共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

荘重

2012年09月16日 21時05分54秒 | 日記
三本締めの後、宮司の手によって御霊移しが為されたため、正面から御神輿の写真を撮らせて頂きました。

近くで拝見すると、その荘厳さと意匠の細かさに改めて驚きます。屋根の上には通常の鳳凰の他に龍の飾り彫刻が4体付いています(教えて頂いたお話では、この4体の龍だけで、普通の御神輿が1基作れてしまうくらいの価値があるそうです!)。

四隅の蕨手(クルンとした部分)もかなり分厚い作りです。あと、近くで見ると屋形の四隅に配された唐獅子も口の中まできちんと彫り上げられていて、仕事の確かさがひしひしと伝わって来ます。

かつてこの神社で火災が発生してしまい、御社が燃え落ちてしまったのだそうですが、そこからほんの少しだけ離れていた神輿殿にあったこの御神輿は、奇跡的に難を逃れたのだそうです。社殿を作る宮大工はそこそこいるので何とか再建出来るのですが、御神輿を作る職人というのがもう殆どいないので、もしもこの御神輿が燃えてしまっていたら、ある意味御社が無くなるよりも大変なことになるところだったのだそうです…。

《cafeあつめ木》で、このお祭りのことを教えて下さった氏子の方にもお目にかかれたので、よくよく御礼申し上げました。こういうお祭りが残っていることに感動しながら、餅撒きでgetした餅を手に家路についたのでありました。
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御名残惜しくはござれども…

2012年09月16日 20時28分30秒 | 日記
何度か担ぎ手の抵抗によって行きつ戻りつしていた御神輿も、とうとう《宮入り》の時を迎えました。

御社の隣の神楽殿の舞台上で青年が甚句を朗じると、担ぎ手達が「あ、ヨイショ!」の合いの手を入れます。そして「御名残惜しくはござれども、一年後の今日この日、またも皆々うち揃い…」という最後の甚句と共に、長かった御神輿渡御は御開きと相成りました。
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さすがにムリ…

2012年09月16日 20時18分22秒 | 日記
いよいよ社殿の前まで御神輿が還って来ました。

宮司が御社に方へ長布を手繰るのですが、担ぎ手達は名残を惜しむかのように、なかなか御社に近づこうとしません。その度、折角手繰り寄せた長布が、再び宮司の手から伸びていきます(笑)。

甚句が唄われると、担ぎ手達はいよいよ勢いよく御神輿を上下に揺さぶります。そうになる度に蕨手の下に取り付けられた大きな鈴がガラリガラリと激しく音を立てます。

あまりに動きが激しいので、もはや携帯のカメラではこんな絵しか撮れませんでした(汗)。でも、図らずもこのブレブレの絵で、神輿もみの激しさが分かって頂けるのではないでしょうか。
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初めて!

2012年09月16日 19時53分34秒 | 日記
鳥居をくぐって、いよいよ御神輿が参道に入って来ました。

ここでちょっと珍しい光景が。写真に白い狩衣を着た宮司が写っていますが、その手元から何やら白くて長~いものが延びているのが分かりますでしょうか?

実は鳥居をくぐった先からは、宮司が御神輿の上の鳳凰の足元に結ばれた白妙の長布を持って、御神輿を引くように先導していくのです。これは先月の平塚八幡宮の若宮祭に時には見られないものでした(若宮祭の時は神職が手にした榊で道々を祓っていました)。

担ぎ手の「どっこいどっこい!」の声が途切れそうになる度に「声出せコラ!」という怒号が飛び交います。御社までもうすぐです。
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こんどこそ還御

2012年09月16日 18時56分29秒 | 日記
通り過ぎた先で向きを変えて、今度こそ御神輿が帰って来ました。

これから鳥居をくぐります。
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還御…あれ?

2012年09月16日 18時22分45秒 | 日記
お囃子の太鼓の向こうから、ガラリガラリという鈴の音と共に御神輿が神社に近づいて来ました。

「どっこいどっこい!」のかけ声に、どことなく疲れの色が見えなくもありませんでしたが、宵闇迫る中に提灯の点いた御神輿が渡御する様は圧巻です。

さあ、このまま鳥居をくぐって…と思いきや、何とそのまま神社の前を通り過ぎていってしまいました…。一体、どこへ行ってしまったのでしょうか…?
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点燈

2012年09月16日 17時55分40秒 | 日記
お囃子車が帰還するのと時を同じくして、参道の提灯に火が燈されました。

来るべき御神輿還御に向けて、いよいよ雰囲気が出てきました。
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帰還

2012年09月16日 17時50分38秒 | 日記
しばらく境内で涼んでいたら、御神輿を先導していたお囃子車が一足先に神社に戻って来ました。

ただ、この時点で御神輿自体はまだ鳥居のところからは確認できませんでした。
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御社

2012年09月16日 17時35分26秒 | 日記
《御霊神社》の社殿です。江戸期くらいの建物かと思いますが、欄間の彫物などはなかなかの意匠が凝らされています。

御神輿にもあしらわれていましたが、この神社の紋所は皇室と同じ菊の御紋です。というのも、関東地方では非常に珍しいのですが、この御社の御祭神が崇道天皇という帝なのです。聞き慣れない天皇名だと思いますが、この帝は平安京に遷都した桓武天皇の弟君で、早良親王(さわらしんのう)という皇子のことです。

この皇子は桓武天皇の皇太弟として、本来なら次の帝になるはずでした。ところが、あらぬ謀反の疑いをかけられてその地位を剥奪された上流罪となってしまい、最後まで無実を訴えながら憤死してしまいました。

その死後、都で桓武帝の母君を初めとした近親者が次々亡くなったり、疫病が流行したりといった凶事が続いたため「これは早良親王の祟りではないか」と人々が恐れたため、その御霊を鎮めるために贈られたのが《崇道天皇》という諮号(しごう=送り名)です。

京都市にある大きな《御霊神社》はよく知られているのですが、何故都から遠く離れた平塚の地にこの御社が祠られているのかは、全国の神社を統括している神社本庁のHPを見てもわかりませんでした…。
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到着

2012年09月16日 17時02分49秒 | 日記
注連縄の張られた鳥居に出迎えられました。何年か前の写真では何故かこの鳥居が青く塗られていたので内心ドキドキしていたのですが、実際には白くなっていました。

あの青色は、恐らく塗装の下地だったのかも知れません。何だかホッとしました(何という言いぐさ…)。
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遭遇

2012年09月16日 16時55分28秒 | 日記
今日は平塚にある《御霊神社》のお祭りがあると教えて頂いて伺いました。

御神輿還御は黄昏時だから18時頃にくればいいと教えて頂いたのですが、暗くなってしまう前に神社にお参りをしておきたいと思って早めのバスに乗って最寄りのバス停に着いたら、何と練り歩いている最中の御神輿とバッタリ遭遇してしまいました(汗)。

午前中に雨が降ってきてしまったので、大丈夫だろうかと案じておりましたが、その心配が無用な晴天に恵まれました。このまま御神輿についていこうかとも思ったのですが、とりあえず初志貫徹でお参りすることにしました。
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