先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

歴史的不正義な光景」遺骨持ち出された現場など視察 浦幌・アイヌ民族団体主催の国際シンポ

2023-05-29 | アイヌ民族関連
会員限定記事
北海道新聞2023年5月28日 21:08(5月28日 23:23更新)

アイヌ民族の遺骨が持ち去られ、沼地となっている現場。拡声器のマイクを握るのが差間正樹会長
 【浦幌】町内で3日間の日程で開かれたラポロアイヌネイション(旧浦幌アイヌ協会)主催の国際シンポジウム「先住権としての川でサケを獲(と)る権利」は2日目の27日午前、町内でフィールドワークを行った。海外からの参加者ら約30人が、アイヌ民族の遺骨が大学関係者によって掘り返され持ち出された現場などを視察した。
 ラポロアイヌネイションの差間正樹会長(72)らが案内した。差間会長は、現在沼地となっている場所がアイウシコタン(集落)の墓地だったとし、「ここは歴史的に不正義な光景。大学の先生が遺骨を持ち出した後、一帯の土は堤防の盛り土に用いられ、沼地になったと伝わっている」と説明した。
・・・・・
(椎名宏智)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/852791/

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先住権の情報交換を継続 浦幌の国際シンポ閉幕

2023-05-29 | アイヌ民族関連
会員限定記事
北海道新聞2023年5月28日 20:41(5月28日 23:21更新)

ラポロアイヌネイションのメンバーと海外からの参加者が意見交換した車座トーク(加藤哲朗撮影)
 【浦幌】十勝管内浦幌町のアイヌ民族団体「ラポロアイヌネイション」(旧浦幌アイヌ協会)が同町で開いた国際シンポジウム「先住権としての川でサケを獲(と)る権利」は最終日の28日、五つの国と地域から参加した先住民族や法学者らが同団体と今後連携協議会をつくり、情報交換を継続することを確認して閉幕した。
 3日目のこの日は、登壇者8人と同団体のメンバーが意見交換する車座トークを行った。アイヌ民族が先住権としての漁業権を獲得するには何が必要かについて、海外の参加者からは「アイヌ民族の集団の権利を要求していくことが大切」などの意見が出た。
 ・・・・・
(椎名宏智)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/852781/

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アイヌサケ漁どう回復 浦幌でシンポ、各国の事例に学ぶ 「集団の権利求め国と条約を」 /北海道

2023-05-29 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2023/5/29 地方版 有料記事 1459文字
 先住民族の漁業や狩猟が入植後の法規制で認められなくなった場合、どう権利を回復するのかを考える国際シンポジウム「先住権としての川でサケを獲(と)る権利―海と森と川に生きる先住民の集い」が27、28日、浦幌町で開かれた。北米など五つの国・地域から先住民族や弁護士ら専門家が出席。各国の事例を紹介し、アイヌのサケ漁について意見を交わした。【石川勝義】
 主催したアイヌの民族団体「ラポロアイヌネイション」(同町)は、浦幌十勝川でサケを捕る権利の確認を国と道に求め、訴訟を起こしている。周辺のコタン(集落)で行われていた川のサケ漁は入植が進んだ明治以降、政府によって禁止されたが、集落が持っていた権利は原告に引き継がれていると主張する。
 対する国や道は、漁業権を認める根拠はないとして争っている。2019年施行の「アイヌ施策推進法(アイヌ新法)」はアイヌを先住民族と明記したが、土地や資源に対する権利である先住権には触れていない。
 先住民族の自治が同化政策で軽視された歴史は世界各地にあり、今回は漁業を主なテーマに台湾、フィンランド、豪州、米国、カナダの事例が紹介された。
 台湾、フィンランド、豪州の参加者は、伝統的な漁業や狩猟が取り締まり対象となった例を報告した。
・・・・・・
https://mainichi.jp/articles/20230529/ddl/k01/040/014000c

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アイヌ先住権、浦幌でシンポ きょう開幕 /北海道

2023-05-29 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2023/5/27 地方版 有料記事 555文字

アイヌの儀式カムイノミで海外からの参加者たち(右奥)を歓迎するラポロアイヌネイションのメンバー=北海道浦幌町で2023年5月26日、鈴木斉撮影
 浦幌町で27、28日に開かれるアイヌ民族の先住権を考える国際シンポジウム「先住権としての川でサケを獲る権利」の開会セレモニーが26日、町内であった。シンポを主催するアイヌ団体「ラポロアイヌネイション(旧浦幌アイヌ協会)」のメンバーが、神に祈りをささげる儀式「カムイノミ」などで参加者を歓迎した。
 先住権は先住民族が所有する土地や資源などに対する権利。2019年施行のアイヌ施策推進法は、アイヌを先住民族と認めたが、先住権に触れておらず、ラポロアイヌネイションは20年8月、先住権としてサケ捕獲権の確認を国と道に求めて札幌地裁に提訴し、全面的に争っている。
 ・・・・・
【鈴木斉】
https://mainichi.jp/articles/20230527/ddl/k01/040/047000c

