翻訳小説を読みました。
『タフィー』岩波書店です。
この頃、アメリカの話題作は散文詩形式、もしくは詩の形でつづられた小説が人気だそうです。
以前、読書会でやった『エレベーター』(レイソン レナルズ)もそういう形でした
『エレベーター』も、ギリギリの生活をしている若者がでてきましたが、ここでの主人公、アリソンも父親に暴力をふるわれています
それに逃げて、迷いこんだ納屋で、マーラと出会います。マーラは認知症。すぐに忘れてしまいます。アリソンにであったことも、話したことも。
過去のことは、断片的におぼえています。
暴力の場面など、細かな描写にされると、わたしはにがてなのですが、この形式だと読みやすく、アリソンの孤独がよけいにうかびあがってきます
行方不明になって、わたしは存在しない?と疑問をもつ、アリソンは、マーラからタフィーとよばれることで、タフィーになって、マーラのそばにいることにします
マーラがうまくかけていると思いました。
ときに陽気になり、ときにしずみこみ、過去の記憶がこんがらがっている様子など、認知症っぽさがよくでています。わたしも92の母も、マーラほどではないが、記憶は混乱するのでよくわかります。けど、あの人はやさしいとか、あの人はきらいとか、そういう感情はきわだってくるのです。
とはいえ、わたしは、散文のほうが読みやすいかな。日本の作品もこういう形がでてくるのでしょうか。
玄関先のじまんのあじさい。子どもの頭くらいの大きさで咲きます。
夏がきたなーって思います。