東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

鳩の街を歩いてみた

2022-02-23 | 散歩

  鳩の街は玉ノ井の近く、東京大空襲で玉ノ井が
  焼けたのでその業者がこの地に移転して開業したのが起こり。
  戦後は米兵相手の施設だったが
  そのあと日本人相手の"赤線"として発展した。

 

   鳩の街商店街は一本道の商店街、
   どっちが入り口かと言われると困るけど
   私は向島百花園の近くの墨東通りから入るのでこっちから。
   逆の水戸街道から入ると入り口にしょぼいアーチがあったりする。

 

 

   とにかく狭い通り、軽トラだってすれ違いは出来ない。
   夕方の時間帯は車は進入禁止となっている。

 

 

   前回行ったときは古い娼家の姿も見られたけど
   行ってみたら今は全く残っていなかった。
   この建物は昭和2年建築の元薬局をリノベーションして
   2006年11月にオープンした古民家カフェだったが今は営業していないみたいだ。

 

 

   洋風居酒屋 Hun-gryと看板にあるけど
   ウリは唐揚げなんだろうか。
   こんな小さな店がびっしりと並んでいる。

 

 

   商店街というけど露地だよね、
   こんな通りにいろいろなお店が並んでいる。
   歩いてみると昭和の昔に来たみたいだ。

 

 

   造りがメチャ古いお店、まだ営業中なのかな。
   ここは前回来たときにも全く同じ姿で変わっていない。
   変わったのは店の前にしっかりとシュッシュが置いてあったことくらい。

 

 

   店頭は懐かしい風景、
   未だにこんな光景が見られるところは他にはないだろう。
   小学生のころの街の本屋さんの店先みたいだ。

 

 

   銅板を貼り付けた壁の家、
   昔は結構見られた造りだけどさすがに今では見られなくなった。
   前回来たときには円形の柱にタイルを張り付けた
   いわゆるカフェー風の建物も残っていたけど。

 

 

   ラモナー化粧品、知ってますか?私は残念ながら。
   建物は、現在はイベント会場として利用されているみたいだ。
   前回来たときにはこの辺に「松の湯」があったような、、、
   木の実ナナさんの実家だと聞いていたけど今は無くなったようだ。

 

 

   水戸街道からの入口、
   このアーチは前回来たときより寂しくなっていた。
   ここからいま来た道をもう一回歩いてみよう、
   古い佇まいに混じって
   新しい洒落たお店がどんどんできている。

   「鳩の街」の由来として「上客である進駐軍に
   ここへ来れば幸せになれますよ」と幸せの象徴である
   鳩が使われたという話がある。
   英語では「Pigeon storeet」と呼ばれていたらしい。

 

          data: PowerShot G7X MarkⅡ。 撮影  2月17日  鳩の街を歩いてみた

          

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二の午は千束稲荷神社で

2022-02-22 | 散歩

  今日2月22日はニャンニャンニャンの日、
  テレビは朝から大騒ぎしていました。
  私はちょっと目先を変えて二の午の日ということで
  職場近くの千束稲荷神社へお詣りです。

 

   千束稲荷神社は1600年代の創建といわれ
   鳥居は江戸時代のものが残っています。
   樋口一葉の「たけくらべ」の舞台になったことで
   有名になり一葉稲荷とも呼ばれています。

 

 

   ここは初午ではなく二の午を盛大にお祭りします、
   今年は19日から23日まで飾り付けが行われるみたいですね。

 

 

   キツネさんも新しい衣装?でお出迎え、
   鳥居は南向きなので朝のうちはまだ日陰で残念。

 

 

   境内狭しと赤い幟が林立、
   去年は雨だったのでこれは見られなかった。
   幟の下には地口行灯がこれもずらり。

 

 

   朝のうちだったのでまだ人影はなかったけど
   これから増えてくるのでしょう。
   暗くなるとたくさんの地口行灯に灯が入ります。

 

 

   拝殿の脇に紅白の梅があるけど
   今年はちょっと遅いのかな、
   白梅はともかく紅梅はまだほとんど咲いていません。

 

 

   境内にある樋口一葉の胸像、
   おすましというかちょっと怖いような眼差し。

 

 

   境内だけではなく周りにもたくさんの地口行灯が並んでいます、
   行ったときは神職さんが曲がったの傾いたのを直していました。

 

 

   江戸っ子の好きなダジャレはいまに引き継がれています、
   去年見たものもあるけど半分以上が新作に入れ替わっていました。

 

 

   数年前にNHKで放送された村井美樹さん自作の地口行灯、
   最近再放送されたのでテレビから撮っておいたもの。
   江戸の職人さんも少なくなったので
   新しく作るのも大変なようです。

 

          data: PowerShot G7X MarkⅡ。 撮影  2月22日  千束稲荷神社の二の午

          

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吉原神社から浄閑寺まで

2022-02-21 | 散歩

  吉原といえば浄閑寺は外せません、
  吉原に一番近い寺で遊女たちが亡くなると
  投げ込むように置かれたという投げ込み寺。
  すぐ近くなので足を延ばしてみましょう。