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アボリジニ差別と闘った女子テニス「グーラゴング」 オーストラリアテニス界の礎に(小林信也)

2023-05-29 | 先住民族関連
デイリー新潮5/28(日) 10:55配信

 2021年ウインブルドン女子シングルスで優勝したアシュリー・バーティ(豪)は大会前、師と仰ぐ先人に電話を入れた。
「あなたが、ウインブルドンで優勝した時に着ていたウェアと似たデザインのアウトフィットを着たいと思っているんです」
 相手はイボンヌ・グーラゴング。ちょうど50年前、オーストラリア人女性で初優勝した母国のレジェンドだ(以上、テニス誌「スマッシュ」内田暁氏の記事を参照)。
 バーティは15歳でウインブルドンジュニア選手権を制し、「天才少女」と呼ばれた。その重圧に苦しみ、18歳の頃にはテニスから逃げたいと本気で思い詰めていた。周囲の大人は温かい言葉で励ましながら、テニスを続けるべきだと強く説得する人ばかりだった。そんな中で、「釣りにでも行きなさいよ」、独特の言い回しで自由の扉を開いてくれたのがグーラゴングだった。
 偉大な先輩に背中を押され、バーティはきっぱりとコートを離れ、クリケットの女子リーグに参加した。そして、重圧や束縛から逃れて2年後、20歳になって復帰した。もしあのまま続けていたら、生涯テニスと決別していたかもしれない。稀有(けう)な才能を輝かせる未来もなかっただろう。
 二人には、家族のように感じ合う強い絆があった。グーラゴングは両親ともにオーストラリア先住民のアボリジニ。バーティの父親もアボリジニの血を引いている。互いに同じルーツを持っている。それがいっそう心を深く結びつけた。
人種隔離政策
 グーラゴングは1951年7月、オーストラリアのニューサウスウェールズ州で生まれた。8人兄弟の3番目。家族はシドニーの西の羊牧場で羊毛刈りの仕事をしていた。実入りは少なく、生活は貧しかった。グーラゴングが少女だった50年代、アボリジニは迫害の対象で、政府や世間から保護を受けるどころか虐待される立場に置かれていた。60年代まで、アボリジニはオーストラリアの人口統計に加えられていなかった。確かにそこで生活していながら、人として存在を認められていなかったのだ。
 アボリジニの誕生は5万年前とも12万年前ともいわれるが、18世紀にイギリスに植民地化されてからアボリジニの受難が始まった。免疫のないアボリジニは、イギリス人が持ち込んだ疫病で多くが亡くなった。海外から来た移民がアボリジニをスポーツハンティングのターゲットにしたという痛ましい歴史もあって、その人口は90%も減少したといわれる。
 それでも19世紀半ばから20世紀にかけて、一部のアボリジニは陸上、ボクシング、クリケットなどの競技で才能を発揮し、世界で活躍した。ファイティング原田から世界王座を奪ったことで知られるライオネル・ローズもアボリジニだ。
 スポーツ界での彼らの活躍は「白人化計画」「文明化策」の一環として奨励もされたが、頂点に立って英雄視される現象を歓迎しない勢力もあり、むしろ妨害されるようになった。
 貧しい家庭に育ったグーラゴングがテニスを始めたのは奇跡のようなものだ。町にあったコートのフェンス越しにテニスを見ていた彼女に声をかけてくれた人がいた。勧められてテニスを始めると、その才能がシドニーでテニスクラブを経営するビクター・エドワーズの目に留まった。彼はグーラゴングの両親を説得し、養女に迎えてテニス選手として育成した。
 こう書けば美談のようだが、当時の事情を知ると本人、両親にとってそれは危険な選択だとも理解できる。アボリジニの絶滅を意図して豪政府は、「先住民族の保護」の名目で人種隔離政策を取った。アボリジニの子どもを親から引き離し、白人家庭や寄宿舎で養育してアイデンティティーを喪失させた。テニスという目的はあったが、グーラゴングも同じ憂き目に遭う懸念が大いにあったわけだ。
 しかしグーラゴングは、その才能を着実に磨き上げた。70年にプロデビューすると、71年の全仏オープンで早くも頂点に立った。まだ19歳。さらにウインブルドンでも優勝し、新たな女王となった。グーラゴングは、パワフルな片手バックハンドと、達人と賞賛されたボレーで他の選手を圧倒した。四大大会では全豪4回を含め計7回優勝。最後の80年ウインブルドン優勝は75年に結婚し、77年に長女を出産した後。母親選手のウインブルドン制覇はプロに門が開かれた68年以降では初の快挙だった。
バーティにトロフィー
 バーティは昨年1月の全豪オープンで初優勝。その時、トロフィーを手渡したのはグーラゴングだった。そして3月、引退した。
「テニスが私にくれたすべてにとても感謝している。誇りと満足感を覚えている」
 そう語る顔は清々しかった。最近のテニス事情を伝えた同国の新聞によれば、「オーストラリアでは昨年、テニスをする子どもが3割近く増えた。先住民と女子が特に多い」という。それはバーティの活躍がもたらした影響であり、その礎となったのが、グーラゴングだ。
小林信也(こばやし・のぶや)
1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部等を経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』など著書多数。
「週刊新潮」2023年5月25日号 掲載
https://news.yahoo.co.jp/articles/c9872ebe76c31f2a788c5ac190bbf2b34f0b7b36

