東洋経済 2025/02/09 13:30
ネットフリックスが1991年のドラマ『東京ラブストーリー』を2025年1月13日に世界公開し、台湾でも実際に見ていた現在の中高年がかつての青春を取り戻しているかのように視聴している。
ドラマが地上波テレビで放送された当時、筆者は台湾にいたが、こちらが日本人とわかるとすぐに小田和正さんが歌う主題歌の『ラブ・ストーリーは突然に』を翻訳してくれとよく頼まれていた。日本語の意味はわからなくても音だけで歌詞を覚えてしまい、30年たった今でもカラオケで歌う人は少なくない。
『東京ラブストーリー』再放映に熱狂
現在では中高年になったこの世代は、かつて日本統治時代を経験した「元日本人」から見れば孫の代に当たる。子どものころから生の日本語や日本文化に接して生まれ育ったわけではない。
しかも1949年から1987年まで続いた戒厳令下での反共産党と中国語による中国主体の教育で日本的な要素はいっさい消され、一見すると日本とは疎遠の世代と思われがちだ。
しかし、『東京ラブストーリー』に代表される日本のドラマや漫画・アニメなどのソフトコンテンツを青春時代に目いっぱい浴びたことで、祖父母と変わらないほどの日本への愛着や親しみが生まれていった。
2020年に亡くなった志村けんさんの訃報をたいへん悼んだのはこの世代であり、台湾が依然として親日感情に満ちているのはこういった事情がある。
ちなみに最初に『東京ラブストーリー』が放送された時期には、浅野温子さんと武田鉄矢さん主演の『101回目のプロポーズ』も公開され、チャゲ&飛鳥さんが歌う『SAY YES』も日本では一世を風靡した。しかし、台湾では『ラブストーリーは突然に』の人気には及ばなかったと感じる。
台湾の人が親日であることは、歴史認識にも顕著に現れている。戒厳令下での中国主体の教育を受けつつも、日本を身近に感じられたことで中国のような極端な反日色には染まらなかったと言える。
たとえ日本にそれほど親しみを感じない人であっても、是々非々で冷静に向き合い、台湾人としての複雑な歴史を受け入れている。
中高年世代は現在の台湾主体の教育をほとんど受けていない。にもかかわらず、中国や日本、さらにはオランダやスペインなど、さまざまな国が統治してきた歴史を冷静に見ることができるのは、日本からの情報を受け入れる過程で培った感覚なのではないだろうか。
しかし、そういったテレビドラマも深くかかわって、台湾の国家予算が大幅に削減されるという事態が起きている。台湾の国会に当たる立法院で予算の大幅削減が吹き荒れ、将来的にこの親日的な雰囲気を揺るがしかねない状況にあると言われているのだった。
公共放送の予算も大きく削られ…
2025年1月21日に可決された新年度予算では、立法院での第1党で最大野党の中国国民党(国民党)が主導し、従来額から大幅な減額と凍結を行った。もともと行政院(内閣に相当)が提出した予算は3兆1325億元(約14兆7561億円)だったが、2076億元(約9779億円)が削除され、最終的に2兆9248億元(約13兆7777億円)となった。
一方、立法院での同意を得られたら執行可能な予算は1607億元(約7570億円)があり、現状では凍結、つまり保留扱いとなっている。
卓栄泰・行政院長(首相に相当)は、1月21日の予算の「二読」通過後(三読すると成立)に3回目の記者会見を開催。削減された重要な予算について言及した。その中には、政府が台湾電力に向けた1000億元(約4710億円)の補助金や、各部門の海外出張費の5億元(約23億円)、国内出張費6億元(約28億円)が含まれている。
また凍結された予算には、台湾国防の切り札と期待されている国産潜水艦の後続量産経費50%、内政部(内務省に相当)の業務費30%などが含まれ、予算の削減や凍結が業務費や広報費に過度に集中、政務の遂行や政策の推進に影響を与える恐れがあると指摘した。
広報費の予算で注目したいは、台湾の公共放送である公共電視台(公視)の予算カットだ。情報が出た当初は反対の声は業界関係者中心だったが、その削減理由が徐々に明らかになると、親日的な中高年世代も大いに憤慨する状況になった。
国民党がかたくなに公視の予算をカットしたのは、2024年に台湾人日本兵を題材としたドラマ『聴海湧』(邦題:波の音色)を制作放送して、これが成功したためだと言われている。では、それはどんなドラマだったのか。
全5話から成り、第2次世界大戦下で旧日本軍に従軍して南洋に渡り、捕虜監視員となった3人の台湾人の姿を描く。3人は捕虜収容所での虐殺事件に巻き込まれ、日本の敗戦とともに連合国側から戦犯として裁かれることになる。
台湾人、日本人、戦犯を裁くオーストラリア人、中華民国の外交官、さらにボルネオの先住民族まで登場し、収容所のセットだけでも破格の1000万台湾元(約4900万円)を投じて台湾に建設した。スポンサーにおもねることなく、利益も追求する必要がない公共放送だからできたとも言われている力作だ。
