今日は「長崎の原爆記念日」であったが戦後70年が過ぎ去り最近の調査では先日の8月6日に広島と今日の9日に長崎に原爆が投下され沢山の犠牲者が出た日の事を聞かれても即座に正確に其の事に付いて答えられる日本人が30%程しか居ない事をマスコミは伝えていた。私は戦後の生まれなので勿論、実際の此の日の事は知らないが今までの色んな報道や情報で知って居るので毎年、此の二つの日の其々の原爆が投下された時間には個人的に黙祷を捧げているし広島の原爆資料館は残念ながらチャンスが無く訪れて居ないが長崎の原爆資料館と其の周辺の関連施設はは2010年の沖縄からの帰り道に立寄り一日を掛けてゆっくりと見学した。
私は中学生の頃、修学旅行で長崎に行き爆心地の平和公園や浦上天主堂は見学したが残念ながら原爆資料館は如何なる理由か?訪れる事は無かった。其の時は何の違和感も待たなかったが後日に長崎の原爆資料館を見学したら私の実感として「何故、あの時に原爆資料館に行かなかったのだろうか?」の疑問が浮かんだ。中学生の頃、平和公園に訪れて北村西望先生作の力強い筋骨隆々の男性像の高く上げた右手は原爆の脅威を水平に広げた左手は長崎市の静けさを 立てた足は救った命を表し軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈って居ると言われる平和記念像の説明や浦上天主堂を訪れた事は今でも確り憶えて居るのだが残念ながら原爆の被災の現状や悲惨さは余り感じる事無く帰って来た。
此れは平和公園や浦上天主堂を見学する事に意味が無いと言う事では無く、原爆と言う核兵器の悲惨さや戦争の本当の悲惨さを次代を担う若者に伝えるなら先ずは第一に原爆資料館に訪れる事が「戦争の悲惨さや戦争を二度としては成らない事が一番理解し易いし其々の心の中に確りと根付く」と思うからである。
先の太平洋戦争に於ける犠牲の大小は其々個々に違っても日本全体が多大な影響を受けた。この様な事が二度と起こらぬ戦争の無い平和な日本である為にも次代を担う若人には機会があれば是非、鹿児島県の知覧にある「特攻平和会館」や広島と長崎の両「原爆資料館」や沖縄県糸満市の摩文仁の丘に有る「平和祈念公園や平和祈念資料館」に行かれる事を勧めたいし私も比較的近くに有りながら未だ訪問していない広島の「原爆資料館」に近々に訪れたいと思って居る。