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激戦地アッツ島とキスカ島を物語る日米の沈没船、発見の裏側 第二次大戦で強制移住させられた先住民の孫も同行、北太平洋アリューシャン列島

2025-01-10 | 先住民族関連

 

ナショナルジオグラフィック 2025.01.10

第二次世界大戦中にアラスカのアッツ島沖で撃沈された日本の徴用船「琴平丸」(写真はソナー画像)。考古学チームは今回、琴平丸を含め3隻の沈没船を発見した。(Photograph by East Carolina University/ThayerMahan, Inc./NOAA Ocean Exploration)

 北太平洋のアリューシャン列島の西部にある米アラスカ州のアッツ島とキスカ島は、第二次世界大戦中の激戦地として知られる。2つの島は、真珠湾攻撃から半年後の1942年6月初旬から1年近く、日本軍に占領されたが、アッツ島は1943年5月に米軍とカナダ軍により奪還された。この戦いは「アッツ島の戦い」として知られ、双方合わせて3000人近くが死亡し、数千人が負傷した。その多くは極めて厳しい寒さが原因だったとされている。キスカ島の日本軍も同年7月末までに撤退した。

 海洋考古学者のチームが2024年7月にアッツ島沖を調査したところ、第二次大戦中に沈んだ日米の船3隻を発見した。また、2018年にキスカ島沖で行われた調査では、日本軍の潜水艦や米軍の爆撃機の破片なども見つかっている。

 アリューシャン列島には、何千年も前から先住民ウナンガン(アリュート、アレウトとも)が住んでいる。アッツ島は米国(50州)最西端の地で、キスカ島はアッツ島から東に約300kmのところにある。

 だが現在、アッツ島とキスカ島は無人島となり、米国では「忘れられた戦場」と呼ばれている。消えゆく戦争の痕跡を記録する考古学調査隊のほかには、訪れる人もほぼいなくなった。(参考記事:「アリューシャン列島の無人島探検記」

ギャラリー:第二次大戦の激戦地アッツ島とキスカ島を物語る日米の沈没船 写真5点(写真クリックでギャラリーページへ)

祖先の島での水中探査

 2024年7月、米イーストカロライナ大学の海洋考古学者ジェイソン・ラウプ氏と非営利団体シップス・オブ・ディスカバリーのドミニク・ブッシュ氏が率いるチームが、研究船ノースマン2号に乗ってアッツ島を訪れた。目的は、沈没船や海中に沈んだ遺物の探索だ。

 ウナンガンのカワランギン族の出身で、米アメリカン・インディアン・アーツ研究所の学生であるウォルフガング・トゥティアコフ氏は、文化コーディネーターの1人としてチームに参加した。氏の主な任務は、調査遠征の科学的な発見について、特に部族の歴史の観点から文化的な背景を付け加えることだった。

 トゥティアコフ氏にとってこの航海は、個人的な巡礼の旅でもあった。「初めて島が見えた瞬間は本当に感動的で、文字どおり息をのむようでした。船には20人ほど乗っていましたが、少なくとも5分間は誰も何も言いませんでした」と氏は言う。

 1942年6月3日にアリューシャン列島のアマクナック島のダッチハーバーが日本軍の爆撃を受けた後、米国当局はアッツ島をはじめとする列島の先住民約1000人をアラスカ州南東部の粗末な小屋に移住させた。トゥティアコフ氏の祖父もその1人だった。

 日本軍に占領されたアッツ島では約45人のウナンガンが捕らえられ、捕虜として日本に連行された。終戦まで生き延びられたのは、そのうちの約半数だった。

 アッツ島の戦いが終わっても、ウナンガンの人々が島への帰還を許されることはなかった。その後、米軍が島を基地として利用していたが、やがて去っていき、最後に残った沿岸警備隊の基地も2010年に閉鎖された。また、米軍は島の一部を有毒な化学物質で汚染した。

 アッツ島は現在、米国のナショナル・モニュメントの一部となっており、訪問することは違法ではないが、元住民やその家族が住むことは禁じられている。だからトゥティアコフ氏には、この辺境の島を訪れること自体が重要だった。

「神秘的な魅力がある島でした」と氏は言う。「島は巨大で、山や、ツンドラや、ごつごつした岩だらけの海岸がありました。海岸を埋めつくすように生えている草は、緑色どころかネオングリーンで、ユニコーンが出てきそうな雰囲気でした」

