BAZAAR 2025/01/08 BY KAZUMA OBARA
政情不安、抑圧された社会、歴史に置き去りにされた人々……こうした問題に各地で向き合う女性写真家たちがいる。彼女たちのカメラから響くシャッター音は、世界に届く。
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レバノンの混乱の渦中に飛び込み、果敢に撮影するミリアム・ボウロスの作品。臨場感にあふれた写真からは抗議の声が聞こえてくるようだ。
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19世紀初頭に初めてカメラ装置が発明されて以降、「写真」と「戦争」は常に切り離せない関係を続けてきた。その歴史は発明直後の19 世紀中ごろまでさかのぼり、ひとたび写真によって戦争が伝えられると、それまで絵画で英雄的に描かれてきた戦争像の転換がもたらされた。多くの人間が写真の影響力の強さに気づき、戦時下においては、国家をはじめとする権力のプロパガンダとして写真が用いられた。
一方、カメラ装置の小型化と汎用機の普及が進むと、民衆たちの手による戦争の記録が、強大な力を持つ既存の秩序をおびやかし始めた。
写真は、虐げられた人々の武器となり、写真家は権力と対峙しながら、それを世界に公表することで抵抗する手段として用いてきた。写真の歴史はまさに弱者にとっての抵抗の歴史ともいえる。現在、その抵抗は新たな段階へと可能性を広げている。
これまで戦争を扱う報道写真の多くは西側諸国の男性写真家によって撮影され、先進各国の巨大メディア資本はきわめて男性中心主義的な構造の中で、報道する内容に優劣をつけてきた。
しかし、SNSによるメディアの多チャンネル化は、戦時下で弱い立場にある女性や少数民族・性的マイノリティの写真家たちの作品を日々、世界中に拡散し続けている。今、アフリカで、中東で、アジアで、世界各地に数万人のフォロワーを持つローカルの女性写真家たちが、逮捕や拘束、そして文字通りの命のリスクを背負いながら、既存のメディア体系では伝わらなかったさまざまな社会課題について表現を続けている。
彼女たちは、世界中の同様の問題意識を持つ女性写真家たちとつながり、課題を共有し、撮影助成のための基金を立ち上げ、次世代のための教育プログラムを実施している。彼女たちが伝える戦争の断片は、必ずしも戦闘の惨状を写しとっているわけではない。それらは軍事独裁政権で抑圧される女性の日常であったり、民族紛争で土地を奪われた母親の記憶であったり、これまでの戦争像に新たな一面を与える写真ばかりである。
それは、戦争がもたらす不条理へのあらがいであると同時に、自分たちの奪われた尊厳を回復する行為である。そして、権威を権威だと感じずに生き続けている既存の秩序への警鐘である。
変革を求める民衆のうねりのなかで/ミリアム・ボウロス(Myriam BOULOS)
レバノンの首都、ベイルートを拠点に活動するミリアム・ボウロスが写すのは、抑圧され続ける女性の主体性である。2020 年、長年の政治腐敗がもたらした経済危機に対し、市民たちによる大規模な反政府デモは警察と衝突する大きな暴動に発展した。
そこには、さまざまな権利が認められていない多くの女性たちの姿もあった。ボウロスは撮影を続けながら2022年3月にコアメンバーの一人となってレバノン人の女性メンバーによって作られるヴィジュアル雑誌『AlHayya』を創刊した。女性に関するコンテンツが男性によって検閲・管理される国で、女性たちの物語を自らの手で編んだ。雑誌はイギリスでプリントされ、それは全世界へと送り出されている。
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国境をシリアとイスラエルに隣する中東の国、レバノンの惨状と革命の瞬間を内側からの視点で記録する。「個人的なことは、必然的に政治的でもあると感じている」というボウロスは撮影することで革命に参加し、混乱と抗議のなかにある美しい瞬間を、直感的でエネルギッシュに、親密さを持って写し出す。
MYRIAM BOULOS
ミリアム・ボウロス:1992年、レバノン生まれ。2015年にレバノン美術アカデミーで写真の修士号を取得。NYの国際写真センターやオランダのハウス・マルセイユ写真美術館などのグループ展に参加。2021年にマグナム・フォトの一員に。2023年、初写真集『What's ours』で、ユージン・スミス・フェローシップ賞受賞。
ヒジャブから覗く少女たちの素顔/サビハ・チマン(Sabiha ÇIMEN)
西側諸国によってイスラム教徒のスカーフ(ヒジャブ)は女性を抑圧するシンボルとして描かれがちである。ときにそれは自立性のない単純化された女性像として描写されることさえあった。そんなスカーフを身につけるコーラン学校の少女たちの姿を親密な写真で記録したのが、トルコのイスタンブール出身で自身も同校に通っていた写真家、サビハ・チマンである。
