折にふれて

季節の話題、写真など…。
音楽とともに、折にふれてあれこれ。

冬を楽しむ

2024-12-03 | 折にふれて

11月の終わりから冷たい雨の日が続いた。

昨日は青空が広がり、それがずいぶんと久しぶりに思える晴れ間だったので

犬の散歩でいつも天候を気にしている家内に聞いてみたところ

十日ほどは雨の日が続いていたらしい。

けれども、その青空もほんの束の間。今日からはまた雨の日が続くという。

週間予報なのでその先のことはわからないが、

悪天候どころか、さらに週末には冷え込んで平野部でも雪が降るのだとか。

暦の上では冬に入ったばかりなので、あと三か月ほどはこの天気を覚悟しなければならない。

雨の季節というと梅雨のうっとおしさを思い浮かべたりもするが、

それに比べて北陸での冬は長雨がやがて雪に変わり、

それが3月初めまで続く。

災害を引き起こさない限りだが、梅雨の長雨などは取るに足らないことでしかなく

むしろ雨の日を楽しむ余裕さえ感じたりもしている。

一方で生まれてこの方嫌ってきた冬のうっとおしさ。

今年も「ヤレヤレ...」という気分が高まっていたのだが

ある話を聞いて心持ちが変わり始めている。

話とは北欧における冬の暮らしのことで、

一日の大半が夜となる冬に「灯り」を楽しむ文化があるのだという。

様々な照明器具が考案され、屋内外に装飾される。

照明器具だけでなく、灯りの強弱や色合いなどでも

暗がりを演出することで長い冬を楽しもうとするのだそうだ。

 

この話を聞いて自分の部屋の模様替えを始めようとしている。

それは、照明器具はもちろんのこと、カーテンや足元の敷物だったりもする。

寒さをしのいだり明るさを補ったりするだけでなく、冬には冬のしつらえがあると思い始めたのだ。

いや、「むしろ冬を楽しむには...」とほくそ笑んだりもしている。

 

さて。金沢の冬を代表する風景を「お蔵」の中から探し出した。

冬の風物詩ともなっている兼六園の雪吊り。

そもそもは積もった雪の重みから枝折れを守るためのものだが

そのライトアップは北陸のきびしい冬、そして、夜を楽しむ粋なしつらえだ。

 

もうひとつ。「冬を楽しむ」ということで

このスティングのビデオクリップを思い出した。

 
Sting - Fields Of Gold (Live From Lake House, Wiltshire, England, 1993)

イギリス郊外の家屋で収録されたようだが

裸の木立など外の様子からは寒々とした冬の情景が伝わってくる。

ところがその室内。

部屋の奥深くまで射し込むやさしげな陽ざし中で

穏やかな雰囲気で繰り広げられるライブ演奏に温もりと

上質な時間の流れを感じた。

 

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夕焼け強化月間 3 By空俱楽部

2024-11-19 | 三国港 エッセル堤

先月末の空倶楽部以来、「11月は夕焼け強化月間」と豪語したものの、

ほんとうのところは言うほど撮影に出かけられていない。

とはいえ、わずか2回で切り上げるのも気がひける。

ということで今回は蔵出し。


  2023年11月。三国サンセットビーチの夕焼け

 

「9」のつく日は空倶楽部の日。

     ※詳しくは、発起人 かず某さん chacha○さん まで

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當麻伝説  Ⅱ

2024-11-15 | 大和路点描

當麻寺境内の中将姫像

     