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【6月3日・17日】上川アイヌの生活【6月のまちなか講座】

2023-05-29 | アイヌ民族関連
アサタン2023年05月28日 公開

2023年6月3日(土)・17日(土)に旭川市シニア大学で『6月のまちなか講座』が開催されます。
3日は『上川アイヌの生活』。
講師の旭川龍谷高等学校 本間教諭より、郷土部時代に研究してきた内容をご紹介いただきます。
貴重な実物展示は必見ですよ。
17日は『シリーズ国際理解 スペインバルセロナに暮らして』。
元バルセロナ日本人学校教員 菊池氏が当時の経験をもとに暮らし、文化、スポーツなどを紹介。
興味のある方はぜひ。
https://asatan.com/articles/5823

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極北に咲く虹:札幌レインボープライド紀行

2023-05-29 | アイヌ民族関連
ニッポン.コム2023.05.28李 琴峰
レインボープライド2022に参加するために初めて訪れた札幌。スープカレーやラーメンに加え、豪華な「シメパフェ」を体験した。パレードはあいにくの雨の中でスタートしたけれど、最後には空が晴れてきたという。数日の滞在でこの街がすっかり好きになったという李琴峰。それは、理路整然と進むべき方向が分かる街だからなのだろう。
進むべき方向が分かる街
碁盤状の街は好きだ。京都然り、アメリカのニューヨーク然り、中国の西安然り、ミャンマーのマンダレー然り、碁盤状の街を歩く時は筋の通った理路整然とした論考を読んでいる時みたいに、迷うことはない。一つの基準点を決めれば、地図は自ずと脳内で展開される。現代的な都市生活に慣れる前の大昔の人間のように、太陽や月の位置を見れば東西南北が判然とし、進むべき方向が分かる。
札幌はそんな街である。南北に流れる「創成川」を東西の基軸とし、東西に走る「大通り」を南北の基軸として、南北の街区は「北一条、北二条、南一条、南二条」と、東西の街区はは「東一丁目、西一丁目」と呼ばれる。「北三条の西二丁目」というふうに大体の場所が分かるし、札幌市の住所もまさに「南五条西二丁目〇―〇」というふうに振り分けられているので記憶しやすい。
また、「創成川」と「大通り」が交差する場所の近くに札幌のシンボルである「さっぽろテレビ塔」が建っているので、テレビ塔を基準点だと思えば分かりやすい。注意すべきは、「北一条」「西一丁目」などは道路ではなく街区につけられる名前なので、「南五条西二丁目」と言う時は「南五条通と西二丁目通りの交差点」を指すのではなく、「南五条通の北、西二丁目通りの西にあるブロック」を指しているのである。
セクシュアル・マイノリティを歓迎した市長スピーチ
札幌と言えば、日本で初めて「同性婚ができないのは違憲だ」という画期的な司法判断が示された地でもある。数年後、あるいは数十年後に日本でも同性婚ができるようになったら、札幌は日本における人権史の記念の地として後世に記憶されるだろう。
札幌にはそんな素地がある。日本で初めて性的少数者の「プライドパレード」が開催されたのは1994年の東京パレードだったが、その2年後に札幌でも開催された。東京のパレードは様々な事情で中断したり再開したりしたが、札幌のパレードはほぼ毎年開催されてきた。ジャーナリストの北丸雄二さんは2003年の札幌パレードについて、こう書いた。「私も大勢の参加者に混じって札幌の中心部を共に歩き、大通公園での閉会集会にも立ち会いました。そのとき、当時札幌市長だった上田文雄が壇上に立って、『札幌はセクシュアル・マイノリティの皆さんを歓迎します!』とスピーチしたのでした。私の周りで立って聴いていた参加者の多くが、そのとき不意に涙を流し始めました」
上田文雄は市長退任後、弁護士・市民活動家に戻り、2019年、札幌同性婚訴訟の弁護団の一員となった。
私が札幌を訪れたのは、まさしく「さっぽろレインボープライド2022」に参加するためである。時は9月、東京はまだ厳しい暑さが残るが、札幌ではもう涼しい風が吹いていた。レインボープライドは土日開催だが、私は前乗りして札幌入りした。
恐るべし、太らせカルチャー
大都会に来たからには、レズビアンバー巡りしなければなるまい。函館と小樽には残念ながらビアンバーはないが、札幌はあの「すすきの」がある場所だ。当然、ビアンバーはある。新宿の繁華街は風俗やホストクラブが密集する「歌舞伎町」と、小さな飲み屋が軒を連ねる「ゴールデン街」、そしてゲイバー・ビアンバーが多い街「新宿二丁目」に分かれ、それぞれカラーが違うが、「すすきの」はそれらをがっちゃんこしたような街で面白い。
「すすきの」にはビアンバーが2軒あり、客層がはっきり分かれている。「bar Orb」は客層が若めで、店内はわいわいと賑やかなことが多く、「Lady’s Bar LEGO」はお姉さんのお客さんが多く、静かにゆっくり飲みたい人に向いている。「LEGO」は女性限定だが、「Orb」は誰でも入店できるミックスバーである(とはいえ、ほとんど女性客しか来ないのだが)。
「Orb」で飲んでいる時、東京から来たと言うと、札幌在住の店主やお客さんに「ぜひおいしいものをいっぱい食べてください」「3キロは太って帰ってください」と言われ、美食に対する札幌市民のプライドを感じた。札幌のグルメといえば、スープカレー、ラーメン、ジンギスカンなどがあるが、残念ながらジンギスカンを食べる機会がなく、スープカレーとラーメンだけ堪能した。
