先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

江別古墳群を解説 20日に講演会

2023-05-12 | アイヌ民族関連
会員限定記事
北海道新聞2023年5月11日 22:25
 【江別】「北海道式古墳とアイヌ文化の成立」と題した講演会が20日午後3時から、野幌公民館(野幌町13)で開かれる。
 市郷土資料館友の会の主催。札幌大地域共創学群の瀬川拓郎教授(考古学)が市内の江別古墳群など北海道式古墳とその後のアイヌ文化の成り立ちについて語る。
・・・・・
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/844436/

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アイヌ民族副葬品に保存処理 浦幌町立博物館、専門業者へ委託

2023-05-12 | アイヌ民族関連
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北海道新聞2023年5月11日 21:42

専門業者に委託して長期保存処理を施すことになった副葬品
 【浦幌】町立博物館は16日、北大と東大から旧浦幌アイヌ協会(現ラポロアイヌネイション)に返還されたアイヌ民族の遺骨の副葬品5件を仙台市内の専門業者に預け、一定の時間を掛けて脱塩などの長期保存処理を施す。処理後は展示を予定している。
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(椎名宏智)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/844381/

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<釧路根室>釧路を学ぶなら市立博物館 鬼頭良幸

2023-05-12 | アイヌ民族関連
会員限定記事
北海道新聞2023年5月11日 11:18
 「釧路市は自然、歴史、文化が織りなす重層的な魅力が素晴らしい」。昨年に釧路を訪れた札幌の同僚の言葉だ。昨夏に着任した私もまったく同感だ。
 そんな釧路の奥深い魅力を、1カ所で分かりやすく紹介する場所がある。春採湖を見下ろす高台に立つ釧路市立博物館。建物からして、地元出身で日本を代表する建築家、毛綱毅曠(もづなきこう)氏が設計を手掛けている。タンチョウの羽ばたく姿をイメージしたという外観が印象的だ。
 展示は、釧路の自然や歴史に関わる4千点以上。釧路湿原の成り立ちの解説にうなずき、釧路沖でシャチが跳びはねる動画には驚いた。太陽光発電所の建設が相次ぎ、生息環境の悪化が問題になっているキタサンショウウオについても、産卵を含めた生態を動画で分かりやすく紹介している。
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(鬼頭良幸)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/844003/

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アイヌ伝統工芸品など作る人を紹介 白老町で冊子完成

2023-05-12 | アイヌ民族関連
NHK05月11日 18時59分

胆振の白老町で、アイヌ伝統の刺しゅうや木彫りといった工芸品などを作る人たちを紹介する冊子が完成しました。
完成した冊子「白老ハポの手仕事」は、白老町地域おこし協力隊のアイヌ文化振興担当の乾藍那さんが作りました。
白老町内でアイヌ伝統の刺しゅうや木彫りといった工芸品などを作っている個人5人と8つの団体が紹介され、アイヌ文化などの伝承活動を行っている4つの団体も掲載されています。
「ハポ」は、アイヌ語で「お母さん」や「年上の女性」という意味で、長年、工芸品などを作ってきた人たちが紹介されています。
このうち、30年以上にわたってアイヌの工芸品を作り続けている山崎シマ子さんは「アイヌ伝統の工芸品を作る仕事を知らない人がまだ多いので、いろんな人に紹介してもらうのはありがたいです」と話していました。
冊子を作った乾さんは「白老町には研さんを積んで高い技術を持っている人たちがたくさんいるので、冊子を通じて紹介したかった」と話していました。
この冊子は、白老町役場と白老駅北観光インフォメーションセンターで無料で配布されています。
https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20230511/7000057460.html

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《ブラジル》コムアイさんの先住民集落での出産計画にアドバイス 「大切な赤ちゃんは大事に産むべき」アマゾンで4人産んだ大槻京子さん