台湾人日本兵の隠れた史実を描写
テレビドラマが得意とする人間描写に、本格映画さながらの撮影現場。さらに作り手が徹底的にこだわって緻密な調査を経てていねいに描写している。実際に欧州最大のドラマ祭「Series Mania」でもInternational Panorama部門にアジア作品としては唯一ノミネートされ、台湾史上初の快挙を成し遂げた。台湾の内外で賞賛を浴びた史実ベースのドラマだ。
ドラマの作品として以上にこれが台湾人に衝撃を与えたのは、捕虜となった台湾人が戦犯として扱われた事実、いわば忘れられた歴史を改めて現代人に思い起こさせたことだ。
現在の多くの台湾人は、自分たちの祖先がかつて「日本人」だったことや、敗戦を味わったものの戦勝国の国民にもなった複雑な歴史を熟知している。しかし、かつての戒厳令下では、日本人として戦ったときの話は日常的に話すことがはばかれ、時代とともに詳細は人々の記憶から薄れていった。
現在の台湾人中高年やそれ以下の世代は、歴史の大枠として台湾の複雑な歴史を理解できても、まさか戦争犯罪人として扱われ、失意のうちに亡くなった人がいることにまで思いがなかなか及ばない。今回のドラマで驚いたと同時に日本との絆にも思いをはせた人がいたと言われている。
しかし、内容のポイントは台湾人の複雑な歴史、忘れつつあった歴史の一部を描いたもので、制作側からすればことさら日本や戦勝国側を持ち上げることはない。
一方で、公視のドラマはこれまでも内外で評価が高く、ネットフリックスで世界配信され、日本のテレビ局とも共同制作している。
例えば2018年に放映された『子供はあなたの所有物じゃない』はネットフリックスで話題となり、和訳書が出版されるほど注目された。
また作家の吉田修一さんの原作で、台湾新幹線を題材にした『路(ルウ)』をNHKと共同で制作、2020年に放映された『路~台湾エクスプレス~』は日台双方で公開されてもいる。日本人にとって公視は、実は馴染みの存在だったと言えなくもない。
戒厳令の時代が絡む台湾のテレビ事情
実は、戒厳令下の台湾ではメディアは当局の検閲を受けてきた歴史を持つ。そのような中で、出版物やラジオ局、ケーブルテレビチャンネルなどは言論弾圧をかわす役割を担ってきた。今日の台湾でケーブルテレビ大国ともいえるほど普及したのは、そういった抑圧の歴史が背景にある。
しかしそれらは裏を返せば「主張する」メディアだと言えなくもない。スポンサーや協力団体が背後にいる以上、どうしても主張や経済利益などを考えなければならないが、時の政権やスポンサーに過度に干渉されないメディアを確保するにはどうしたらよいか。台湾が出した1つの解が、NHKやイギリスBBCのような公共放送であり、公視がそのような役割を担ってきたのだ。
公視は作り手にとって比較的自由な制作環境を与えた一方、視聴率などで低迷。たびたび社会から指摘を受けることがあった。さらに財源を政府の交付金と自主財源に頼り、制作規模や企画によっては予算不足に陥ることもあり、予算カットでは格好のターゲットにされてきた。
しかし今回の公視の問題では、表向きはコストパフォーマンスの問題だが、裏では予算カットに主導的な役割を果たしたとされる立法委員の個人的な感情によるものとの情報が飛び交っている。それは『聴海湧』が思いのほか高い評価を得て成功し、それは戦勝国である「中華民国」としての史観では受け入れられないとみなされたためだ。
立法委員は『聴海湧』が成功したことで、台湾と中国との関係がますます冷え込むことに激怒し、それ以降、公視をつぶすか、あるいはコントロール下に置くか、虎視眈々と狙っていたとさえ言われている。
先述の通り、公視は公平性をできるだけ担保しようとする公共放送であるから、意図的に何かの思想信条に偏ることはない。しかし史実を忠実に描き、一般の台湾人や社会に向けて丁寧に伝えようとすれば、当然ながら、日本との関係はより強まり、戒厳令下で伝えてきた中華民国的史観と中国との絆はどんどん細っていく矛盾が生じてしまうのだった。
与党「政府をマヒさせる嫌がらせ」
また、公視の予算問題は単にイデオロギーの問題にとどまらない。先にも触れたが、抑圧の歴史を持つ台湾人がいかに言論や表現の自由を確保するかに発展しているのだ。
国民党など野党側は、政府の予算を監督するのは立法委員の大切な仕事と主張。一方、与党の民主進歩党(民進党)は「政府をマヒさせる嫌がらせだ」と強く対抗している。
今回の大幅な予算削除と凍結で、とくに国防に関わる部分の削減で、アメリカのトランプ政権に「台湾が中国側に傾いている」との印象を与えかねないと警告する有識者もいるという。
台湾が日米中とどのような距離感を保とうとするのか、目が離せない状況にある。
著者:高橋 正成
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