また、札幌特有の「シメパフェ」なる摩訶不思議な食文化を知った。東京でなら、飲み会や懇親会の後に食べる締めの定番と言えばラーメンだが、札幌ではなんとそれは、パフェ。パフェである。夜から深夜にかけて、みんなでパフェを食べに行くのである。なんという太らせカルチャー。
札幌に来たからには「シメパフェ」なるものを体験しなければなるまい。ということで、同性婚訴訟の原告をやっている3人のゲイの友達と、計4人でシメパフェ専門店に行ってみた。店に着いたのは金曜の夜10時半、なんと、店外は長蛇の列であり、40分待ちと言い渡される。なんという人気。パフェだから若い女性が多いかと思いきや、半分は若い男子だった。これはジェンダーバイアスのない、いい文化だ。おかげで私たちのグループ――おじさん3人と女性1人――もそこまで浮いていなかった。
しかし、シメパフェは思ったよりデカいし、高い。2000円前後と高額なのでそれぞれのパフェはコンセプトがしっかりしており、フルーツやプリン、苺豆大福などの食材もふんだんに、贅沢に使われている。パフェにはそれぞれ「空飛ぶ苺豆大福」「mero mero」「デコラティブ道」「ぶどう農林21号」など名前がついている。かなり豪華なパフェだが、偏食の私からしたら、どのパフェも食べられない食材が使われているので、選ぶのはちょっときつい。
日本にジェンダー革命を!
いよいよレインボープライド初日。歩行者天国にした「南一条西二、三丁目」のツーブロックが会場である。会場に入るとちょっとした同窓会状態であり、知り合いのレズビアン活動家やトランスジェンダー活動家、同性婚訴訟の原告らと挨拶した。会場では様々なLGBT関連団体がブースを出展し、手製のアクセサリーやキャンドル、コースターといった小物を売ったり、団体の活動を紹介したり、署名を集めたりしている。「Orb」は飲食店枠として酒類も売っている。近年ネット上でLGBTに対する差別言説が激化し、LGBT関連の活動はしばしば実態を知らない人から「LGBT利権」「公金チューチュー」といった愚かな揶揄(やゆ)をされるのだが、会場を見て回ると、どの団体も草の根レベルで地道な努力を重ねていることが分かる。会場の端にはステージもあり、パネルトークやスピーチ、メイク講座などが行われている。
初日の夕方に、札幌市男女共同参画センターが入っている「エルプラザ」に交流会イベントがあるので参加した。札幌を含め、昔から日本各地でLGBT権利促進運動を頑張ってきた活動家の先輩が集まり、パネルトークを行った。話を聞いていると、数十年も前から連綿と紡がれてきたコミュニティの歴史を実感できて感慨深い。東京ではLGBT活動家は奇異な目で見られたり揶揄されたりすることが多いが、札幌は活動家が尊敬される珍しい場所だと、レズビアンの友人はしみじみ言った。
「なんで『エルプラザ』って名前ですか?」
と、私は会場にいた「エルプラザ」の職員と、札幌在住の活動家に訊いた。「まさかレズビアンのL?」
「建物の外観にちなんでつけられた名前みたいですね」と職員が答えた。
「なんですが、私の中ではレズビアンの「L」ってことになってる」と活動家の友人は笑って答えた。彼女は性的少数者支援団体「NPO法人北海道レインボー・リソースセンター L-PORT」で活動しているが、「L-PORT」の「L」は「エルプラザ」と「レズビアン」にかけているという。「エルプラザ」の一角に、池田理代子『ベルサイユのばら』の絵を使った男女共同参画局の啓発ポスターが掲げられており、「フランス革命の次は日本のジェンダー革命だ!」と台詞が書いてある。札幌市、なかなかやりよる。
交流会のあとは近くの店を貸し切りにした女性限定の前夜祭パーティーがあるので、こちらにも参加した。店は2階建てで、1階は音楽を流すDJスペース、2階は着席してゆっくりおしゃべりできるバースペースになっている。ちょうどDJをやっている友人の誕生日なので、みんなで誕生日サプライズをやった。夜11時閉店後、何人かのビアン友達と散歩しながら帰路につく。パーティー会場からホテルまで2キロあるが、札幌の秋の夜風はとても気持ちよく、歩くのが全く苦にならなかった。テレビ塔の前を通る時、若者たちが大通公園の芝生に座っておしゃべりしているのが見えて、その悠々自適な雰囲気を見て少し羨ましい気持ちになった。
パレードは雨のち晴れ
翌日はパレードの日だが、あいにくの雨だった。パレードのフロートは6つに分かれ、それぞれ「エゾリス」「シャケ」「シマエナガ」「アウト・ジャパン」「ベルシステム24」「キタキツネ」という名前だが、私は友人たちと「シャケ」の隊列を歩いた。
さっぽろレインボープライドには晴れのジンクスがある。パレードの日は必ず晴れるし、たとえ雨の日でもパレードを歩いているうちに晴れになるという。この日もまたそうで、午後3時ごろになると雨がやみ、空が晴れてきた。パレードが終わってステージ前に戻り、パフォーマンスを見た。ステージの上で、歌手はRADWIMPSの「愛にできることはまだあるかい」を歌っていた。
世界が背中を向けてもまだなお / 立ち向かう君が今もここにいる
近くで誰かが言った。「これは虹が見えるかもしれない」、と。
閉会式、例年ならバルーンリリースを行うのだが、今年は物価高騰の波の中でヘリウムガスの価格も上昇し、負担できないので、バルーンではなくシャボン玉リリースになった。色とりどりの風船が空へと飛んでいく鮮やかな光景が見られないのは残念だが、シャボン玉もそれなりに綺麗だし、70年以上も生きてきた知人のレズビアンの大先輩が頑張ってシャボン玉を吹いている横顔が愛おしかった。