 

   吉原神社から歩いて行きます。
   吉原神社は1872年(明治5年)に創建されました。
   吉原遊廓には元々遊廓の守護神としての稲荷神社が5社あったが、
   明治になり一か所に合祀したのが吉原神社の起源です。
   廓の中にあったのでこれらの神社には
   遊女たちもよくお詣りしていたようだと。

 

 

   吉原神社から吉原病院の前を通って花園公園。
   江戸の初めまで湿地帯だったがここに新吉原が作られた、
   遊郭造成の際に池の一部は残り、いつしか弁天堂が出来
   遊女たちもお詣りするようになる、池は弁天池とか花園池と。
   関東大震災の折り多くの人々が業火に追われ
   この池に逃れ490人が溺死するという悲劇が起きた。
   その後埋め立てられ池はわずかに名前をを残すのみとなった。

 

 

   その池のほとりに造られた吉原弁天堂、
   吉原神社の奥の院として多くの人がお詣りに訪れる。

 

 

   弁天さまの前には手のひらサイズになってしまった小さな池が、
   何も知らないコイたちが今日も元気に泳いでいる。

   ここからは帰り道なので自転車で向かいます。

 

 

   浄閑寺。
   すぐ近くを山谷堀が流れており吉原で亡くなった遊女の遺体は
   舟で運ばれ投げ込むように置いていかれたという。
   安政の大地震などの災害や病気・事故・心中など
   昭和を含め300年続いた歴史の中で関東大震災も含めると
   約25,000人がここの運び込まれたという話もある。

 

 

   新比翼塚。
   比翼塚とは夫婦や心中した男女を葬った墓のこと。
   この新比翼塚は明治の初期に品川楼で心中した遊女盛糸と
   内務省の役人谷豊栄の二人の供養のために建てられたそうだ。

 

 

   若紫の墓。
   若紫(わかむらさき)は幼い頃に吉原に連れてこられ、遊女となったのは17才。
   若く美しい若紫は多くの男たちを虜にし、身請け話も数多く舞い込んだ、
   年季が明けたら交際していた恋人と一緒になるはずだったが、、、。
   たまたま廓に来ていた客に襲われ22才の若い命を散らしてしまった。
   年季が明ける5日前のことだったとか。

 

 

   新吉原総霊塔。
   死してもなお寄る辺のない遊女の霊を慰めるために建てられたのがこの総霊塔。
   江戸中期の1793年建立の供養塚を昭和4年に改修したもので、
   荒川区登録有形文化財となっている。

 

 

   お地蔵さまの頭の上の隙間には
   訪れた人たちが彼女たちの身の上を思い
   供養のため置いていったアクセサリーなどがいっぱい積み重なっている。

 

 

   有名な花又花酔の句碑、
   花又花醉は昭和30年代に亡くなった。
   廓をよく詠んだ川柳作家だったそうだ。

 

 

   新吉原総霊塔の向かいに永井荷風の詩碑と筆塚がある。
   遊女の暗く悲しい生涯を思い、度々浄閑寺を訪れていたそうだ。

   永井荷風と聞くと墨東奇譚。
   玉ノ井には一回行ったけどまるでダンジョンみたいで
   どう歩けばいいのかどこが出口なのかすっかり迷ってしまった。
   玉ノ井の近くに「鳩の街」があるので
   吉原のついでに行ってみようか。
   何年か前に数回行ったけど久しぶりにまた歩いてみよう。

 

          data: PowerShot G7X MarkⅡ。 撮影  2月12日  浄閑寺まで行ってみた

          

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吉原の光と影

2022-02-20 | 散歩

  吉原も通りに面したところでは
  華やかな店がびっしりと並んでいます。
  しかし、一歩裏通りに入るとそこはまた別の世界、
  ディープな吉原を歩いてみました。

 

   表通りには華やかな店が並ぶけど裏通りに入ってみると
   かつて存在しただろう店がそこここに。
   現在の店が並んでいるところは華やかだけど一歩入った
   小さな路地にはその昔の吉原がひっそりと残っています。

 

 

   裏通りのさらに裏の方では時代は一挙に古くなる、
   数十年前に遡って驚く光景も見られます。
   懐かしいなリゲイン
   当時の三共製薬が発売した栄養ドリンク「リゲイン」、
   発売当時のキャッチコピーが「24時間、戦えますか」。

 

 

   前身はなんの店だったのだろう?
   飲食店か何かだったのかな、
   上の壁には「マ・ス・ミ」と読めるけど。

 

 

   独特の外観と出窓を持つ転業アパート、
   これはもう"あの種"の店だったんでしょう。
   このカーブ、この窓、この辺りは営業が禁止されたところ
   みんな転業したらしいけどその特徴を持つ建物はまだ残っていたり。

 

 

   このカーブ、たまりませんなぁ・・・
   かつての赤線地帯を歩くと今でも見られる貴重な風景。
   見られるというより探して歩いているんだけど。

   風俗営業法一部改正(昭和41年)により、
   この辺りの地域に特殊浴場店舗が進出できず、赤線遺構が点在する街並みに。

 