3年の歳月をかけて記録された写真には、厳しい規律の合間に見せる少女たちの豊かな表情と振る舞いが描かれる。「彼女たちは布の間から見える一部分よりも、もっともっと大きな存在です」。チマンの写真は、外部に固定化されたイメージを拒否し、その対象の見えない一面を優しく、そして、力強く提示する。
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ルコでは10代のイスラム教徒の若者たちが、聖典であるコーランを暗記するための学校が男女別で多数存在する。本作《Hafiz》は、チマンが少女たちの心に共感しながら、厳格な規律がありながらも男性の支配や社会的圧力のない環境のでなか自分自身と向き合い、成長していく姿を詩的にとらえたシリーズだ。
SABIHA ÇIMEN
サビハ・チマン:1986年、トルコ、イスタンブール生まれ。イスタンブール・ビルギ大学で国際貿易と金融を専攻し、同大学院で文化研究の修士課程を修了。 独学で写真を学び、2021年にRed Hook Editionsより刊行した写真集『Hafiz』が、ParisPhoto/Aperture Foundation PhotoBook Awardsを受賞。2024年にはマグナム・フォト正会員となる。
パキスタンの抑圧から普遍を描く/サラ・ヒルトン(Sara HYLTON)
女性や先住民族の権利、環境問題に関して世界各国で撮影するのは、カナダ人写真家のサラ・ヒルトンである。《The RisingVoices of Women in Pakistan》は、女性の選挙参加率が世界で特に低い国の一つであるパキスタンの女性を捉えたシリーズである。彼女は国内の異なる慣習を持つ異なる地域で活動する女性たちを見つめる。
進歩的・保守的、そして、立場を表明することさえかなわない状況でなんとか生き延びようとする女性たち。ヒルトンはそれらの女性たちを敬意を持って並列して提示する。彼女はそれぞれの違いを越境しながら、それぞれの地域で点在する問題を線としてつなげていく。それは、世界中の同様の構造を持った問題へもつなぎ合わされ、より普遍性のある作品として世界へ発信されている。
© SARA HYLTON
パキスタンの保守的で家父長的な規範により女性は家庭に追いやられ、特に農村部では、身分証明書を持たずに自宅にこもって暮らす女性も多くいる。法改正で女性有権者の数は増えたが選挙参加率は世界でも特に低い。パキスタンの女性たちは計り知れない危険に直面しながら自分たちの権利のために闘う。
SARA HYLTON
サラ・ヒルトン:カナダ生まれ。ブルックリンを拠点に活動するフリーランスの写真家。国際写真センターを卒業後、キングス・カレッジ・ロンドンで修士号を取得。ナショナルジオグラフィック協会に所属し、マグナム財団やピュリツァー危機報道センターなどから支援を受けている。2018年には、カナダの先住民女性の失踪・殺人事件に関する作品でナショナル・マガジン・アワードを受賞。
日本人妻たちの生きた証しを/林 典子(Noriko HAYASHI)
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林典子は北朝鮮に住む日本人妻の撮影を2013 年に開始した。1959~1984年、日本政府と赤十字は在日朝鮮人の北朝鮮への帰国事業を行った。そのなかには朝鮮半島にルーツを持つ男性と結婚した約1800 人の日本人女性も含まれていた。そのほとんどは、現在に至るまで日本に一度も里帰りすることがかなわないままだ。
林は彼女たちと何度も会い、話を聞き、日本の故郷を訪れ写真に残した。大型プリントで北朝鮮に持ち込まれた故郷の写真を前に彼女たちは、笑い、触れ、正座をして臨んだ。「北朝鮮」という固定化された像に対し、写真は外的な力に翻弄され続ける一人ひとりが生きてきた時間を刻み、私たちが見落としている個の像を描く。
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すでに高齢の日本人妻たち。写真の2人は60年間に一度だけ数日の帰国が許された。林が泊まったホテルは新潟から北朝鮮に入国した彼女たちも必ず滞在した港にある。林はそのうちのひとりの故郷の海辺の写真を印刷して、北朝鮮の海辺に飾って見せた。
NORIKO HAYASHI
林 典子:1983年、神奈川県生まれ。国際政治学、紛争・平和構築学を専攻していた大学時代に西アフリカのガンビア共和国を訪れ、地元新聞社『The Point』紙で写真を撮り始める。「ニュースにならない人々の物語」を国内外で取材。ロンドンのフォトエージェンシー「Panos Pictures」所属。
平穏な写真ににじむ深い心の傷/エティノサ・イヴォンヌ(Etinosa YVONNE)
アフリカ北西部に位置するナイジェリアでは、深刻な貧困による社会の不安定化で過激派グループによる殺人、誘拐、自爆テロが頻発している。ナイジェリア出身のエティノサ・イヴォンヌが撮影するのは、そんな残虐行為から生還した人々の姿である。
