東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

江戸変化朝顔

2016-08-12 | イベント
  2007年、およそ10年前の写真が出てきました。
  あの頃は毎年展覧会が開かれていました、百花園で。
  この頃は育てる人が少なくなったのかなぁ?、
  あの朝顔市の入谷あたりで作られていたらしいけど。


  

     はい、朝顔です。
     ここまでくるともう、、、。




  

     ススキじゃありません、朝顔ですねぇ。
     もう葉の形も一変しています。




  

     同じ種類で色違い?。
     江戸期も後半になってくる武士も戦いが無くなり仕事がない、
     浪人とか、二男三男の冷や飯食いたちが朝顔の栽培を始めた。




  

     今の御徒町とか朝顔市でお馴染みの入谷あたりが栽培の中心だったらしい。
     御徒町は上野のお山のふもと、入谷は浅草田んぼのふち、
     植木屋さんには地の利を得ていた。




  

     ごくたま~に現れる突然変異の花を見つけ「これ面白いじゃない」。
     メンデルの法則なんて当然知らない、
     なので人工授粉も知らない。
     ただ経験則などから、ただひたすら待ちに徹して変化朝顔を待っていた。




  

     珍しいのを見つければ高く売れる、、、これで火がついた。
     下級武士たちが内職としてその栽培と、
     花や葉の色・形・模様などの「品種改良」に励んだといわれています。




  

     アサガオ(朝顔) ヒルガオ科サツマイモ属

     日本へは、奈良時代末期とも平安時代ともいわれて説が別れていますが、
     下痢や利尿剤の薬用として遣唐使がその種子を持ち帰ったと考えられています。

     日本では観賞用として栽培され江戸・天保年間になると、
     朝顔栽培の中心は、下谷から入谷に移りました。
     入谷の朝顔市の誕生秘話?ですね。
                                                                 2007年8月8日 向島百花園
              

コメント (2)
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