「さっぽろレインボープライド2022」シャボン玉リリース ©李琴峰
パレードの日の夜は独立系書店「Seesaw Books」で北丸雄二さんと対談イベントがあった。北海道でイベントをやるのは初めてで緊張したが、会場にはそれなりに人が集まった。イベント終了後、関係者10人ほどでアイヌ料理店「ケラピリカ」(アイヌ語で「おいしい」の意)で打ち上げを行った。アイヌ料理を食べるのは初めてで、偏食のため食べられないものも多いが、食べられるものはおいしかった。イベントに来てくれたお客さんの中にはアイヌのアーティストでミュージシャンの方がいて、話を聞くと、アイヌのアイデンティティを打ち出して活動していると、やはり差別者から「反日」や「アイヌ利権」などと攻撃されたり、揶揄されたりするという。在日の方々も、ありもしない「在日特権」をでっち上げられて攻撃されることを考えると、本当に差別者の手口と話術はどこまでもワンパターンである。
すすきのの夜は長く、「ケラピリカ」を出た後は場所を移して二次会をし、お開きになったのは深夜2時半。ホテルへ戻る道中に「すすきの交差点」で立ち止まり、煌びやかなネオンに彩られる繁華街の夜を見上げる。
初めての札幌であり、僅か数日間の滞在に過ぎないが、私はもうこの街がすっかり好きになった。
https://www.nippon.com/ja/guide-to-japan/c08713/

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原生の自然を探して 米国ニューメキシコ州のヒラの森 世界初の原生自然地域(ウィルダネス・エリア)に指定

