今日は皇紀二千六百七十八年紀元祭の日です。紀元祭の由来については諸説ありますが、神武天皇の即位日を記念する祭事ということになっています。
今年の紀元祭は日曜日に当たったため、折角だから拝観してみたいと思い立って相模國一之宮・寒川神社に参詣することにしました。
午前十時、神門から髪に黄金色の釵子(さいし)を戴いて白一色の装束に身を包んだ巫女に先導されて、同じく白一色の直衣(のうし)を着て勺を持ち垂嬰の冠を戴いた神職達が、宮司を先頭にして入場して来ました。新嘗祭の時に色とりどりの束帯を着用するのとは対称的な、実にシンプルな装いです。
拝殿の巨大な太鼓の音を合図に、紀元祭が始まりました。
先ずは宮司が二礼二拍手一礼を捧げると禰宜を始めとした神職が本殿への階に進み
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生演奏の雅楽の音が響く中、開かれた本殿の扉の中の帳の前に、巫女から手渡された御神酒や神饌をリレー式で次々と捧げていきました。そして、全ての捧げ物が神前に揃えられたところで宮司から祝詞が奏上されました。
次に、
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袿に袴と裳を着け、松の描かれた檜扇を手にした二人の舞妓(ぶき)が神前に進み出て、古式ゆかしい楽部の催馬楽(さいばら)に合わせて典雅な舞を奉納しました。
それから、この紀元祭に出席した氏子衆を始めとした関係者各位による玉串奉奠となりました。
ここで、ちょっとしたハプニングが。
玉串奉奠の最中、楽部によって《越天楽》がエンドレスリピートで演奏されていたのですが、あと少しで終わるという頃になって、篳篥が思いっきり音をひっくり返してしまったのです。
思わずズッコケてしまったのですが、考えてみれば普段ならあんなに雅楽を長時間演奏させられることも早々無いことだと思うのです。しかも、篳篥という楽器はオーボエと同じ二枚のリード(舌=ぜつ)を咥えて吹くのですが、この舌がオーボエのリードのように薄いものではなくてかなり厚みがある上に、演奏する際には唇で上下から噛むようにして圧をかけないと音が鳴らないため、唇や口輪筋にかなり負担がかかるのです。それをあんなに長時間やらされていたら、大概しんどくなるのは当然のことです。そういった事情を鑑みながら、心の中で
『篳篥、頑張れ!』
と、密かにエールを送ったのでありました。
そんなハプニングもあったものの、最後に宮司の先導によって神前に礼が捧げられ、一連の紀元祭の儀式は恙無く終わりました。新嘗祭とはまた違った厳かな雰囲気を堪能できて、幸せなひと時でした。
帰りに摂社宮山神社に参拝したところ、
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境内の紅梅が五分咲きになっていました。また一つ、春の訪れを感じることができました。
今年の紀元祭は日曜日に当たったため、折角だから拝観してみたいと思い立って相模國一之宮・寒川神社に参詣することにしました。
午前十時、神門から髪に黄金色の釵子(さいし)を戴いて白一色の装束に身を包んだ巫女に先導されて、同じく白一色の直衣(のうし)を着て勺を持ち垂嬰の冠を戴いた神職達が、宮司を先頭にして入場して来ました。新嘗祭の時に色とりどりの束帯を着用するのとは対称的な、実にシンプルな装いです。
拝殿の巨大な太鼓の音を合図に、紀元祭が始まりました。
先ずは宮司が二礼二拍手一礼を捧げると禰宜を始めとした神職が本殿への階に進み
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生演奏の雅楽の音が響く中、開かれた本殿の扉の中の帳の前に、巫女から手渡された御神酒や神饌をリレー式で次々と捧げていきました。そして、全ての捧げ物が神前に揃えられたところで宮司から祝詞が奏上されました。
次に、
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袿に袴と裳を着け、松の描かれた檜扇を手にした二人の舞妓(ぶき)が神前に進み出て、古式ゆかしい楽部の催馬楽(さいばら)に合わせて典雅な舞を奉納しました。
それから、この紀元祭に出席した氏子衆を始めとした関係者各位による玉串奉奠となりました。
ここで、ちょっとしたハプニングが。
玉串奉奠の最中、楽部によって《越天楽》がエンドレスリピートで演奏されていたのですが、あと少しで終わるという頃になって、篳篥が思いっきり音をひっくり返してしまったのです。
思わずズッコケてしまったのですが、考えてみれば普段ならあんなに雅楽を長時間演奏させられることも早々無いことだと思うのです。しかも、篳篥という楽器はオーボエと同じ二枚のリード(舌=ぜつ)を咥えて吹くのですが、この舌がオーボエのリードのように薄いものではなくてかなり厚みがある上に、演奏する際には唇で上下から噛むようにして圧をかけないと音が鳴らないため、唇や口輪筋にかなり負担がかかるのです。それをあんなに長時間やらされていたら、大概しんどくなるのは当然のことです。そういった事情を鑑みながら、心の中で
『篳篥、頑張れ!』
と、密かにエールを送ったのでありました。
そんなハプニングもあったものの、最後に宮司の先導によって神前に礼が捧げられ、一連の紀元祭の儀式は恙無く終わりました。新嘗祭とはまた違った厳かな雰囲気を堪能できて、幸せなひと時でした。
帰りに摂社宮山神社に参拝したところ、
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境内の紅梅が五分咲きになっていました。また一つ、春の訪れを感じることができました。