか。
「江戸時代の松前藩の区分では、旭川は『西蝦夷(えぞ)』に属します。『二風谷コタン』がある平取町や、民族共生象徴空間(ウポポイ)がある白老町は『東蝦夷』で、文化的な差異があります。また、旭川はアイヌの中でも発言力があった地域で、給与地返還運動で、先進的な活動を続けてきました。そういう点で、旭川は特に広く伝えるべき場所だと思います」
――和人の立場から、アイヌ文化を伝えていますね。
「20代で結婚した後に、アイヌ文化を学び始めました。それもアイヌ文化が好きという気持ちよりは、必要に迫られて一つ一つ覚えていったという感覚です。記念館の運営に携わる中で、和人ゆえにちゅうちょしたり、活動から離れたいと思ったこともあります」
――それでも、活動を続けてきた理由は何ですか。
「ある時、自分は『文化を伝える中継ぎ役なんだ』と思えた時から視点が変わりました。次の担い手が出てきたら、バトンを渡せばいい。周りにどう思われても仕方ないと切り替えられたんです。アイヌは心の内に重いものを持っていても、必ずどこかに明るさを持ち、人生を楽しんでいる。そういう姿や温かさに触れるうちに、離れがたく感じて、続けてこられました」
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(聞き手・旭川報道部 渡辺愛梨)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/849304/