東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

旧日光御成道を歩く

2016-08-15 | 散歩
  日光御成道は、江戸時代の五街道同様整備された脇街道の一つ。
  中山道の本郷追分を起点として岩淵宿、川口宿から岩槻宿を経て
  幸手宿手前の日光街道に合流する脇街道。
  日本橋から三つ目の「西ヶ原一里塚」がそのまま残っています。


  

     飛鳥山公園を出てほんの5分、西ヶ原一里塚。
     江戸時代の一里塚がほぼそのままの形で残っています、
     日光御成道・本郷から二番目の一里塚、向こうは王子方向。

     並んで右側にも一里塚があります、基本的に道の両端にあるのが普通。
     岩槻街道はこの道路2車線分と同じ幅だったということです。




  

     一里塚でUターン、王子方向へ戻ります。
     「ゲーテの小径」、SLも分からなかったけどこれも分からない、
     なんでここに?左へ入ってみましょう。




  

     5分ほど歩いて、東京ゲーテ記念館。
     ふ~ん・・・・・。


     「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」

     ウキより
     「ゲーテ (Goethe) のドイツ語での発音は日本人には難しいこともあり、
     日本語表記は、古くは「ギョエテ」「ゲョエテ」「ギョーツ」「グーテ」
     「ゲエテ」など数十種類にものぼる表記が存在した。
     このことを諷して斎藤緑雨は「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」という川柳を詠んだ。





  

     さらに10分ほど坂道を下ります、谷戸駐在所。
     交番ではありません、駐在所です、
     交番と違うのはお巡りさんが家族と一緒に常駐してるということ。

     さっきの一里塚の隣に本署があるのでここまで歩いても15分くらい、
     なんで家族と住み込みのお巡りさんが、、、これも分からん。


     谷戸(やと)とは、丘陵地が浸食されて形成された谷状の地形、
     ここも谷の底ですね、

     谷戸は谷津とも言われ同じ地形の場所。
     ここからもうちょっと行って音無川を上ると観音橋の袂に、
     寿徳寺の谷津大観音が姿を現します。
     寿徳寺は新撰組組長近藤勇の菩提寺としても知られ、こっちが本家。
     JR板橋駅前にある近藤勇墓所は寿徳寺の境外墓地ですね。




  

     飛鳥山まで帰ってきました、
     本郷通りはここで終り、ここからは岩槻街道となります。
     右手の日本家屋風建物は飛鳥山交番、中央の頭だけのビルは「北(ほく)とぴあ」
     1990年の完成時は北区で一番高い建物だった、
     最上階17階には展望台があり、富士山や筑波山がよく見える。




  

     飛鳥山の前、交番と8800型の都電、
     このラッピングは初めて見た。




  

     ここから岩槻街道、日暮里崖線の上端が続く道、
     赤羽までの間は右側は切り立った崖が続きます。
     都電は右へちょっとだけ明治通りを走って専用軌道へ。




  

     ちょっとだけ音無川を覗いてみましょう、音無橋の上からです。

     本流は暗渠になっていてここは親水公園、
     この高低差、日暮里崖線、
     こんな高低差が赤羽まで続きます、怖いです。

     今度ヒマをみて日暮里崖線を歩こうかなぁ、
     日暮里から赤羽まで、、、
     基本歩きだから体調のいいときにね。♪  
                                                             8月11日 王子界隈を歩く
         


コメント (6)
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