2023-05-12 | 先住民族関連
ブラジル日報5/11(木) 7:00配信
 音楽ユニット「水曜日のカンパネラ」の初代ボーカルで日本人アーティストのコムアイさんが南米アマゾンの先住民集落で出産し、その様子を父親である映画監督で文化人類学者の太田光海氏がドキュメンタリー作品にするという計画が発表され、一部で波紋を呼んでいる。
 ヤフーニュースのフラッシュ誌記事6日付《コムアイ「アマゾンで出産」宣言に専門医「日本での出産を勧めます」母子ともにリスクある選択に「出産をなめてる」猛批判》によれば、《「インタビューによると、コムアイさんは、父親の存在を軽視しがちな日本の産婦人科医に違和感があり、自然分娩にも以前から興味があったそうです。《昔ながらの方法のほうが、私が理想としている出産に近い》と語っています。そこで、太田さんの友人がいる、アマゾンの熱帯林で暮らすワンピス族の村で出産することを選んだそうです」》とある。
 父親で映画監督の太田氏は、英国マンチェスター大学グラナダ映像人類学センターに在籍中、エクアドルのアマゾン熱帯雨林に住むシュアール族の村に約1年間にわたり滞在し、その成果を映像作品にまとめて博士号を取得した。その初監督作『カナルタ 螺旋状の夢』が2021年公開された。その縁で先住民集落に友人がおり、そこで出産風景を作品にすることになったようだ。
 この作品制作資金を集めるためのネット募金サイトによれば、5月中旬~7月末に南米でのコムアイさんの軌跡を撮影。7月末の出産をもってメインパートの撮影を終了。8月~9月末はコムアイさんと新生児の様子をみながら追加撮影、編集プランを立てる。10月~12月に編集、24年1月~2月に映画完成、海外映画祭でワールドプレミア。
 同フラッシュ記事へのコメント欄では、産婦人科専門医/医学博士の稲葉可奈子さんが《日本での出産が世界最高レベルに安全で、妊産婦死亡率は、日本が10万人あたり5人、アマゾンの60%を占めるブラジルは60人で、国平均でも12倍死亡リスクがあり、しかもブラジルの都市部とアマゾンとでも医療環境は異なるでしょう》と前置きし、《安全なお産を祈念しますが、やはりアマゾンでも大丈夫、という話ではない》と締めくくった。このコメントに10日11時時点で6906人が「参考になった」とクリックした。
アマゾン出産に関して、アマゾンで4人産んだ大槻さんは
 コムアイさんのアマゾン出産に関して、アマゾン川下流のパラー州モンテ・アレグレ市に50年住み、同地で4人の子供を産んだ戦後移住者の大槻京子さん(75歳、山梨県出身)に意見を聞いた。
 モンテ・アレグレ市は、アマゾン川河口最大の町ベレンと中流最大都市マナウスの中間地点にあるサンタレン市から下流方向に約120キロ進んだ場所に位置する熱帯雨林ど真ん中の町だ。人口は約6万人、人口密度はわずか3人/平方キロだという。
 大槻さんは1973年9月25日に渡伯。日本で就労した数年間を除いてずっと同市で暮らしてきた。4度の出産と、一度の流産経験がある。出産場所は現モンテ・アレグレ市立病院だ。
 大槻さんは「先住民集落でのお産についてどう思いますか?」との質問に対し、以下のように答えた。
重病治療は大都市病院のみ、交通手段確保が重要
 一言で言えば、やはり難しいことだと思われます。それでもどうしてもアマゾンでのお産を望むのなら、あらかじめ緊急事態の発生を想定し、車で1時間以内の所に医療機関があるかや、最悪の場合に小型機やヘリなどをすぐに呼べるか、頼れる大都市の病院はあるかなど、考えておくことが必要だと思います。
