今日は母親の命日なので実家の都合を聞いて午後に家内と連れだって実家の仏壇にお供え物をして手を合わせて来た。母親は大正8(1919年)まれで74歳で西方浄土へと旅立ったので今年で既に30年が過ぎ去って仕舞った事に成る。
昔からの『去る人は 日々に疎し』の諺の如く、母親が別の世界に旅立ってから30年も経過すると母親が私の夢の中に現れたり、何かの拍子に母親の事を思い出す事は殆ど無く成ったが毎年、7月に入ると『今月の母親の命日には実家に行き線香を上げなければ』と母親の命日は必ず思い出す。
反して父親は大正5年生まれ(1916年)で92歳の長寿で西方浄土へと旅立ち命日は3月31日なのだが毎年、其の頃には『そろそろ親父の命日が近づいて来たな』とは思うのだが其の日には伺えず時として何かの拍子で忘れて仕舞う事が有る。正に今年は其の様な年で親父に『親不孝者!』と活を入れられそうだが、次いで参りで今年は済ませて来て仕舞った。
多分此れは子供にとって特別に区別をしている訳では無いのだが、私は自分の腹を痛めて生んでくれた母親への恩と、あの柔らかい胸に抱かれて母乳を貰って居た時の安心感や幸せ感から来る物と思って居る。此れは父親には如何しても出来ない事なので致し方無い事で多分、私の息子にとっても同じ事に成るであろう。矢張り子供にとって母親の存在とは実に偉大である。