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未知なる先住民 一挙出現の謎を追う アマゾン取材記

2025-01-09 | 先住民族関連

 

NHK 2025年1月8日 13時54分

始まりは1本の電話からだった。
「アマゾンで10年ぶりに“イゾラド”が現れたらしい」
去年8月、ある先輩ディレクターから連絡があり、アマゾンで“イゾラド”が100人を超える集団で現れたという。
イゾラドとは、文明に接触したことがない未知の先住民のことで、南米・ブラジルとペルーにまたがるアマゾンの森の奥で、動物を追いかけながら自給自足の暮らしをしているとされている。
元々は“隔絶された人々”という意味を持ち、さまざまな部族が暮らしてきた。NHKでは、四半世紀にわたり取材を続け、その姿を映像に記録してきた。しかし、多くの部族が絶滅した可能性が高く、2014年を最後にその姿は確認されていなかった。
現代社会の中で、スマートフォンやパソコンを持たないどころか、服も靴も身に着けずに暮らす人が、まだこの世界に存在していること、そして、彼らと実際に相対することが出来るかもしれないことに気持ちが高ぶった。
「ぜひ取材したい」私は即答していた。
(社会番組部ディレクター 鈴木 俊太郎)

限られた情報しかない未知なる先住民 “イゾラド”

イゾラドが現れたのは去年6月。場所は、ペルー内陸部の「源流域」と呼ばれる深い森のなかにある集落だという。

イゾラドが現れたというニュースは、瞬く間に世界を駆け巡り、アメリカやイギリスなどのヨーロッパ各国で報じられた。

しかし、その時のイゾラドを捉えた映像は、先住民の人権を扱う国際NGOによるもののみで、現れた期間も2日間と短く、得られる情報は非常に限られていた。

10年の時を経て、なぜ彼らは現れたのか。その謎を解明するとともに、できればイゾラドを直接カメラで捉えたいと私は考えた。

イゾラドに病を感染させないために 16回の予防接種

情報収集やビザ取得の手続きのほかに、最も入念な準備が必要なことがあった。予防接種だ。

文明と接触したことがないイゾラドは病原菌に対し免疫がない。過去には文明側との不用意な接触で、病に感染するなどして多くの部族が絶滅した。

自分たちが病気に感染すること以上に、相手に感染させてしまうことは絶対に許されない。私は、東京都内のワクチン専門外来で医師の指導を仰ぎ、狂犬病や破傷風、黄熱病、肝炎などのワクチンを接種することにした。

注射した回数は実に16回。多い時には左右の腕に5か所の注射を同時に打つという人生初の体験もした。

副作用とみられる症状にも悩まされた。単身赴任で一人暮らしをしているため、アパートの一室で発熱やけん怠感にじっと耐える日々は心身にこたえた。

イゾラドへの道は険しい。

1か月前にも出現していたイゾラド その数180人

去年11月、出発の日を迎えた。羽田空港からペルー内陸部までは飛行機を乗り継ぎ約40時間。

長時間のフライトを経て、源流域の玄関口の街プエルト・マルドナードに到着した。

赤道にも近い空港に降り立つと、まとわりつくような湿気と熱気が押し寄せた。

気温35度にせまる暑さに汗しながら、まず訪れたのはペルー政府・文化省でイゾラドの保護を担当する職員たちだった。

職員たちはスマートフォンで撮影した写真や映像を示しながら、こう語り始めた。

イゾラド保護の担当職員

「これは10月24日の写真で、イゾラドがバナナを持って立ち去るところです」

「イゾラドは180人近くいました」

なんと、1か月前にも、イゾラドは現れていたというのだ。

ペルー政府は、病原菌への感染のおそれなどを考慮し、イゾラドの暮らす森を「保護区域」に指定し、広島県とほぼ同じ面積のエリアに外部の人間が立ち入ることを厳しく制限している。

今回、私たちは文化省の職員に特別な許可をもらい、イゾラドが現れた集落へのパトロールに同行することにした。

あいにくの小雨が降るなか、市場で買い込んだ食料や燃料を積み込み、港を出発した私たち。100馬力のエンジンを搭載したボートでアマゾンをさかのぼり始めた。

難所を越え源流域の集落へ しかし住民はどこへ…

数時間も進むと、私たちの前にサルやコンゴウインコ、バクなどの動物たちが現れた。

こうした動物や木々の色の濃さ、緑の美しさに感動しながら撮影を続ける私たちだったが、上流に行くにつれ、あることに気が付いた。

川の水の量が少ないのだ。

本来であれば季節は雨季。しかし、ことしは降水量が少ない状態が続き、南米各地で干ばつが発生していた。水深が浅い場所が多く、水面から突き出した流木が目立つ。

「ガガ、ガガガガァ」

突如鈍い金属音とともに、大きな振動を感じた。ボートが浅瀬に乗り上げ、川の真ん中あたりで、身動きが取れなくなったのだ。周囲に集落はなく、脱出できなければ翌日の朝まで救助を待つことになる。

