折にふれて

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震災歌集から

2019-03-11 | 折にふれて

偶然だったが、NHKの震災特番、タレントの篠山輝信さんが被災地を巡る旅に釘づけになった。

この時期に被災地を訪ねる旅、もう何年も続いているらしい。

しかも決まって訪れる場所、そして出会う人々がいて、

いわば、復興の進み具合や人々の心境の変化などを

篠山さんという若者を通して確かめる旅でもあるようだ。

篠山輝信さんという人。

これまでは写真家の篠山紀信さんと南沙織さんの息子さんという程度の認識しかなかったのだが、

その明るさ、素直な受け答え、そして人懐っこさなど、この人のことがいっぺんに好きになった。

ちょうど番組を見始めたとき、

篠山さんが訪れていたのは、仮設住宅に一人で住むおばあちゃんだったが、

この春からはようやく公営住宅に住めると、うれしそうに篠山さんに鍵を見せていた。

その無邪気な姿が印象的だった。

決して、優良な住環境とは言えない仮設住宅。

そこで8年間も住まわれたことを思うと、心から「ご苦労様でした」と申し上げたい。

 

ところで...。

この番組に見入った理由がある。

少し前に、俳人である長谷川櫂さんの「震災歌集」を読んだ。

その時、短歌に託された震災への思いに圧倒されたのだが、

この歌集に編まれたいくつかの歌が番組の所々のシーンに重なっていったからだ。

  被災せし老婆の口をもれいづる「ご迷惑かけて申しわけありません」

  身一つで放り出された被災者のあなたがそんなこといはなくていい

  つつましきみちのくの人哀しけれ苦しきときもみづからを責む

  みちのくはけなげなる国いくたびも打ちのめされて立ちあがりし国

長く地元に親しまれた「武ちゃん」という店が再開を果たしたシーンでは

  ラーメン屋がラーメンを作るといふことの平安を思う大津波ののち

そして、この番組の中でもっとも胸を締めつけられるような思いをしたのはこんなシーンだった。

三人の子どもたちを津波で失ったご夫婦が地元の人たちとともにコミュニティの場を作っている。

そのご主人の話。

よく「復興は(階段でいうと)何段くらいですか」と聞かれるそうで、

その時の答え、「何段か上がれたものもありますが、まったく上がれてないものもあります。」

思わず涙があふれそうになった。

建物や道路はいくらでも復興できる。けれど、失った人を取り戻すことなどできない。

  かりそめに死者二万人などといふなかれ親あり子ありはらからあるを

「震災歌集」を知るきっかけとなった歌が、ご主人の「まったく上がれていないものもある」という言葉に重なり切なくなったのだ。

 

俳人の長谷川櫂さんがなぜ俳句ではなく短歌だったのか。

長谷川さん自身にもその理由はわからないという。

ただ、「やむにやまれぬ思い」からとだけ記されている。

その「思い」を他人が詮索するなど無用なことなのだが、

「あとがき」を読んで、ふと思ったことがある。

そこには、紀貫之が「古今和歌集」のために書いたこんな序文が引用されていた。

やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける

―歌とは人の心の中の種から生えた木の無数の葉のようなもの―

さらに紀貫之は続けて、「歌」は天地さえ動かし、鬼神をも感動させると書いているという。

長谷川さんは自らの心情をこう綴られていた。

「今回の大震災は人々の心を揺さぶり、心の奥に眠っていた歌をよむ日本人のDNAを目覚めさせたようだ。」

「やむにやまれぬ思い」であったればこそ、「歌の力」が必要だったのだと思う。

 

まもなく桜の季節となる。それをよんだ歌。 

  人々の嘆きみちみつるみちのくを心してゆけ桜前線

力強く、そして、やさしさにあふれた歌だと思った。

 

 


 