 私がパラー州の小規模移住地モンテ・アレグレに入植した1973年頃、町にはすでにSESPという政府系の病院があり、町や近郊の村民達の健康維持を一手に担っていました。当時から妊婦の定期検診や出産は大半の人がこの病院で済ませていたようです。こんな奥地にいながら、お産は無事に済ますことができ、後の3人の子供達も皆この病院でお世話になりました。
 とはいえ、こんな不便なアマゾンの田舎での最初のお産には、とても苦労したという思いが今でも強烈に残っています。お産の仕方も分からず、コミュニケーションも当時はままならず、最後には知り合いの日本人の方や主人も付き添いながら苦しい時を過ごしました。
 入植から半世紀が経ちましたが、現在のモンテ・アレグレでも重大な病気や大怪我の治療は難しく、ケースによってはサンタレンのアマゾン下流域総合病院に患者を送っているのが現状です。
主人めがけて鎌を振り下ろす労働者 騒動収拾の果てに流産
 最後に私の経験した流産の話をお話しします。こんなこともあった――ということで。
 あまり話さないことなのですが、今から約40年前のことで、入植地で主人が労働者たちに支払いをしていた最中、機嫌を悪くした一人の若いブラジル人労働者が、近くにあった長い鎌を突然主人めがけて振り下ろし、大きな騒ぎが起きました。
 そのブラジル人はもともと乱暴者だったそうです。刃物を振り回すブラジル人から、主人は必至で身をかわしました。ほかの労働者たちは2人をぐるりと囲み見物しているだけでした。
 子供達は皆幼く、私はと言えば、誰か助けてくれる人はいないか、とずっと走り回っていました。今思えば、滑稽な風景ですね。
 その後、何とか騒ぎも収まった夜、気がつけば流産が始まっていました。意識が薄れていく中で私は誰かに抱えられながら、車に乗り、町の病院に運ばれました。
 運よくその晩、腕の良い若い白人の医師がおり、すぐに全身麻酔で掻爬の手術をしてもらうことができました。朝が来るとすぐに退院でした。
 私の暮らす所は入植地から約60キロ離れており、事件が起きたその日は、運悪く家の車が故障で使えなかったのですが、当時はまだ近くの入植地に数軒の日本人家族がおり、私の事で連絡を受けた人たちが私を町まで運んでくれ、助けてくれました。
 おそらく日本にいたら、こんな際にも救急車に乗り、最寄りの病院で最新医療を受けられたことでしょう。
搬送間に合わず亡くなる人も
 他にも、共にモンテ・アレグレに入植していた主人の学生時代の仲間の奥さんも、ある日突然腸の病で倒れ、この町では手術のできる医師も見つからず、大病院に行く時間も間に合わず亡くなったケースもあり、未開の地の怖さが身に沁みました。
 何かに護られているのか、アマゾンのモンテ・アレグレで産まれた子らは皆元気で、有難く思っています。こんな場所に暮らしているからこそ、神様のご加護が与えられるのでしょうか。
 お産というのは大概無事に終わるのでしょうが、何が起こるのか分からない場合もあります。
 アマゾンの先住民の部落も、今では充実した医療支援もあるかと思いますが、アマゾンでの出産は、妊婦さんもよく自分の身体の状態を考えられて、臨むことが大事でしょう。
 大切な赤ちゃんは大事に産むべきだとも思います。子供に苦労はかけられますが、かけがえのない存在です。
https://news.yahoo.co.jp/articles/976231a3a098469c59ba5ff517f128f7ca7e9182