 

   そんな建物の間にかなり古くなった建物も。
   集合ポストの元祖みたいにポストが貼り付けられたアパート、
   階段には暖かい日差しを浴びてのんびりするニャンコの姿が。

 

 

   風俗店がひしめく通りから100mも入ってない、
   そんなところにまだひっそりと残っている昭和の風景。

 

 

   ただ古いだけの建物だろうか、
   その向こうの建物も気になる形だね。

 

 

   吉原に唯一残る料亭、
   この狭いに道にもいろいろな看板がずらっと並んでいる。

 

 

   そしてこんな建物・看板も見られた
   一昔前と違ってうわべだけはきれいになったと思わせる吉原だけど。

   吉原には、情報喫茶と言われる喫茶店があります。
   ほかの風俗街にある「無料紹介所」の場所のようで、
   喫茶店の中に入るとお店を紹介してくれるとか。

 

 

   さらにこんなところも。
   すぐそこに東京都立台東病院もある、
   前身は警視庁病院を母体とする性病専門の病院だった。

 

 

   歩き回っていたら壊れかかった建物の間にこんな風景を見つけた、
   ディープな街角にほっとする爽やかな建物。
   吉原は生まれたときから特殊な街だったけど
   数十年、数百年を経てだんだんと生まれ変わっていくのかな。

 

          data: PowerShot G7X MarkⅡ。 撮影  2月12日  吉原ディープ

          

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吉原でブラおじさん

2022-02-19 | 散歩

  聞くところによると「鬼滅の刃」に吉原編があるとか、
  その影響で若い人たちの吉原詣でが流行っていると。
  私はそのアニメは見たことはないけど
  吉原はすぐ近く、久しぶりに行ってみようかな。

 

   職場の前の金美館通りを行くと吉原に通じる、
   この通りは吉原の中央通りで仲之町通りと名前を変える。
   とりあえずまっすぐ進んで大門跡まで行ってみよう、
   "金すし"の前に大門の柱、その向こうにある交番は
   かつて「四郎兵衛会所」があったところ。
   男は出入り自由だけど女は通行証とか厳しく調べられた。

 

 

   交番を廻り込んで左へ入るとかつての吉原、あ、今もか。
   吉原は浅草寺裏の湿地の葦原に盛り土をして造られた、
   その盛り土が見られる「吉原公園」、かなりかさ上げしたみたいね。
   吉原のド真ん中の公園、いいのかなぁ。

 

 

   公園に上がって突っ切るとその向こうは紛れもない"吉原"、
   ここで遊ぶ子どもたちは吉原のことを知っているのだろうか。
   もっとも子どもたちの姿はなくヒマそうなおじさんたちがたむろしているだけだけど。

 

 

   その公園の前の道を行くと急坂が現れる、高低差!
   タモさんが喜びそうだけど吉原を囲っていた"お歯黒ドブ"の跡だ。
   外から不審者が入り込まないように遊女たちが逃げ出さないように
   吉原は入り口の大門を除いて幅約9mのお歯黒ドブと呼ばれる
   堀で囲まれていた、外界と繋がるのは大門だけだった。

 

 

   下の方から見ると盛り土の様子が分かる、
   この下をお歯黒ドブが外界と吉原を遮断していた。

 

 

   下の道を歩くと段差が続いている、この通りはみんなこうした感じ。
   営業している店にはみんな看板が貼ってある、
   曰く「吉原は安心安全な街です」、とそこここの看板に。

   仲之町通りを挟んで反対側は「羅生門河岸」と呼ばれ
   吉原でも最下級の店が並んでいたところ。
   前を通りかかると客引きに腕をつかまれ引っ張りこまれる、
   ときには袖を引きちぎられた人もいたとかいないとか。
   京の羅生門で渡辺綱に片腕を切り落とされた鬼、
   まるでその羅生門みたいだとその名がついた。

 

 

   吉原公園に戻ってみよう、
   この公園は「大文字楼」という吉原の中で一番大きな遊郭の跡地だという。
   遊郭の跡地にある公園、藤棚があって季節にはきれいな花が咲く
   これから桜なんか咲いてくるのだろうか。

 

 

   公園の前の通り、昼間見る光景じゃないね。
   この時間には清掃関係とかリネン業者が忙しく出入りしている。

 

 

   職場から歩いて5分くらいかな、左に吉原神社まっすぐ延びる通りは仲之町通り
   進んでいくとさっき見た交番があって大門の「見返り柳」がある。
   吉原神社は鬼滅の刃を見て来る人が多くなっているとか、
   御朱印が売れるようで巫女さんとは言い難いおばちゃんが
   朝からバタバタと動き回っている。

   この通りの右側に潜ってみましょう、
   かつての吉原、戦前から続く吉原の姿が
   垣間見られるところがあります。
   ディープな吉原、何か懐かしい吉原、
   いや、私は知らないけどそんな場所があったようです。

 

          data: PowerShot G7X MarkⅡ。 撮影  2月12日  吉原でブラおじさん

          

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