美波町の日和佐と言えば厄落としで有名な「薬王寺」と「アカウミ亀の産卵地」で有名な所です。私も自分の厄年には厄落としに御参りしましたが其れ寄り可成り前の不思議な思い出が有ります。私が物心が付いてからの印象的な思い出の一つが此の薬王寺に有ります。多分3~5歳位の幼い時期の思い出なのですが(多分母親の厄落としの時)此のお寺の建物の景色と帰りに汽車で帰ったのですがその時に貨車に乗って帰った事です。今から思っても不思議な事ですが貨車なので車両の中央部に大きい横開きのスライド扉が有り其れを開けて貨車に乗った事だけはハッキリと憶えて居ます。今だとその様な事は絶対に有り得ませんが時代が多分昭和26~7年頃なのでその様な事もあったのでしょう。当時は私が生まれた町から此の日和佐まで行くには国鉄(今のJR)を利用するしか無く多分私としては初めての汽車に乗った経験だったのでしょう?貨車内に照明が有ったかどうかは記憶に有りませんが座席も無いうす暗い貨車の中のイメージは今でも思い出す事が出来て子供心に余程インパクトが有ったのでしょう。其の事から幼心に其の時の想い出は断片的なスチール写真の様な映像と共に深く記憶として残って居ます。
この薬王寺には厄除け橋を渡ると最初に石段があり「女厄坂」と言われる33段が、続く石段は「男厄坂」と言われ42段有り厄落としに来られた人は此の石段の一段一段毎にお賽銭を置きながら昇って行く事に寄り厄を落とし無難に厄年を過ごす事を祈る訳ですが後の母親の話しでは此の時に厄除け坂の急な石段を上がる時に歩き兼ねて居た私が母親に抱かれる事無く「うわぁ~こんな所に沢山お金が落ちとる勿体無いのでも貰っとこ」との感じで此の賽銭を集めながら石段をよじ登って居たそうで其れに気が付いた母親は慌てて握っていた賽銭を石段に戻し抱っこして上に上がったらしいのですが?時既に遅し沢山の人が落として行った厄を御丁寧にも拾い搔き集めて居たのだから如何しようも有りません。其の後の人生が今一だったのは此の事が可成り影響して居るのかも知れませんHi
其の様な話を子供時分に聞いた性か?私は薬王寺には自分の厄年の時しか御参りした事は無く、其の理由は過去の此の事や近所のお年寄りのお話を聞くと「厄落としの時以外は余り近寄らない方が良い何故なら他人が捨てた厄を貰って帰る可能性が有るから」等と真実しやかに言われる方も居られるからで今回も御参りはせずに道の駅からの写真撮りだけに終った。
写真中央の赤い色をした建物は多宝塔で薬王寺のシンボル