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ウクライナ戦争の影響は温暖化対策にも 機能低下の北極評議会、高まる氷解リスク

2023-05-12 | 先住民族関連
ニューズウィーク2023年5月11日(木)11時57分

北極評議会は30年近くにわたり、冷戦後の協力関係の成功例として知られてきた。写真はノルウェー・ロングイェールビーン近郊の景色。4月5日撮影(2023年 ロイター/Lisi Niesner)
北極評議会は30年近くにわたり、冷戦後の協力関係の成功例として知られてきた。ロシアや米国を含む加盟8カ国は、気候変動に関する研究や、生態系に注意を要するこの地域の社会開発で協力してきた。
しかし、ロシアによるウクライナ侵攻を受け、加盟国はロシアとの協力を中止。北極の海岸線の半分以上を支配するロシアと協力できない以上、北極評議会の存在意義は脅かされかねないとの懸念が専門家の間で高まっている。今月11日にはノルウェーがロシアから議長国を引き継ぐ予定だ。
北極評議会が機能不全に陥れば、この地域の環境と400万人の住民に悲惨な影響が及びかねない。海氷融解の影響を受ける上、ほぼ未開発の鉱物資源に対して非北極圏諸国が関心を抱いているからだ。
評議会はフィンランド、ノルウェー、アイスランド、スウェーデン、ロシア、デンマーク、カナダ、米国の北極圏8カ国で構成。過去には環境保護・保全に関する拘束力のある合意を生み出している。
評議会は、北極圏の先住民族が声を届けられる貴重な場でもある。安全保障問題は取り扱わない。
だが、ロシアとの協力関係が断たれたことで、130のプロジェクトのうち約3分の1が棚上げされ、新規プロジェクトは進められず、既存のプロジェクトは更新できていない。欧米とロシアの科学者が気候変動の研究成果を共有することはなくなり、捜索救助活動や原油流出事故についての協力も停止している。
アンガス・キング米上院議員は、ロイターに対し「北極評議会が様々な問題を解決する上で、この状況が深刻な足かせになるのではと心配している」と述べた。
地域分断も
北極圏は、世界の他の地域と比べて約4倍の速さで温暖化が進行している。
海氷が消え、北極の海は海運の他、石油、ガス、金、鉄鉱石、レアアースなど天然資源の開発に熱心な産業に開放されつつある。
ロシアと他の加盟国との不和により、こうした変化に有効な対応が採れる可能性は大幅に低くなった。
ハーバード・ケネディースクールの北極圏イニシアチブ共同ディレクターで、オバマ元米大統領の科学顧問だったジョン・ホールドレン氏は「ノルウェーが大きな課題を抱えている。ロシアを欠いた状態で、北極評議会の優れた活動を最大限守り抜くという課題だ」と述べた。
一方、ロシアは同国なしに活動は続けられないと主張する。同国のニコライ・コルチュノフ北極圏大使はロイターに、北極評議会は弱体化しており「北極問題に関する主要なプラットフォームであり続けることができる」という自信はないと語った。
さらに心配なのは、ロシアがこの地域の問題で独自の道を歩むばかりか、対抗する評議会を設立する可能性だ。
ロシアは最近、北極圏で非北極圏諸国との協力関係を拡大するための措置を講じている。ロシアと中国は4月24日、北極圏における両国の沿岸警備隊の協力関係を定めた覚書に署名した。
それに先立つ4月14日、ロシアは中国、インド、ブラジル、南アフリカのBRICS諸国をスバールバル諸島のロシア人居住地に招き、調査を実施した。同諸島はノルウェーの主権下にあるが、1920年の条約に基づき他国も産業活動を行える。
米ホワイトハウス北極圏運営委員会の執行ディレクター、デビッド・バルトン氏は「ロシアが北極圏以外の国、特に中国と関係を築こうとしており、これは懸念すべき事態だ」と述べた。
ロシアのコルチュノフ氏は、軍事的な意図を持たない限り、北極圏に非北極圏の国が来るのをロシア政府は歓迎すると説明。「われわれが純粋に平和的なパートナーシップ形態に専念している背景には、非北極圏諸国と科学・経済協力を築くことの必要性もある」と述べた。
ロシアとの関わり方
ノルウェーは、ロシアからの議長国の円滑な引き継ぎを「楽観視」していると言う。北極評議会を維持することが、全ての北極圏諸国の利益となるから、というのがその理由だ。
ノルウェーのペテルソン外務副大臣は、ロイターに対し「北極圏協力のための最も重要な国際フォーラムとして北極評議会を守り、存続させる必要がある」と述べた。
しかし、ノルウェー自体、ロシアとの関係が緊迫化している今、それは容易ではないだろう。ノルウェーは今年4月、ロシア外交官15人をスパイだとして追放した。ロシアはこれを否定。コルチュノフ氏は、この追放によって協力に必要な信頼が損なわれたと語った。
それでも、ノルウェーはロシアとの微妙なバランスを取る役目に適している、とアナリストは言う。ノルウェーは北大西洋条約機構(NATO)加盟国であり、北極圏でロシアと国境を接している。
オスロのフリチョフ・ナンセン研究所で北極の統治・安全保障の上級研究員を務めるSvein Vigeland Rottem氏は「政治的に許されるようになった場合、ロシアを北極評議会に再び迎え入れるべくドアを開けておく可能性について、ノルウェーは最も率直に発言してきた」と述べた。
デンマークのAaja Chemnitz Larsen議員は「将来的にロシア抜きの北極評議会はあり得ない」と指摘。「いつか(ウクライナでの)戦争が終わり、違う時代が訪れた時に備えておく必要がある」と語った。
(Humeyra Pamuk記者、Gloria Dickie記者、 Gwladys Fouche記者)
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2023/05/post-101610.php