 調査チームはアッツ島周辺の海域を11日間探索した。アリューシャン列島は嵐と強風、雨と霧で悪名高いが、ラウプ氏は、この時は珍しく穏やかな天候に恵まれたと振り返る。

 彼らは最新の水中探査技術を駆使して、アッツ島の周辺海域で戦時中の沈没船3隻を発見し、記録した。そのうちの2隻は、日本軍の駐留部隊に物資を運んでいた日本の徴用船で、1隻は、米軍が島を奪還してから数カ月後に防衛を強化していた時期の米国のケーブル敷設船だとみられる。(参考記事:「真珠湾に沈む戦艦アリゾナ、閉ざされた内部を調査」

ギャラリー:第二次大戦の激戦地アッツ島とキスカ島を物語る日米の沈没船 写真5点(写真クリックでギャラリーページへ)

キスカ島周辺で見つかったもの

 同様の調査は2018年にキスカ島でも実施され、その結果は2024年11月26日付けで学術誌「International Journal of Nautical Archaeology」に論文が発表された。

 調査では、日本海軍の伊号第七潜水艦(1943年6月に米国海軍の駆逐艦から砲撃を受けて大破し、意図的に岩礁に乗り上げた)や甲標的(敵の軍艦を魚雷攻撃するための乗員2名の小型潜水艦)の残骸のほか、キスカ島の日本軍の拠点を攻撃しているときに対空砲火を浴びた米国陸軍航空隊のB-24リベレーター爆撃機の破片なども記録された。(参考記事:「真珠湾攻撃の先陣を切った日本の潜水艇がテキサスにある理由」

 調査チームを率いた米カリフォルニア大学サンディエゴ校スクリップス海洋学研究所の海洋考古学者で、論文の筆頭著者であるアンドリュー・ピエトラスカ氏が注目しているのは、伊号第七潜水艦の残骸だ。

 氏はこの残骸について、「日本軍がキスカ島を占領していた間も制空権は米軍が握っていたため、数千人の占領軍のために水上艦で補給を行うことは困難で、潜水艦に頼っていたのだと思います」と語る。

新しい探査ツールが活躍

 どちらの島の探査でも、海底のマッピングと調査に水中ロボットが使われた。(参考記事:「水中考古学の革命フォトグラメトリとその先に見えるもの」

 キスカ島の調査チームは2週間にわたって船上から島の周辺を調査した。また、ソナー機器を搭載した4機の自律型無人潜水機(AUV)も使って主な場所を調べた。研究者たちは、複数の機体を24時間サイクルで連続稼働させることもできるAUVは、従来の曳航式ソナーよりもはるかに広い範囲の海底について詳細な地図を作成できると説明する。

 アッツ島の調査では、研究船につながれた特殊な軽量の遠隔操作型無人探査機(ROV)が、深海からのライブ映像を提供した。ブッシュ氏は、状況によっては、回収後にデータをダウンロードする必要があるAUVよりも、リアルタイムでデータを確認できるROVの方が望ましいと語る。氏は、これからの海洋考古学調査では、両方の技術を使うのが理想的だと話す。

アッツ島の未来

 アッツ島の沈没船については、探査から数カ月たった今でも新たな事実が次々と明らかになっている。記録された大量のデータが、ROVを開発した日本のワールドスキャンプロジェクト社をはじめとするパートナーによって新たに処理されているからだ。

 歴史研究の観点からも、戦時中の日本がアリューシャン列島に侵攻した動機について、新たな説が示唆されている。歴史家たちは従来、アリューシャン列島への侵攻は、その数日前のミッドウェー作戦の陽動作戦だったと見ていた。しかしブッシュ氏は、日本はアッツ島を「不沈空母」と呼び、アリューシャン列島東部やその先の北米本土に対する航空攻撃の基地として利用したがっていたようだと語る。

 トゥティアコフ氏は調査時間の一部を家族の歴史を調べるのに使った。また、環境の危険性を考慮した上で、いつの日かウナンガンがアッツ島に戻って生活できるようになる可能性を見極めようとした。「私たちの目標は島に戻ることです」と氏は言う。「島を再びウナンガンのものにすることができれば、私たちはコミュニティーとして成長できるでしょう」

文=Tom Metcalfe/訳=三枝小夜子

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/24/122300705/

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