今日、8月15日は『終戦の日』で日本国民にとっては忘れる事が出来ない大切な日ですが私、個人にとっても忘れる事の出来ない記念日と成って居ます。
其れは私が18歳の高校三年生の此の日(1966/08/15)に初めて個人アマチュア無線局、JA5CBBの免許状が発給されました。其の後、現在のコールサインに代わりましたが、最初の開局以来、早いもので既に満57年が経過しました。
私がアマチュア無線の存在を初めて知ったのは小学校の3~4年生頃だったと思うのですが確か『冒険ダン吉』と云うマンガ本の中で主人公が南洋の島と無線で交信する場面が有ってST管むき出しの無線機で交信して居る部分の場面は不思議と今でも覚えて居ますがストーリーは全く覚えて居ません。
其の後、私がアマチュア無線局のA3の電波を5球スーパーで初めて受信したのは中学3年生の夏休みの或る日の夕方でしたが此の時の状態は今でも鮮明に覚えて居り、此れは私にとって強烈なインパクトと運命的な出会いと成り、私は其れまでの工業高校の科学科に進学したいとの思いは消し飛んで仕舞、アマチュア無線を始める為に進路を工業高校の電気科に変更して入学、後は勉強もせずアマチュア無線一途の高校生活を過ごしました。従って私がアマチュア無線の交信を初めて聞きアマチュア無線の存在を強く意識し始めたのは今から60年前の事です。
以来、大阪に就職した最初の2年間程と私が結婚した時に1年間程は止む得ずQRTしましたが其れ以外は何らかの形で細く長く『たかが無線 されど無線』宜しくアマチュア無線を楽しんで来ました。アマチュア無線の世界での実績には他人に誇れる様な事は何も出来て居ませんが、一つ上げるとすれば殆ど休む事無く長くアマチュア無線を継続して来た事位でしょうか?何はともあれ、此れまで続けて来た趣味のアマチュア無線、私が別の世界に呼ばれるまでは継続したいと思って居ます。