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『生きて』 通訳・被爆者 小倉桂子さん(1937年~) <10> 世界のヒバクシャ

2023-05-12 | 先住民族関連
中國新聞23年5月11日

現在進行形の問題 痛感
  ≪1987年秋、米ニューヨークで8日間にわたって開かれた第1回核被害者世界大会に、広島県原水禁などでつくる代表団の一員として派遣された≫
 大会には世界中から核被害者や専門家、平和運動家が集まっていました。ウラン採掘の現場で働く人、米国内やマーシャル諸島の核実験場周辺住民、実験に携わった技術者、元兵士の話をシンポジウムや分科会で聞きました。79年に原発事故があったスリーマイル島へも足を運び、放射線の影響とみられる住民のがんの話を聞き、奇形の植物を見ました。
 原爆投下を正当化する声にも直面しました。ニューヨーク滞在中、米国人の集会に呼ばれて被爆体験を話すと「おめでとう。原爆のおかげで君はこうしてここに来ることができた。だって原爆が投下されなければ日本人はみんな自決していた」と言われたのです。反論すると「原爆が人類の命を救ったと小学校で習っただろ」と返されました。私が「広島では被害も加害も教えます」と言うと相手はとても怒りました。こうした修羅場は、その後何度も体験することになるのですが…。
 大会の閉幕後、私は一人でボストン、ワイオミングへと飛び、広島で出会った友人たちを訪ねました。それから旧知のジャーナリストと合流し、米国が最初のウラン採掘をしたアリゾナ州の先住民保留地へ行きました。鉱山や鉱石精錬所が集中するニューメキシコ州の町を車で走り、ネバダの核実験場の風下地域に当たるユタ州の町で住民の話に耳を傾けました。サンフランシスコでは、補償を求めて闘う被曝(ひばく)退役軍人たちの報告を聞きました。世界大会で聞いた通りの実情でした。
 ウラン採掘から始まり、開発、実験、使用といった核のサイクルで、どれだけ多くの核被害者が生まれ、弱い立場の人が犠牲になっているか知りました。世界のヒバクシャと出会い、核の問題が現在進行形であると痛感しました。ヒロシマは彼らの声を聞き、その声も合わせて発信しなくてはならないと思いました。ひと月にわたる経験で、これからの自分の役割が見えた気がしました。
(2023年5月11日朝刊掲載)
https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=131640

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学びの人=田原和宏

2023-05-12 | 先住民族関連
毎日新聞 2023/5/11 東京夕刊 有料記事 934文字

エベレスト山頂に立つ植村直己隊員(日本山岳会エベレスト登山隊)=1970年5月11日午前9時10分、松浦輝夫隊員撮影
 1970年のきょう、冒険家の植村直己さんは世界最高峰のエベレストの頂上に立った。「先に行ってください」。残りわずかとなり、東南稜(りょう)ルートのリーダーである松浦輝夫さんに先頭を譲った。日本人初の快挙を前にしても、そんな気配りのできる人だった。
 植村さんの母校、明治大で開かれている企画展を訪れた。世界初の五大陸最高峰登頂(70年)、犬ぞりによる北極点の単独到達(78年)――。多くの冒険を成し遂げたが、84年に厳冬期の北米最高峰マッキンリー(現デナリ)に登頂後、翌日の無線交信を最後に消息を絶った。あれから40年近く。かつて在籍した山岳部にも植村さんを知らない部員がいるという。先輩の足跡を知ってもらおうと、7年ぶりの母校での展示となった。
 ・・・・
(専門記者)
https://mainichi.jp/articles/20230511/dde/012/070/009000c

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