2023-05-29 | 先住民族関連
ナショナルジオグラフィック2023.05.29

山あいの峡谷と木々に覆われた稜線が、かつて先住民アパッチが暮らしていたヒラ原生自然地域の特徴だ。1924年、米森林局がこの一帯を世界初の「原生自然地域」に指定した。立ち入ることはできるが、恒久的な痕跡を残すことは禁止だ。(PHOTOGRAPH BY KATIE ORLINSKY)
手つかずの自然とは何なのか。その難題と向き合うため、世界初の原生自然地域に指定された、ヒラの森を訪れた。
 11月の底冷えする夜、体を丸めながらポットの湯が沸くのを待っていた。
 その晩、ポンデローサマツの林で野営することになった私たちは、枯れ枝でたき火をおこし、馬のくらの下に敷く毛布に座っていた。
 先住民アパッチの血を引くガイドのジョー・セエンスは、かつて祖先がそうであったように、この地域を馬で駆けめぐり、隅々まで知り抜いていた。彼が、ここから程近い場所で殺されたオオカミのことを教えてくれた。ゆっくりと抑揚をつけ、一つ一つの言葉に重みをもたせた彼の語りに呼応するように、突然、暗闇のどこからか遠ぼえが聞こえた。オオカミだ。
 これにははっとした。私たちはここ数日、ほとんど音のない世界を旅してきたからだ。この地域に深く入り込むにつれ、森と谷が音という音を吸い込んでしまったかのように、川や風、馬の音と、自分たちの話し声しか聞こえなくなった。馬を進めながら、耳が聞こえなくなったのか、白昼夢を見ているのか、と思ったほどだ。ところが、あの遠ぼえで何かのスイッチが入ったように、突然あらゆる音が聞こえるようになった。たき火がはぜる音、馬が低く鼻を鳴らす音、そして自分の呼吸の音もする。
 とっさに顔を上げ、かなたの尾根に視線を走らせたが、見えるのはただ、星の淡い光をバックにした木々のシルエットだけだった。私たちは耳を澄まし、もう一度、遠ぼえが響くのを待った。だが、オオカミは沈黙したままだった。
 ジョーが話してくれたのは、こんなエピソードだった。1909年、ある若い森林管理官が当時のニューメキシコ準州の南西端を調査していた。この野営地からそう遠くない岩場で部下たちと昼食をとっていると、谷底に子連れの母オオカミがいることに気づいた。彼らはすぐさま銃を取ってオオカミを撃った。当時、オオカミは家畜のウシや野生のシカなどを殺す害獣と見なされていたのだ。
 急いで駆けつけると、母オオカミが息を引きとるところで、「その瞳に揺れるすさまじい緑の炎が消えてゆくのを目の当たりにできた」と、彼は晩年に回想している。「当時の私は若く、獲物を撃ちたくてうずうずしていた。オオカミが減ればシカが増える、オオカミのいない山はハンターの楽園だと思っていた。だが、消えゆく緑の炎を目にしてからは、オオカミも山もそんな考えを認めはしないと思うようになった」
 その母オオカミが、私たちがいる野営地、ここ、ヒラ原生自然地域の創設のきっかけとなったと言ってもいい。若い森林管理官の名はアルド・レオポルド。当時の最先端の科学的知見を用いて、政府所有の広大な土地を管理しようとした先進的なレンジャーの一人だった。
 オオカミとの出合いなどが契機となり、レオポルドは1922年、新たな保全地域の指定を呼びかける書簡をつづった。それまで政府が管理する土地は2種類しかなかった。一つは国立公園で、レクリエーションに活用され、道路やロッジなどの施設を建設できる。もう一つは国有林で、当局が木材や鉱物、牧草、狩猟の獲物となる鳥獣など、その土地の資源を管理する。レオポルドはそれらに加え、自然のままの状態で保全する地域が必要だと主張した。彼が候補に挙げたのは、広大なヒラ国有林の中央部に広がる3100平方キロの土地で、そこにはヒラ川の源流もある。1924年、米農務省森林局はここを世界初の原生自然地域(ウィルダネス・エリア)に指定した。
次ページ:最後の族長、ジェロニモが生まれた場所
ここから先は、「ナショナル ジオグラフィック日本版」の
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https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/23/051900249/

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APEC貿易相会合 台湾の代表、TPP加入への支持呼びかけ

2023-05-29 | 先住民族関連
中央社フォーカス台湾2023年5月28日 17時24分
(台北中央社)アジア太平洋経済協力会議(APEC)の貿易相会合が台湾時間27日、米中西部ミシガン州デトロイトで閉幕した。出席した鄧振中(とうしんちゅう)行政院(内閣)政務委員(無任所大臣)は、環太平洋経済連携協定(TPP)への台湾加入に対する支持を呼びかけた。
行政院の報道資料によれば、鄧氏は、台湾は貿易や投資に関する高い基準を受け入れる準備が整っているとし、TPP加入国の支持を得て早期に加入することでアジア太平洋地域の繁栄に貢献できることを願っていると語った。
また、台湾は持続可能で包括的な経済成長の重要性も高く認識していると説明。政府は台湾原住民(先住民)や労働者の権利の確保を推進している他、中小企業の発展を支援したり、ジェンダーの平等を目指す取り組みを進めたりしていると話した。
(賴于榛/編集:楊千慧)
https://news.livedoor.com/article/detail/24321238/

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国連気候変動枠組み条約第30回締約国会議(COP30)、ブラジルのアマゾン地域の都市ベレンで開催決定。