ただ、乗っているのは百戦錬磨の職員たち。即座に川に飛び込むと、力を合わせてボートを押し、流れのある場所まで戻してくれた。

左側がイゾラド保護の担当職員ウィルソンさん

イゾラド保護の担当職員 ウィルソン・セバスチャンさん

「アマゾンの川底の地形は1日雨が降るだけで変わる。経験や知識も大事だが、目の前の状況に対応することが大事だ」

川をさかのぼること2日、ついに目的地に到着する。

モンテ・サルバード。アマゾンで最も上流に位置する集落で、36家族136人が暮らす。

案内してもらおうとした取材班は異変に気が付く。集落に人の影がほとんどない。幼稚園や小学校に子どもの姿は皆無、女性たちがアクセサリーや布製品などの民芸品を作る工房も寂しげな様子だった。

集落には、数人の男性がとどまっているのみで、女性や子供、高齢者たちは全員、イゾラドとのあるトラブルをきっかけに離れた街に避難しているという。

一体、何が起きたのか。

“10年前と同じ” 穏やかだった最初の接触

ウィルソンさんは、川に面した高台に私たちを連れ出し、対岸を指さしながらこう話し始めた。

ウィルソンさん

「6月27日、ちょうどランチを始めようとしていた時でした。川で水浴びをしていた女の子が走ってきて、教えてくれたのです、“男の人がいる”と。イゾラドは、森の中からこちらを見ている様子だったので“河原に出て”と言うと、出てきました」

この集落の周辺では、2000年代前半からイゾラドが度々目撃されてきた。政府は、この集落にイゾラドの監視所を設置。

集落の建物では唯一鍵がかかり、窓には鉄格子がはまっていた。私たちが宿泊させてもらう木製の高床式ロッジがまさにその監視所だ。

2014年にイゾラドが出現したときの様子

10年前にイゾラドが現れたとき、ウィルソンさんもこの監視所にいて彼らと対じした。

突如現れた彼らを前に、当時の集落のリーダーが行ったのは、バナナをイゾラドに贈り、敵意がないと示すことだった。家々から集めたバナナをボートに積んで届けると、イゾラドは弓矢を置いてこちらに向かって言葉を発するようになった。

集落の人が話す先住民「イネ族」のことばが一部通じることも分かった。バナナを贈り、少しの会話を試みる。それが10年前に編み出した、イゾラドとのやりとりの方法だった。

今回の出現で、イゾラドとの交渉役を任されたウィルソンさんは、まず名前やどこから来たのかなどを聞いたのち、「何が欲しいのか」を尋ねたという。

ウィルソンさん

「“何がほしいの?”と質問すると、彼らはイネ語で“paranta(バナナ)とpochwaksuru(サトウキビ)”と答えました。武器を持っていないことを示すために、私が手を上げて1回転すると、彼らは信頼を寄せてくれた様子でした」

ウィルソンさんは10年前と同じように、ボートにバナナやサトウキビ、ロープなどを積んで届けた。すると、イゾラドは弓矢を置き、穏やかな様子でやりとりが続いたという。

約5時間後、イゾラドたちは森に戻った。

“攻撃的になった” 映像の分析から判明したイゾラドの変化

6月の出現以降、集落の人たちはイゾラドが出現するたびに、スマートフォンなどでその様子を映像で記録していた。

映像は、合わせて約3時間。分析していくと、住民の避難に至るまでのイゾラドの変化が見えてきた。

2回目の出現は10月21日。40人ほどでやってきた。

このときもバナナをボートで届け、イゾラドが受け取る。穏やかなやりとりに見えた。

しかし、釣りに出かけていた集落の男性が、森に戻る彼らに遭遇すると、イゾラドが矢を撃ってきたという。矢は、履いていたジーンズの革のベルト部分に当たり、辛うじて刺さらなかった。

3日後の10月24日、今度は80人で現れたイゾラド。当時の映像には、集落の住民に対し攻撃的な態度をとる様子が映し出されていた。

イゾラド

「そこの男、細いひもをよこせ。その服を脱いで持ってこい」

「もっと熟したバナナを持ってこい。向こうに熟したバナナがあるだろう!」

さらに2日後の接触のあと、イゾラドは保護官に矢を放ち、1本が命中。

矢は肩から肺を貫き、心臓まで数センチのところにまで達していた。ひん死の重傷だった。

翌日、ペルー政府は軍のヘリコプターを派遣し、住民を緊急避難させたのだ。

干ばつと違法な伐採業者 行動範囲を広げたイゾラド

なぜイゾラドは弓を引いたのか。映像や証言を分析するなかで、気になることばがあった。

イゾラド保護の担当職員

「服を着ている人は悪いやつだと言ってきました」

イゾラドが「森の中にいる服を着た人が悪い」と繰り返し言ってきたのだという。

それはいったい誰のことなのか、私たちは手がかりを求めて、保護官が矢を撃たれた場所に向かった。

防弾チョッキを着用し、森の奥へと進む。至るところにイゾラドが目印として切ったという無数の枝に出くわした。

どこからかイゾラドに見られているのではないか、そんな気配におののきながら、恐る恐る進んだ先。そこにあったのは、大きなやしの葉を地面に突き刺した何か。

イゾラドの住まい跡と思われるもので、その数は50あまりに上った。

ウィルソンさんがあることに気がついた。住まい跡とみられる場所に必ず残されているという、イゾラドが食べた動物の骨が見当たらないのだ。詳しく調べても、見つかったのはカメの甲羅だけだった。