一見すると社会復帰できたかのように見える生存者たちの多くが、他者には見えないPTSD(心的外傷ストレス)による深刻な心の病に苦しみ続けている。彼女は5年にわたり国内をめぐり、70人以上を撮影してきた。静的なポートレイト写真にナイジェリアの風景動画と音声を重ね合わせたマルチメディア作品は、それぞれの脳内で望まずとも存在し続ける彼らのトラウマ的記憶とその影響を想像させる。
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《It’s All in My Head》はテロや紛争の生存者たちのトラウマと回復に焦点を当てたシリーズ。イメージとともに並ぶ手書きの文字には彼らが実際に経験した暴力の数々がつづられている。取りこぼされてしまいがちな生存者の心の穴に目を向けることで、心理社会的支援の必要性とその拡大を訴えかける。
ETINOSA YVONNE
エティノサ・イヴォンヌ:1989年、ナイジェリア生まれ。独学で写真を学び、文化や宗教、伝統、環境、人間心理、社会的な抑圧などをテーマに作品を制作している。これまでに世界各地で展示を開催。《It's All in My Head》のプロジェクトは、WomenPhotograph、Art X、ナショナルジオグラフィック協会から助成金を受け制作された。
匿名で発信する新世代の告白者/タ・ムウェ(Ta MWE)
50年以上も続く軍事独裁の末に民主政権を樹立したミャンマーでは、2017年には女性だけの写真家グループが組織されるなど、新たな取り組みが盛んに行われ始めていた。しかし、2021年に再び軍事クーデターが起こると、それに対する民衆デモは甚大な犠牲者とともに鎮圧され、軍政による暴力を伴う検閲が激化。
そんななか、民主的で自由なミャンマー社会の中で成人した今の若い世代は、新たな体制の中で静かな抵抗を始めている。同国出身の写真家、タ・ムウェは、SNSも駆使し、匿名で国内外への発信を続ける。過去の軍事クーデターをモノクロ写真の「歴史」として学び育ったムウィは、過去から連なる現在進行形の日々の出来事を同じ暗黒の時代の歴史の一場面として、モノクロ写真で表現する。
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2023年8月7日、ミャンマーのデモソ地区最前線の木陰で休むカレンニー民族防衛隊のポール・ドゥ19歳。ドゥは3日後、ミャンマー軍の砲弾により負傷した。
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2022年3月26日、デモソの遠隔地の村の墓地では、同じく19歳の自由戦士ソウ・カロス・セイの墓が確認された。
TA MWE
タ・ムウェ:ビルマ人ドキュメンタリー写真家。ミャンマーの政治情勢により、偽名を用いて活動している。ミャンマー全土の政治・社会問題を幅広く取材した経験を持ち、写真家、ビデオ作家、ビデオ編集者として国内外の出版物に長年携わった。これまでに、世界報道写真、ピクチャーズ・オブ・ザ・イヤー・アジアなどから賞を授与している。
選択の自由へのたゆみなき希求/フォローグ・アラエイ(Forough ALAEI)
法律によって女性の選択する権利を奪い、男性よりも低い地位に位置づけられたイランの女性たちは、厳しい服装規程のなかで、風紀を取り締まる道徳警察に拘束されてきた。イランのテヘラン出身、フォローグ・アラエイが記録するのは、抵抗する女性たちの行為そのものである。男性のみが入場を許されるサッカー男子の試合を見るために、ある女性は男装をしてスタジアムへと潜り込んだ。
そして、アラエイ自身もまた、記録のために男装をして撮影に臨んだ。2022年、スカーフのかぶり方が不適切だとして逮捕されたイラン人女性、マフサ・アミニが勾留中に急死する事件が起きた。それは、女性たちによる歴史に類を見ない大規模な警察への抗議デモへとつながり、複数が命を落とした。今もなお、選択の自由を求める女性たちの抵抗は続く。
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イスラム革命防衛隊の5つの部隊のひとつであるバシイの女子学生たちが、ビーチでヒジャブをかぶる選択の自由のために立っている様子。
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メイクアップアーティストが女性サッカーファンの顔にひげをつける。彼女はスタジアムに試合を見に行くことで逮捕される危険を冒している。ともに《Underneath the Calm Streets of Iran》シリーズより。
FOROUGH ALAEI
フォローグ・アラエイ:1989年、イラン生まれ。法律を学び、画家としても活動していたが、2015年に写真を始め、フォトジャーナリストとなる。主にイラン人女性を中心とした社会問題をテーマに作品を制作。2022年、イランで起きた「woman, life, freedom」運動に関するTIME誌の「Heroes of the Year」の表紙を飾った。
https://www.harpersbazaar.com/jp/culture/arts/a62914075/rebellious-photography-250108-hbr/