2023-05-29 | 先住民族関連
RIEF2023-05-28 11:33:13

気候変動加速の象徴でもある「アマゾン」で、気候危機打開の再確認を目指す
 ブラジル政府は26日、2025年に開かれる国連気候変動枠組み条約第30回締約国会議(COP30)の開催地にブラジルのアマゾン地域にあるパラ州の州都ベレンが選ばれた、と発表した。ベレンはアマゾン川の河口付近にある人口約150万の都市。アマゾンの保護と開発は、人類が地球の環境にどう取り組むかを象徴するテーマとして国際的にも関心が寄せられている。
 同国のルラ大統領が26日、ツィッターで情報発信した。その後のビデオ声明で「私が過去に出席したCOPではみながアマゾンのことを話していた。この機会にアマゾン川や熱帯雨林を見てほしい」と話した。大統領は昨年11月にエジプトで開いたCOP27に出席し、アマゾン地域でのCOP開催を提唱していた。
 今年のCOP28はアラブ首長国連邦(UAE)のドバイで開催される予定。ただ、次の2024年のCOP29の開催地は、オーストリア等が立候補しているが、まだ正式には決まっていない。
 COP29の開催地より先んじてブラジルが2025年のCOP30の開催地に決まったのは、「世界の肺」と呼ばれるアマゾン地域の熱帯雨林地帯でCOPを開くことで、気候変動対策を推進するグローバルな決意を改めて確認する狙いがあるようだ。
 アマゾン流域はブラジルのほか、ペルー、ボリビア、コロンビア、エクアドルの各国にわたっている。そのうち6割強をブラジルが占める。豊かな森林資源が広がる一方で、その豊かな資源の開発も進んでおり、ボルソナロ前政権下で森林の伐採、農地転換、違法伐採等が急速に進み、先住民からの抗議、国際社会から懸念等があがっていた。
 今年1月に発足したルラ政権は、前政権の開発政策を修正して森林保護強化を打ち出している。発足後、森林の消失面積は、昨年の同じ時期に比べ約4割減ったとされる。同政権はアマゾン保護を強化するための国際的な協力支援を目指しており、COP30誘致もそうした意味合いもある。ルラ氏はビデオで「私が出席したCOP27では、みんながアマゾンのことを話していた。この機会にアマゾン川や熱帯雨林の現状をみてほしい」と語った。
 国連気候変動枠組み条約事務局(UNFCCC)も、積極的にブラジル開催を推進した。グローバルな気候変動対策をめぐる毎年のCOP会議ではこのところ、先進国と途上国の対立がより一層、先鋭化している。成長の著しい途上国での効果的な排出削減策と、その負担をめぐる南北間の調整がカギとなっているためだ。そうした中で、気候対策重視の視点を改めて共有化するために、ブラジルでのCOP開催を選んだとみられる。
 ルラ政権は環境保護を重視する姿勢を打ち出しているものの、国全体では、資源開発と環境保護の対立が依然続いている。直近では、国営エネルギー企業のPetrobrasがアマゾン河口沖の海域で海底油田・ガス田開発を計画している問題が政権基盤を揺るがしている。環境ウォッチドッグのIbamaが開発是認のを否を宣言。これに対して、政府部内でもエネルギー省等が反発するなど、政権内でエネルギー開発か、アマゾン保護かで論争が起きている。
 こうした中で、連邦議会の担当委員会は先週、環境・先住民担当官庁の権限を制限する法律原案を承認する動きを示し、議会とルラ政権の対立も鮮明化している。ルラ氏のCOP30誘致は、こうした内外での対立や摩擦等に対処する外交、内政両面での思惑もあるようだ。
https://twitter.com/BPartisans/status/1662136135487717377
https://www.euronews.com/green/2023/01/16/brazil-makes-official-bid-for-amazonian-city-to-host-un-climate-conference-in-2025
https://www.argusmedia.com/en//news/2453964-brazil-to-host-cop-30-lula?backToResults=true
https://rief-jp.org/ct8/135875

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アングル:米大学入試の「人種考慮」変わるか、最高裁判断に注目

