信長・秀吉が武力・経済力・策謀を駆使して全国を席巻した安土桃山時代、能登国・七尾から都に出てきた長谷川等伯は、戦乱の渦に翻弄されながらも様々な人の助けを得て絵師としての力をつけていく。
しかし、養父母の自決、苦労を掛けた妻の死、主家再興のために活動し続けた兄の死、千利休の自刃・・は重く心に圧し掛かる。
そして、狩野派との確執、彼らが関わった疑いのある長男の事故死・・、その原因調査を直訴したことで伏見城に命をかけた絵を描く事になる・・、が、思い通りに進まない。
寺に作業部屋を借り、勤行(ごんぎょう)に励み・・、たどり着いたのは、幼い頃に見た故郷の冬の海の気嵐・・、57歳で「松林図」を完成させた・・。
(史実に忠実かどうかは不明。)
次に借りる本を探して新刊書棚を目で追っていて、まだ読んだ事の無いこの作者の本が目に留まりパラパラめくっているうちに気になる事が出てきて、作者名分類棚に行き、この本の装丁を見て驚きました。
既に、日曜美術館「蔵出し!日本絵画傑作15選 」 に関しては、「本」カテゴリーの前回投稿で少しさわりましたが、その長谷川等伯の「松林図屏風」が使われていました。
自分的にはこの絵(テレビ・パソコン画面を通してではあるけれど)の独特の世界に興味が湧き、誕生した背景を知りたいと思っていたので・・、この本に出合った事に不思議なものを感じました。
(ちなみに、「蔵出し!日本絵画傑作15選 」には、覇を競った狩野永徳の「唐獅子図屏風」も選ばれていました。)
「麒麟が来る」が中断したおかげで「日曜美術館」を見る事が出来ましたが、先日「麒麟・・」再開の案内が流れていて、その中に近衛前久(さきひさ)が登場していて・・、彼がこの時代の重要な役者だったことを本書で知りました。
(本書では、近衛前久は等伯とも強い関係があったと描かれている。)
(20/07/21撮影)
雨が続く日(7/26)、短い昼寝から目覚めた午後にテレビをつけると、狩野永徳の「洛中洛外図屏風(上杉本)」が流れていて、観てしまいました。(「国宝へようこそ(2)」)
NHK番組表を確認すると「戦国時代の京都の町と2千5百人もの老若男女が生き生きと描かれている。圧巻は祇園祭の山鉾巡行。「動く美術館」とも呼ばれる現代の山鉾に永徳が描いたものが残ってないかを大調査。すると今も伝わる“あるもの”を発見。そこには永徳がこの屏風(びょうぶ)に込めたメッセージを読み解くヒントがあった。」
狩野永徳も、別の意味で凄い。
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