去年、アマゾンを襲った干ばつの影響もあるのか、イゾラドが森で十分な獲物をとれていない可能性があるという。食料が足りなくなって活動範囲を保護区域外に広げたのではないか、そうウィルソンさんは分析した。

さらに、興味深いものが見つかった。

この使い古された鍋。イゾラドが「悪い人」と繰り返し述べたという「服を着た人」の手がかりとなる代物だ。

ウィルソンさんによれば、それは集落の人が渡したものではなく、野営しながら森を伐採する業者のものだという。

そろいの作業着をまとい、保護区域の中で違法な伐採を繰り返す業者。切り出した木材の出どころを隠し、海外に輸出していたと見られている。

イゾラド保護の担当職員 ウィルソンさん

「保護区に違法伐採業者が入り込んだことも、イゾラドが保護区の外に移動した要因ではないでしょうか。伐採業者はイゾラドを殺すので、逃げていたのだと思います」

実際、去年、伐採業者の野営地で2人の作業員が何者かに殺害される事態が発生。業者に銃で殺害されたことへの、イゾラドによる報復ではないかとみられている。

私たちが分析した映像には、集落の人たちに向けたイゾラドのこんなことばも収められている。

イゾラド

「あなたたちも武器を置いてください」

集落の人が持っていたカメラを武器だと思い込み、警戒していたのだ。

ウィルソンさん

「イゾラドは“yoasaletanno chichi”と言います。“銃で私を傷つけないでくれ”という意味です。伐採業者との衝突でイゾラドは変わってしまいました。伐採業者に殺されたため、私たちにも報復してくるようになったのです。彼らに、“私たちは悪い人ではない”、“あなたたちを守っているんだ”と教えようとしますが、理解してくれません」

“目の前で起きる事実に向き合う” 集落の人の試行錯誤

イゾラドとどう向き合えばいいのか。

いま、モンテ・サルバードの人たちは、新たな模索を始めている。集落の周りに広がる森に、カメラを設置。

イゾラドが確認されれば、森に入ることを一時的に禁止する。さらに、イゾラドが折ったと思われる枝の周りを切り払う。こちらの存在を知らせ、お互いの領域がどこにあるかを理解してもらうためだ。

私がディレクターとして取材にあたり、大きな学びとなったのは、この「目の前の現実に向き合う」という集落の人たちの姿勢だ。

イゾラドについて、「この先、どう向き合っていきたいか?」と未来のことを聞くと、彼らは常に「現在(いま)」について答えた。「過去のどこに原因があったのか?」と聞くと、「今を生きるしかない」という答えが返ってきた。

モンテ・サルバードの住民と取材班

イゾラドが行動範囲を広げ、アマゾンの森の奥から出てきた原因の一つと思われる干ばつには、地球規模の気候変動の影響が指摘されていて、違法な伐採業者の活動も現状ではコントロールしきれない。

集落の人たちにとって、これまでの知識や経験が通用しない状況でも、彼らは目の前の現実に向き合おうとしている。

どうやっても変えられない過去や、まだ遠い未来のことを考えるあまり、今を懸命に生きることを忘れがちな私にとって、その姿が印象的だった。

謎多きイゾラドに加え、隣り合う集落で生きる彼らの現在や置かれた現実も、引き続き記録し続けたいと思う。

番外編 ピラルクと山鳥と時々サル アマゾンの食生活

モンテ・サルバードでの滞在中、取材班は、事前に玄関口の街で調達した食料を調理してもらいながら取材を続けた。

バナナのフライや、オリーブオイルとニンニクを入れて炊いたピラフのような風味のお米、パスタなど、毎日、美味しい食事を提供してもらった。

滞在の中盤以降は、集落の人たちに狩りや釣りでとった動物や魚をおすそ分けしてもらうことが増えた。例えば、ピラルクという白身の淡水魚。バナナの葉で包んで蒸した料理は、程よく脂が乗って身が柔らかく絶品だった。

また、山鳥は森を飛び回り筋肉質なのか、弾力が抜群で味も濃く美味しかった。

なかでも、取材班が驚かされたのが、ある日の夕食で出された肉だった。

骨付きで皮に弾力のある肉にかぶりつき、「これ、何の肉ですか?」と尋ねたところ、返ってきたことばは「mono」。

手前の黒く見えるものがmono(サル)の肉のくん製

野生のサルだった。

翌日、くん製になった「mono」も食べたが、ジャーキーのようなホロホロの肉になっていて、最後まで美味しくいただいた。

アマゾンは、食もまた奥深く、おそるべし。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250108/k10014686881000.html

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