2023-05-29 | 先住民族関連
Reuters 2023/05/28
[ワシントン 24日 ロイター] - 米カリフォルニア州で1998年、公立大学の入学者選抜における「アファーマティブアクション(積極的な差別是正措置)」を禁止する住民投票決議が発効した。すると、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)とカリフォルニア大学バークレー校で黒人や中南米系、先住民系の入学者数が50%余りも急減した。
これらの数字は、学生の多様化を推進している全米の大学運営当局にとって警戒を要する数字と言える。米連邦最高裁が6月末までに、これまでの判例を覆して、カリフォルニア州のようなアファーマティブアクション禁止措置を米国全体に適用するのを認める判断を下すと予想されているからだ。
最高裁が現在審理しているのは、ハーバード大学とノースカロライナ大学(UNC)で入学選抜時に人種を考慮することが許されるかどうかを巡って争われている2つの訴訟。
ロイターが十数カ所の大学の幹部に取材したところ、最高裁の判断次第で学生構成における人種や民族の多様性を維持したり、高めたりする取り組みが危機にひんしかねないとの懸念が示された。
カリフォルニア州のポモナ・カレッジの入学選考責任者、セス・アレン氏は「教育熱心で公平な社会の実現という目標に国家全体として逆行するのは決して許されない。だから異なる学生グループ間の入学格差をこれ以上広げない道を確保するため、どのように一致協力していくかを模索するのが、今の高等教育機関で働く人たちの責任だ」と述べた。
多くの米国の大学は過去数十年間にわたり、何らかのアファーマティブアクションを導入し、マイノリティーの学生の入学を増やしてきた。
背景には、それが教育の機会提供だけでなく、キャンパスにさまざまな視点をもたらす上で、多様な学生層を受け入れることに価値があるという考えがある。
各校は多様性をさらに強化する上で、さまざまな対策を検討しているところだ。ヒューストンのライス大学のある幹部は、同校が幅広いバックグラウンドの学生を入学させるため、論文試験を重視すると話した。空軍士官学校は、さまざまな人種が暮らす地域からの学生勧誘に力を入れるという。
ニューヨークのスキッドモア・カレッジの学長は、応募者の層を広げるには高校のカウンセラーとの連携が一段と大事になるとの見方を示した。
多くの大学は、既に学費免除や標準化された試験への選択制導入に踏み切ったほか、経済的支援の拡充を検討中。いずれもマイノリティーの入学促進に役立つ措置だ。
ただ、最高裁が下す判断の内容次第では、こうした計画の変更を迫られる恐れがある、と取材した全ての大学運営当局者は口をそろえた。
アファーマティブアクション禁止命令が出された場合に、何かすり抜ける手だてを打ち出したとしても、それで訴訟に直面するかもしれないと心配する声も聞かれる。
ワシントン州にあるハワード法科大学院トップのダニエル・ホリー氏は「大学がこれから採用する新たな入学基準に起因する訴訟が起こされそうだ」と身構える。
最高裁が審理中の2つの訴訟は、入学者選抜においてハーバード大学がアジア系を、UNCは白人とアジア系を不当に差別していると申し立てがあり、両校がこれを否定するという構図になっている。
<勧誘活動に注力>
こうした中で大学運営当局者の多くは、最高裁による制限の範囲にならないと見込まれる入学者勧誘活動に注力しようとしている。
その一環として、マイノリティーが多い所得や教育水準が低い地域にある高校や地域団体との接触を強化しているという。
カリフォルニア州のピッツァー・カレッジの入学担当幹部、イボンヌ・バーメン氏のチームは、狙いを定めた地域の高校で論文作成教室を開催し、応募につなげたい意向だ。
ミネソタ州のセント・オラフ・カレッジの入学担当部門責任者、クリス・ジョージ氏は、カレッジ・ボードなどの全国組織が提供してくれる地域の所得や住居の安定性に関するデータが、どの高校にチームを派遣して勧誘イベントをすれば良いかを判断する上で役立つと明かした。
また、複数の大学運営当局者によると、どの学生が有望かを把握し、彼らの応募手続きを支援してくれる地域団体が、多様なバックグラウンドを持つ応募者を集めるための重要なパートナーになるだろうという。
ロサンゼルスに近いポモナ・カレッジやニューヨークにあるサラ・ローレンス・カレッジなど都市近郊の大学の運営当局者は、人種構成が多様な高校からより多くの学生を取り込み、地域のコミュニティーカレッジからの転校生も増やすと意気込んでいる。
空軍士官学校の入学担当ディレクター、アーサー・プリマス・ジュニア大佐は、人種多様性勧誘チームが引き続きマイノリティーが集中する地域の高校を訪れ、より多くの学生が地元議員からの推薦をもらえるよう取り組んでいくと語った。
(Gabriella Borter記者)
https://newspicks.com/news/8495557/body/

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<風・論説委員室から>敗者と辺境からの視座 高須賀渉

2023-05-29 | アイヌ民族関連
会員限定記事
北海道新聞2023年5月28日 09:08
 総務省が公表した2022年の人口移動報告を見ると、コロナ禍で歯止めがかかったように見えた東京への一極集中がまた進みそうだ。
 北海道をはじめとする地方は軒並み転出超過となり、全都道府県で唯一、人口が増えている東京の独り勝ちと映る。
 その東京を形作った歴史を「勝者」ではなく「敗者」の視線から捉え直したのが、東大の吉見俊哉教授の近著「敗者としての東京」(筑摩選書)である。
 本書によると、東京は少なくとも3度「占領」されたという。最初は江戸幕府を開いた徳川家康、2度目は明治維新で江戸に進駐した薩長連合軍、3度目は戦後駐留した米軍によって。
 歴史は「勝者」の側から語られがちだ。そんな歴史観だけでは、東京の成り立ちが産業化と都市化、関東大震災から帝都復興、東京大空襲から戦後復興、東京五輪へ―といった単線の成長主義の物語に収斂(しゅうれん)されてしまうと、吉見教授は危惧する。
 例えば、明治期に産業化の陰で苦しむ貧困層を取材した桜田文吾らは、戊辰戦争で薩長連合軍に敗れた藩の出身だった。
 東京の歴史に埋もれた、こうした事例をいくつも掘り起こし、成長期から下り坂にさしかかった現代日本でこそ「敗者」のまなざしで複眼的に物事を見ることが大事だと説く。
 北海道の近代史で、日本とロシアの帝国主義がせめぎ合う中、先住民族のアイヌ社会がどんな変遷をたどったかは、ほぼ無視されてきたように思う。
 その点、日ロ両国がアイヌなどの北方少数民族を国家に組み込んでいく過程を検証した「辺境から眺める」(みすず書房)は、出版から20年以上たった今読んでも示唆に富む。
 著者であるオーストラリア国立大名誉教授のテッサ・モーリス・スズキ氏は、アイヌ民族が農耕を営んでいたことを示す証拠がたくさんあるのに、縄文以来の狩猟採集民の生き残りのように語る言説に疑問を呈する。
 アイヌ民族が狩猟採集を経済活動の柱に据えたのは、農業が発展した江戸期に、肥料となるニシンの漁労などに従事させた松前藩の政策の影響が大きいという。ニブフなどの他の北方民族も同じような経験をしたことを示し、大国に翻弄(ほんろう)される少数民族を描き出した。
 ・・・・・
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/852595/

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