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6 Comments

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Unknown (笑子)
2019-03-11 15:15:03
こんにちは
私は埼玉県北部在住なので3.11の時は震度5弱の揺れの経験でしたが
電柱はがたがた揺れて停車中のトラックもまるで
波の上のような動きをしていたのが忘れられません
揺れの恐怖もありましたが、実際はその後の計画停電や
燃料他、物資の不足などの苦労くらいです
ただ、私の勤める会社が福島県のいわき市に営業所があるものですから
被災されてこちらに避難してきたり、救援物資を運んだり
また原発のニュースがダイレクトに飛び込んできたので
その惨状・惨劇を身近に感じる場面も多々ありました
でも、、やはり離れている人にはわからない
当事者の苦しみがありますよね
これは、理解しようと歩み寄ってもやはり限界があるのですよね
でも、いつもいつでも「寄り添う気持ち」を持っていたいな
小さなことでも応援の気持ちをずっと持ち続けていたいな。。と思います
頑張れ!東北!☆

長谷川櫂さん
・・俳句の文字数ではどうしても語りきれない
大きく重たい、強い思いがあったのでしょうね。。
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笑子さん (juraku-5th)
2019-03-11 18:13:34
コメントありがとうございます。

深息をするも三月十一日

そんな経験や思いを込めての句だったのですね。

この8年間で、震災への思いを具体的な言葉にしたのは初めてです。
言葉にできなかったというほうが正しいかもしれません。
そして、今でもあの大惨事を直接経験していない自分が言葉にしたことが良かったのか迷っています。

あの日、私は仕事でシンガポールにいました。
そして、仙台から同じイベントに参加していた人たちとリアルタイムで押し寄せる津波の映像を見ていました。
名取市の仙台空港にじわじわと押し寄せる津波、
それを為す術もなく見つめる仙台の人たち。
わずか一週間の交流でしたが仲間意識が生まれていただけに
その横顔を思い出すと今でも目頭が熱くなります。

すぐに帰国の準備をしましたが、
飛行機が飛んだのはそれから三日後、
それも一晩空港で過ごしてやっと押さえた臨時便でした。
仙台の人たちとは成田で別れたのですが、
その先、帰る交通手段はなかったはずで
途方に暮れた後姿を忘れることができません。

そんな記憶が投影された歌が
かりそめに死者二万人などといふなかれ親あり子ありはらからあるを
でした。
さらにアッキーの番組が震災歌集に編まれた歌を次々と呼び起こしてくれました。

言葉にした、とえらそうなことを書きましたが、
人の歌に共感し、代用するしかなかったわけですが。

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Unknown (hitsujigumo3942)
2019-03-11 19:24:42
こんばんは
もう8年になりますね。
あの日は‥仕事から戻ってきてテレビをつけたら大変な事になっていて‥
毎日、テレビで津波の場面が放映されていましたが‥見ることができませんでした。
「何段が上がれたものもありますが‥全く上がれないものもある」胸が締め付けられますね。
まだ‥行方不明な方がたくさんおられるようです。
ご家族の気持ちを考えると‥辛いですね。
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Unknown (よっちん)
2019-03-11 20:51:04
あれから8年…

あれだけの被害があったのに
どうして我が国では
原子力発電所を徐々に減らして
全廃の方向に持って行こうという
論議が起きないのでしょうね。

応援ぽち
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hitshjigumo3942さん (juraku-5th)
2019-03-11 21:28:05
コメントありがとうございます。

私たちにせめてできることは忘れないこと。
そして、風化させないこと。
月並みですが、それだけの存在でしかないのが残念です。
震災から少したって宮城県名取市の閖上地域を訪れ、
その悲惨さを目の当りにしました。ただそれだけでした。

今年は復活する三陸鉄道に乗って、おいしいものを食べて、沿線の方たちと話をしてこようと思います。

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よっちんさん (juraku-5th)
2019-03-11 21:36:27
コメントありがとうございます。

歌集にあった歌をご紹介します。

原子炉に放水にゆく消防士その妻の言葉「あなたを信じてゐます

原子炉の放射能浴び放水の消防士らに掌合はする老婆


代替エネルギーとしての再生可能エネルギーも行き詰っているし、
エネルギー行政をどう考えているのでしょうね。
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