東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

6月26日は雷記念日

2018-06-27 | 散歩
  延長8年(930)の6月26日、平安京内裏の清涼殿に落雷、
  大納言藤原清貫が即死する事故が発生したことにちなんでの記念日。
  いろいろな記念日があるけどこんな記念日があったとはね、
  雷さまに縁がある近くの三島神社へ行ってみた。


  

     近くとも言えないけど前の職場の近くだったのでよく知っていた。
     「三島神社」、ここに雷さまの痕跡がある、
     雷さまが落ちたので井戸に閉じ込めてしまったという話。




  

     その雷さまを閉じ込めた井戸、
     危ないので厳重に蓋がしてあるけど雷さまが危ないのではなく水が満々とたたえられているからだとか。




  

     立札がありました、
     ・・・・・ということだそうです。(暑いから手抜きね)




  

     何でもおまんまのタネにしてしまうこのごろの神さま。
     試験に落ちない、株価が落ちないと「落ちないお守り」が売られている。




  

     境内には「火除け稲荷」。
     この辺りは上野寛永寺の火除け地となっていたと聞いたことがある、
     そして近くには"火除け"を謳う神社は多い。




  

     几号水準点。明治初期に内務省地理寮が設置した測量標で、北門入口の敷石に"不"の刻印がある。
     このあたりには川が流れていて土手は吉原に続いていた、上の写真の丸っこい石は石橋の一部。
     樋口一葉の「たけくらべ」にも書かれているが次回詳しく。




  

     与謝野鉄幹が住んでいた?。
     鉄幹が兄の経営する女学校で教師をしていた頃、教え子の浅田信子と恋仲に。
     教師の鉄幹が17歳で、信子は20歳という妙な二人だったが、、、。
     信子は子供を産み、そして子供はすぐに亡くなった。
     そのころ鉄幹は友人にここを住所としてハガキを出している、
     信子が出産したという文面だがたった一枚のこのハガキだけがここに住んでいたという
     幽かな手がかり、この辺りの人に聞いてみても知る人はいない。




  

     5分くらいの所に「朝日辨財尊天」、
     今は児童公園として子供たちの遊び場となっている。




  

     しかしここにも「弁天池」が残っている。
     かつて、この弁天池は約8,000平方メートルもある大きな池だったが
     関東大震災の折たくさんの瓦礫で埋め立てられ姿を消すことに。
     今では吉原弁天と、この朝日辨財尊天にわずかな水面を残すだけとなった。
     吉原弁天からこの辺りまで続いていた大きな池だったんだね。




  

     雷さまに話を戻そう、私の地元の小さな天神さま「梅島天満宮」。

     平安京内裏の清涼殿に落雷騒ぎは菅原道真の怨念だろうと朝廷は道真を神さまとして祀った。
     雷を操ったんだから天の神さま即ち天神さまとなった。
     また道真は代々学者の家系に生まれ長じて学者、文人それに政治家として卓越した能力を発揮した、
     故に学問の神さまとしても敬られ後年湯島天神などの懐を潤すこととなった。?
     
     あまりテキトーなことを言ってると天神さまのバチが当たるといけないので、、、。♪
     この辺を廻っていると樋口一葉の影がついて廻る、「たけくらべ」の舞台なのだ、
     明日は一葉の足跡などを追ってみよう。

     (各神社の場所などは神社名をコピペして検索してください、それぞれ上等なHPがあります。)

          data: 撮影6月26日 下谷・三島神社あたり
          

コメント (4)
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