百花園から真っすぐ帰るのも芸がない、
ちょっと足を延ばして吉原へでも行ってみよう。
思えばしばらく行っていない、
弁天さまは一人ぼっちで寂しかろうと。
吉原の入口となる「見返り柳」、帰る段になってもつい今いたところを振り返ってしまう。
「きぬぎぬのうしろ髪ひく柳かな」・・・。
吉原の真ん中の通り「仲之町通り」を突き抜けたところにある吉原神社の本社。
江戸のころはこの辺りを「水道尻」と。張り巡らされていた水道もこの辺りが終点だったようです。
5,60mくらい離れて奥の院、弁天さまはここに祀られています。
かつてはここに大きな池があって弁天さまが祀られていた。
関東大震災が起きた日に猛火の中を遊女たちはこの池に逃げたが約500人が命を落としたと。
ここに慰霊のための観音さまが建立されました。
弁天堂の壁画は東京芸術大学、武蔵野美術大学の学生や卒業生により描かれました。
弁天さまは元々はインドの河神であることから、
日本でも水辺、島、池など水に深い関係のある場所に祀られることが多い。
そして龍とか白蛇とかに関連付けられることも。
弁天堂の向かいに池があったが行ってみたらすっかり作り替えられていた、
ちょっと安っぽい池になってしまったなぁ。
かつてはこんな池があって情緒的にも豊かだったけど。
そして池にはこんな絵も飾られていた。
花吉原名残碑(はなのよしわらなごりのひ)。
吉原遊郭の歴史を永く止めようと昭和35年に地域有志によって建立された石碑です。
焦らさないで弁天さまに会いに行きましょうか、ここにも大きな龍がありますね。
さあ吉原弁天さまです、久しぶりにお会いしました。
日本橋の吉原遊廓が移された。以来、300年間に及ぶ遊廓街新吉原の歴史が始まり、
遊廓造成の際、池の一部は残りいつしか池畔に弁天祠が祀られ、
遊廓楼主たちの信仰をあつめたが、現在は浅草七福神の一社として、
毎年正月に多くの参拝者が訪れている。
市杵嶋姫命(弁財天)は、遊郭の土地造成でできた弁天池に祀られ、
関東大震災の後に遊郭の守護神に加えられました。
data:PowerShot G7X MarkⅡ。 撮影 1月 17日 吉原弁財天