本日を持って1年間の世話役も終わり、晴れて完全リタイヤ組みに戻りました。此の地に移り住み約35年に成りますが現役中は地域活動にも余り熱心で無く、地域の連帯感も余り無く自分の気持ちの中も「来たり人」でしたが今回、世話役を仰せ付かり其の役目を勤める中で常会内の全ての家庭に色んな用事でお伺いする機会を得て、お顔と家が完全に結び着いたり会話の中から其々の人柄を知る事が出来ました。そして其の事以上に皆さんに此の機会を通じて私を知って貰って今回、漸く此の土地への仲間入りが出来たと実感しました。農家の多い地域親睦団体の中で非農家が世話役をすると正直、関係無い事や解らない事も数々有りましたが以前よりは少し理解する事が出来ましたし特にサラリーマンとの兼業農家や後継者の居ない農家の将来を見据えると考えさせられる場面も多々有りました。
そして退職後の私の大袈裟に言えば考え方や生き方である「此の世の事は遣って見なければ解らないし、遣って見て無駄な事は一つも無し」を正に実行していく中で世話役の大変さを身を持って知る事が出来ました。正直な話、現役中の煩雑な時代に折角の休日に地域行事に参加したり集会所で材料持ち寄りで昼食を作って懇親会など若い頃は時代錯誤的に感じて居ましたが?此れから先行きが危いと思いつつも其の行事の中にも良い物が有る事を実感しました。
しかし一番大変だった事は色んな模様仕事に財政的な負担を御願いすると御理解を頂き費用の分担も気持よく負担頂くのですが、運動会や地域行事の人の参加を御願いする事は大変でした。個人個人には其々の予定や都合も有り時代の風潮が個人主義に成って折、楽しみ方も団体的なものより個人的に成ったり気の有った者同士で楽しむように成った現在では運動会や花見会で地域の方々の集客は難しく大変でした。振り返って見れば私自身もこれらに対して比較的消極的な方で有ったので個人的には心情は十分理解出来るのですが?さりとて世話役に成るとそうは行きません。心情は理解しつつ参加を頻繁に進め無ければ自分の務めが務まらぬジレンマは結構辛いものが有りました。集客が出来ずにギブアップする事は簡単な事ですが誰しも自分の世話役時には終わらせたくない其の様な一念で有ったろうと思います。少なくても私はそうでした。
此の1年間を通じて一番感じた事は過去に世話役をされ方々の痛みが解った事で(以前の私は常会活動に協力的な住人では無かったが)今後は出来るだけ行事へ協力や参加をして行こう思っています。其れが今回支えて頂いた方々への最終的には恩返しに繋がると思えるからです。
今回、家内には裏方として頑張って貰ったので夕方に感謝の打上げ会の形で散財してきました。此れで何時でも何処でも出掛けられる体制には成りました。