黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

TS-520Dと初めてのビームアンテナ(TA-33)

2012年11月05日 | アマチュア無線
 1970年の4月に徳島に帰り10月頃より無線を再開したが当時はFL-50BとFR-50Bのセットで運用したが此の機種はシングル・コンバージョンの為,バンド毎にVFOの周波数が変わり安定度が良くなかったしSSBの機種の安価タイプで電波の質も今一の感じで有ったので新しい無線機に買い替える事を考え始めた。社会人には成っていたが給料は手取りで3万程度、偶々、無線機と家電品を販売している取引先の展示会に行った時にTS-520Dを見て気に入り購入を考えた。当時はSSN値も上昇していた時期でも有り運用は海外交信に興味を持って居たのでアンテナはモズレーのTA-33と(当時で6万以上した)小型のエモトのローテーターとの同時購入を決め、生まれて始めてのローンを組んだ事を記憶している。全部で20万を軽く超過していたので当時の年収に近い金額で有ったが誘惑には勝て無かった。


 アンテナは3エレ八木のトライバンダーで有ったが(14,21,28MHz)当時では(1971か1972年頃)先ず先ずの設備で有った様に思う。当時はタワーは無かったが兄が自作のパイプを利用した12mHのポールを建て居たので其の上にアンテナを取付けTA-33Sを回して得意に成って居た。此の時、初めて高所作業を経験したが上る前に緊張の余り御尻の筋肉がピリピリと痙攣した事を覚えている。ポールは四隅にワイヤーでステーが取られ、倒れる心配は無かったがポールの材質は直径60mm位、肉厚は5mmくらいで足場も溶接されていたが溶接がポロット外れないか無駄な心配をして一段一段思い切り足場を蹴り確認しながら上った。最上部には円形の踊り場が有ったのでローテーターやアンテナの取付け作業は順調に行う事が出来た。今、思い出すとアマチュア局も少なかったがタワーが立っている局も少なかった様に思う。タワーが建っていても電力関係の菱形の払い下げのタワーが大半で有った様に思う また此の当時、田舎ではビームアンテナと言えば竹を利用したCQアンテナが主流でアルミの八木を余り見掛けなかった様に思う。


 此の時期は無線の世界ではサイクル20でSSN値が200~300台は常でハイ・バンドも良く聞こえて居た様に思う、100Wと3エレのトライバンダーで100UPは簡単でアンテナの性能上、28MHzはフルサイズなので特に28MHz帯を楽しんでいた。多分此の時代はJA5CBBのコールサインでの運用で2級の資格は取っていたが結構、無茶をしていた様に思う。此の頃にはローカル局も沢山居て夜な夜な21.250MHzで皆で順番に歌を歌ったり面白い話をしていたが夜の突然のオープンで関東の局からブレークが掛かり「面白い事を遣って居ますね」と言って入って来て合同ラグチューが出来る事などが時々有った。皆さん独身で私より年下で大学生や高校生が多かったが結構、ワイワイガヤガヤ楽しく賑やかに遊んでいた。

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