鷲神社は、わし神社。おおとり神社とも読むようだけど
年末には恒例の熊手市が開かれます。
国土安穏寺から旧道に戻って直進して向かいましょう、
そのあと増田橋から炎天寺に向かいます。
国土安穏寺を出たらまた旧道に戻りそのまま北へ歩きます。
ちょっと広い交差点の向こうにコンビニがあったらその道を左へ、
赤羽家長屋門。
1821年以前の建築物で、元島根村名主・牛込家の屋敷門といわれています。
現在は赤羽氏の所有となっており、民家の長屋門として貴重で、足立区の登録文化財です。
また旧道に戻ってちょっと行ったら入り口に看板、
島根鷲神社はすぐ左です。
この辺りに一里塚が、日本橋から三つ目の一里塚があったはず、
はずなんだけど痕跡はありません、向こうの信号のあたりらしいけど。
日本武尊などをご祭神とする島根鷲神社。
神社の縁起によると
「当社は花園天皇文保二年の御中興と伝える。
古代の海岸線とされる所が南にあり島の根の様にでたこの地に
ご祭神が船でお着きになったことから浮島明神とも稱えた」。
縁起にもあったようにここの南に古代の海岸線があったとか、
どこあるのか、いつごろの海岸線か、全くの不明・・・。
その代わりと言ってはナンですが境内には富士山が
富士神社がありました。
こんな富士神社はあちこちの神社あって足立区にもたくさんあります。
さらに境内には「将軍石」と「島根学問所跡碑」。
享保6年10月、吉宗公御成りの折り腰かけたという石が。
そのとき寺子屋で「武家諸法度」を教えていたということで
喜んで褒美を、白銀10枚を賜ったとあります。
(ざっくりと大雑把に考えて50万円くらい?)
吉宗サン忙しい人ですね、
この前王子で偲んだと思うと今度は足立区の片田舎。
その前は有楽町の南町奉行所跡で
彼の任命した大岡越前守を見てきた。
旧道へ戻ってさらに北へ進むと間もなく。増田橋交差点。
五差路になっていて真っ直ぐ向こうが旧日光街道、
旧道はここまでにして一番左の道に入って「炎天寺」へ向かいましょう。
ここは面白いものがあるので
後日改めて来ることになると思います。
五差路の道を左の路へ入って右側の歩道にはこんなマンホールの蓋がはめ込まれています、
このカエルは、炎天寺近しを教える看板かな。
この道は「伊興」というところへ続く道、
古墳時代初頭の6世紀前半頃のものと思われる白旗塚古墳があるので
この道で「あるもの」を見ながら日を改めてに行くつもり。
炎天寺は小林一茶ゆかりの寺、
「やせ蛙 まけるな一茶 是にあり」と詠んだ場所。
炎天寺の名の由来とたくさんのカエルたちは次回。
旧道を外れると曲がりくねった道がいっぱい、
一つ間違えるとどこへ行くのか分からない。
久しぶりだったのであっちへウロウロ、こっちでウロウロ、
方向音痴を認めたくはないけど昔の農道そのままなので苦労しましたわ。^^;
8月12日 旧日光街道から炎天寺へ
年末には恒例の熊手市が開かれます。
国土安穏寺から旧道に戻って直進して向かいましょう、
そのあと増田橋から炎天寺に向かいます。
国土安穏寺を出たらまた旧道に戻りそのまま北へ歩きます。
ちょっと広い交差点の向こうにコンビニがあったらその道を左へ、
赤羽家長屋門。
1821年以前の建築物で、元島根村名主・牛込家の屋敷門といわれています。
現在は赤羽氏の所有となっており、民家の長屋門として貴重で、足立区の登録文化財です。
また旧道に戻ってちょっと行ったら入り口に看板、
島根鷲神社はすぐ左です。
この辺りに一里塚が、日本橋から三つ目の一里塚があったはず、
はずなんだけど痕跡はありません、向こうの信号のあたりらしいけど。
日本武尊などをご祭神とする島根鷲神社。
神社の縁起によると
「当社は花園天皇文保二年の御中興と伝える。
古代の海岸線とされる所が南にあり島の根の様にでたこの地に
ご祭神が船でお着きになったことから浮島明神とも稱えた」。
縁起にもあったようにここの南に古代の海岸線があったとか、
どこあるのか、いつごろの海岸線か、全くの不明・・・。
その代わりと言ってはナンですが境内には富士山が
富士神社がありました。
こんな富士神社はあちこちの神社あって足立区にもたくさんあります。
さらに境内には「将軍石」と「島根学問所跡碑」。
享保6年10月、吉宗公御成りの折り腰かけたという石が。
そのとき寺子屋で「武家諸法度」を教えていたということで
喜んで褒美を、白銀10枚を賜ったとあります。
(ざっくりと大雑把に考えて50万円くらい?)
吉宗サン忙しい人ですね、
この前王子で偲んだと思うと今度は足立区の片田舎。
その前は有楽町の南町奉行所跡で
彼の任命した大岡越前守を見てきた。
旧道へ戻ってさらに北へ進むと間もなく。増田橋交差点。
五差路になっていて真っ直ぐ向こうが旧日光街道、
旧道はここまでにして一番左の道に入って「炎天寺」へ向かいましょう。
ここは面白いものがあるので
後日改めて来ることになると思います。
五差路の道を左の路へ入って右側の歩道にはこんなマンホールの蓋がはめ込まれています、
このカエルは、炎天寺近しを教える看板かな。
この道は「伊興」というところへ続く道、
古墳時代初頭の6世紀前半頃のものと思われる白旗塚古墳があるので
この道で「あるもの」を見ながら日を改めてに行くつもり。
炎天寺は小林一茶ゆかりの寺、
「やせ蛙 まけるな一茶 是にあり」と詠んだ場所。
炎天寺の名の由来とたくさんのカエルたちは次回。
旧道を外れると曲がりくねった道がいっぱい、
一つ間違えるとどこへ行くのか分からない。
久しぶりだったのであっちへウロウロ、こっちでウロウロ、
方向音痴を認めたくはないけど昔の農道そのままなので苦労しましたわ。^^;
8月12日 旧日光街道から炎天寺へ