さりげなさが、どこかにボクらを連れ出してしまう。
闘うことに向かう男を見て「私は何かを思い出しそうになり/思い出しそうになって/ついにわからない」電車の中からボクシングジムを見る詩「男たち」から始まり、「自分が降らせた雨だが/いつも他人事のようにしか感じられない/そのことが/雨男にはとりわけ悲しかった」自分自身の悲しみを受け入れるしかなかった「雨男」。「手動のコーヒーミルで/がりがりとコーヒー豆をひくとき/男はいつも幸福になるのだった」という男のモノ化していく日常の中での重さと軽さを描く「豆をひく男」。
愛するものや大切なものの存在によって、その不在を抱え込むしかなくなってしまう空漠に出会う「浮浪者と猫」。
Ⅰ章の「男たち」では「男たち」へのまなざしが「私」との距離感のゆらぎを刻んでいきながら、Ⅱ章「女たち」に向かっていく。Ⅲ章は少女から女への「わたし」への軌道が描かれていく。そのそれぞれが、お話への可能性を秘めながら詩的跳躍で、別の世界に、イメージの世界に、新鮮な言葉の世界に、胸に溢れるようないとおしみやつらさや、しみるようなかなしみや、あっけらかんとした空白に出会わせてくれる。
そして、Ⅲ章「水源へ」。男と女の先にある、あるいは元にあるように自然の中に入りこんでいくようだ。「見えない関係」の一軒の家を静かに照らしていく夕日。自らの存在の重量だけ不在の痕跡も残して生きる鳥。動体視力で捉えられたかのような、混ざり合わない団体として生涯を生きる雨。寂しさを抱えて、それを追い越して生まれ吹いていく風。世界の関係の連鎖の中で何か人が救われていくような印象を残す。
どこに、と問う者はいなかった
滝はあるー
あることの希望だけで充分というように
滝のある処を知っていると語る山男の詩で詩集は終わる。「滝のある処なら知っている」と「沈黙とともにたたまれて」いた言葉を言ったときに、人びとは自分が「水を求めて」旅をしてきたものだということを思いだし、また、「滝への道を歩き出す」のだ。
詩の発語とはこんなものなのかもしれない。地図ではなく、思い出させ、立ち上がらせ、それぞれの歩みへと導くもの。「希望」を支えにして、沈黙の先に。詩が途中から散文詩さえも越えていくような「深い青色についての箱崎」や物語との拮抗が緊張感を持つ「名古屋・露草連」も面白い。あとは、「水脈」の中のⅡ「時刻表」は案外好きだ。もちろん詩。簡単に要約できるものではない。まず、言葉の魅力が先行して、引き込まれてしまうのだ。
闘うことに向かう男を見て「私は何かを思い出しそうになり/思い出しそうになって/ついにわからない」電車の中からボクシングジムを見る詩「男たち」から始まり、「自分が降らせた雨だが/いつも他人事のようにしか感じられない/そのことが/雨男にはとりわけ悲しかった」自分自身の悲しみを受け入れるしかなかった「雨男」。「手動のコーヒーミルで/がりがりとコーヒー豆をひくとき/男はいつも幸福になるのだった」という男のモノ化していく日常の中での重さと軽さを描く「豆をひく男」。
愛するものや大切なものの存在によって、その不在を抱え込むしかなくなってしまう空漠に出会う「浮浪者と猫」。
Ⅰ章の「男たち」では「男たち」へのまなざしが「私」との距離感のゆらぎを刻んでいきながら、Ⅱ章「女たち」に向かっていく。Ⅲ章は少女から女への「わたし」への軌道が描かれていく。そのそれぞれが、お話への可能性を秘めながら詩的跳躍で、別の世界に、イメージの世界に、新鮮な言葉の世界に、胸に溢れるようないとおしみやつらさや、しみるようなかなしみや、あっけらかんとした空白に出会わせてくれる。
そして、Ⅲ章「水源へ」。男と女の先にある、あるいは元にあるように自然の中に入りこんでいくようだ。「見えない関係」の一軒の家を静かに照らしていく夕日。自らの存在の重量だけ不在の痕跡も残して生きる鳥。動体視力で捉えられたかのような、混ざり合わない団体として生涯を生きる雨。寂しさを抱えて、それを追い越して生まれ吹いていく風。世界の関係の連鎖の中で何か人が救われていくような印象を残す。
どこに、と問う者はいなかった
滝はあるー
あることの希望だけで充分というように
滝のある処を知っていると語る山男の詩で詩集は終わる。「滝のある処なら知っている」と「沈黙とともにたたまれて」いた言葉を言ったときに、人びとは自分が「水を求めて」旅をしてきたものだということを思いだし、また、「滝への道を歩き出す」のだ。
詩の発語とはこんなものなのかもしれない。地図ではなく、思い出させ、立ち上がらせ、それぞれの歩みへと導くもの。「希望」を支えにして、沈黙の先に。詩が途中から散文詩さえも越えていくような「深い青色についての箱崎」や物語との拮抗が緊張感を持つ「名古屋・露草連」も面白い。あとは、「水脈」の中のⅡ「時刻表」は案外好きだ。もちろん詩。簡単に要約できるものではない。まず、言葉の魅力が先行して、引き込まれてしまうのだ。
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