今日は全国的に節分でございます。暦の上では今日が冬と春との境目、明日からは立春を迎えて春となります。
そんなわけで、今日は秦野市にある出雲大社相模分祠に参詣することにしました。毎年二月三日にこちらでは《節分会》が開催されています。
今年から午前の部と午後の部の二部制になったということで、私は午後の部に足を運んでみました。
ちょうど神事に向けて、甚句に先導された宮司を始めとする一行が拝殿に向かうところでした。こちらの節分会には毎年、伊勢ヶ濱親方と部屋の力士衆が参加するのですが、その先頭に、今となっては元横綱の日馬富士公平氏がいました。あんな騒動があった後だけに、今年はいないかも知れないな…と思っていただけに、居合わせた人達からは歓声が挙がっていました。
やがて拝殿内で節分会に際しての祝詞が捧げられると、境内に厳かな雰囲気が漂い始めました。その後、神事を終えた力士衆や年男・年女の豆撒き手達が拝殿から出て、豆撒きのための特設ステージに登壇しました。
境内の玉砂利で転んでしまうと危険だということで、先ずは小さな子供達とお年寄りの方々に豆の手渡しが行われました。そして、一通り手渡しがおわってから、いよいよ豆撒きが始まりました。
御祭神である大国主命は福の神大黒様でもあるということで、こちらの節分会での豆撒きでは「鬼は外!」は言わずに「福は内!」を連呼するかたちで行われます。力士衆や撒き手達は「福は内!」の掛け声に合わせて、観衆に向けて楽しそうに豆を撒いていました。日馬富士や安美錦関、照ノ富士関も笑顔で力一杯豆を撒いていました。
豆撒き終了後、日馬富士氏は
居合わせた人達と気さくに写真撮影に応じていました。
日本中が御存知のような騒動を受けて、この時私の後ろには大勢の報道関係のカメラがいました。神事ということで、関係者各位が予め何処の報道機関から来た報道カメラなのかを申告させ、あくまでも彼等よりも参列者の方を優遇してくれたため、こんなに近くで撮影出来たのですが、そうでなければあっという間に日馬富士氏は報道カメラに囲まれてしまっていたでしょう。
伊勢ヶ濱部屋とこちらの御社とは昔から深い御縁があり、日馬富士の四股名をつけたのもこちらの宮司さんでした。それだけに、あのような不本意なかたちでの引退をしたことについて、関係者各位の心境たるや如何ばかりかと察せられます。
それでも実際に居合わせた人達からは、日馬富士氏に対して
「頑張れ!」
「応援してるよ!」
「お疲れ様!」
といった激励や労いの声が多く聞かれ、日馬富士氏もそれに手を振ったり会釈したりして応えていました。
鳥居を出る時に、神殿に向かってきちんと二礼四拍手一礼をした日馬富士氏の姿を見て、悲しくなってちょっと涙が溢れました。こうした礼儀正しい部分は絶対に報道されないのだと思いますが、こんなに礼儀正しい人が、酒の席での不祥事とは言え、何で臭いものに蓋をするかの如く角界を引退しなければならないのか…。いや、横綱と呼ばれる人がそういった不祥事を起こしたからこそ引退せざるを得ないのだろうとも思いますが、それだけに彼が一時の短慮に走ってしまったことが悔やまれてなりません。
来年からは、もうこちらの節分会で日馬富士氏の姿を見ることはできないと思われます。そういった意味でも貴重な節分会となりました。いろいろと思うところはあるかも知れませんが、頑張ってほしいと思います。
そんなわけで、今日は秦野市にある出雲大社相模分祠に参詣することにしました。毎年二月三日にこちらでは《節分会》が開催されています。
今年から午前の部と午後の部の二部制になったということで、私は午後の部に足を運んでみました。
ちょうど神事に向けて、甚句に先導された宮司を始めとする一行が拝殿に向かうところでした。こちらの節分会には毎年、伊勢ヶ濱親方と部屋の力士衆が参加するのですが、その先頭に、今となっては元横綱の日馬富士公平氏がいました。あんな騒動があった後だけに、今年はいないかも知れないな…と思っていただけに、居合わせた人達からは歓声が挙がっていました。
やがて拝殿内で節分会に際しての祝詞が捧げられると、境内に厳かな雰囲気が漂い始めました。その後、神事を終えた力士衆や年男・年女の豆撒き手達が拝殿から出て、豆撒きのための特設ステージに登壇しました。
境内の玉砂利で転んでしまうと危険だということで、先ずは小さな子供達とお年寄りの方々に豆の手渡しが行われました。そして、一通り手渡しがおわってから、いよいよ豆撒きが始まりました。
御祭神である大国主命は福の神大黒様でもあるということで、こちらの節分会での豆撒きでは「鬼は外!」は言わずに「福は内!」を連呼するかたちで行われます。力士衆や撒き手達は「福は内!」の掛け声に合わせて、観衆に向けて楽しそうに豆を撒いていました。日馬富士や安美錦関、照ノ富士関も笑顔で力一杯豆を撒いていました。
豆撒き終了後、日馬富士氏は
居合わせた人達と気さくに写真撮影に応じていました。
日本中が御存知のような騒動を受けて、この時私の後ろには大勢の報道関係のカメラがいました。神事ということで、関係者各位が予め何処の報道機関から来た報道カメラなのかを申告させ、あくまでも彼等よりも参列者の方を優遇してくれたため、こんなに近くで撮影出来たのですが、そうでなければあっという間に日馬富士氏は報道カメラに囲まれてしまっていたでしょう。
伊勢ヶ濱部屋とこちらの御社とは昔から深い御縁があり、日馬富士の四股名をつけたのもこちらの宮司さんでした。それだけに、あのような不本意なかたちでの引退をしたことについて、関係者各位の心境たるや如何ばかりかと察せられます。
それでも実際に居合わせた人達からは、日馬富士氏に対して
「頑張れ!」
「応援してるよ!」
「お疲れ様!」
といった激励や労いの声が多く聞かれ、日馬富士氏もそれに手を振ったり会釈したりして応えていました。
鳥居を出る時に、神殿に向かってきちんと二礼四拍手一礼をした日馬富士氏の姿を見て、悲しくなってちょっと涙が溢れました。こうした礼儀正しい部分は絶対に報道されないのだと思いますが、こんなに礼儀正しい人が、酒の席での不祥事とは言え、何で臭いものに蓋をするかの如く角界を引退しなければならないのか…。いや、横綱と呼ばれる人がそういった不祥事を起こしたからこそ引退せざるを得ないのだろうとも思いますが、それだけに彼が一時の短慮に走ってしまったことが悔やまれてなりません。
来年からは、もうこちらの節分会で日馬富士氏の姿を見ることはできないと思われます。そういった意味でも貴重な節分会となりました。いろいろと思うところはあるかも知れませんが、頑張ってほしいと思います。