先の記事で當麻寺に秘蔵される国宝『綴織当麻曼荼羅』に触れたが

その国宝を蓮の糸で一晩で織り上げたと伝えられる人物が中将姫。

藤原鎌足の曽孫とのことだが

「一晩で」「蓮の糸で」とはいかにも作り話だし、

さらにその後、中将姫は若い姿のまま浄土に召されたと言い伝えは続く。

そもそも中将姫の存在も不確かと言わざるを得ないが、

當麻寺に何らかの徳を為した女性のモデルがいたのかもしれない。

そして、中将姫伝説は歌人で国文学者の折口信夫(釈超空)の小説『死者の書』の着想にもつながっている。

『死者の書』にはもう一人の主人公として大津皇子が登場するのだが、

物語は二上山に葬られた皇子が目覚めるところから始まる。

大津皇子は天智天皇の孫で文武の才に恵まれ、臣下に慕われた人物で、

有力な皇位後継者と目されていた。

しかし、叔母である持統天皇から疎まれ、謀反の嫌疑により追い詰められて自死。

その後、二上山に葬られたと伝わる。

二上山に葬られたというところがミソで

前回の記事で紹介したように、飛鳥の人たちは当時、

二上山をこの世とあの世の結界と考えていた。

つまり、大津皇子はこの世にも戻れず、

あの世にも行けない場所に葬られたことになる。

史実には謀反の内実を伝えるものも

持統天皇の関与を裏付けるものも残されていないそうだが

大津皇子を二上山に葬ったことは

持統天皇がそれほどまでに皇子の魂の復活を畏れた証であり、

また嫌疑の裏付けのように思えてならないのである。

物語に話を戻す。

中将姫は浄土の様子を描いた曼荼羅を織り上げる。

その功徳で大津皇子の魂を鎮め、やがて自らも浄土へ赴くという故事に繋がる。

毎年、當麻寺では中将姫の縁日とされる4月14日に練供養会式が催されるが、

それは中将姫が浄土に召される様子を再現したものだという。

 

あらためて當麻寺のスナップ。

     

 

この静かな寺を訪れる人でこの寺が持つ不思議を知る人は少ないと思う。

いや、當麻寺中の坊のご住職から聞いた話だが、

過去に一度だけ「不思議」を求めて観光客が殺到した時期があったという。

それはこのJR東海のCFが流れた後、わずか3か月間だけだったそうだが...。

いま、ふたたびの奈良へ-當麻寺 2014年1月奈良へ

 

 

 

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當麻伝説  Ⅰ

2024-11-14 | 大和路点描

當麻寺。

 

ここを訪れるたびにこの寺が持つ数々の不思議が頭をよぎる。

 

そのひとつが東西の塔が並び立つ風景の中にあるのだが、

飛鳥天平時代から変わらぬ双塔の足元には小高い丘の斜面が迫り、

それをこんもりとした木々が覆っている。

飛鳥期、白鳳期、天平期に建てられた寺院の多くには伽藍の正門とも言うべき南門があって

双塔が配置される場合、南門をくぐってすぐ塔を見上げることになる。

ところが、當麻寺においては「あるべき南門」が存在しないのである。

 

さらに伽藍を眺めると講堂を背にして正面に金堂、そして左手には本堂が配置されているのだが、

これもおかしい。


  ※写真上では向かって左が講堂、右が金堂。正面奥が本堂。

 

なぜなら、本堂も金堂も仏教寺院で本尊を祀る建物。

本尊を祀る場所が何故二か所必要だったのか。

また、現在、本尊として本堂に安置された当麻曼荼羅は江戸時代に模されたレプリカ。

それでも重要文化財であることに驚かされるが、

一方で、創建当時からの本来の本尊、綴織曼荼羅図は損耗が激しく、

當麻寺に秘蔵されているらしいが、こちらは国宝だという。

綴織(つづれおり)とあるから、絨毯のように織られたものだと思うが、

いつどこで作られたものか、ひょっとして渡来したものなのか、

つまりは国宝にもかかわらず出自がはっきりしていないのだ。

 

出自と言えば、この寺そのものについても創建当時の縁起はわかっていない。

7世紀の初めに聖徳太子の異母弟である麻呂子王が創建したと伝えられてはいるが

大和のひとたちにとっては特別な山だった二上山の麓に

「誰が何のためにこの寺を開いたのか」はっきりとしていないのである。


  ※講堂と金堂の背後に見えるのが二上山(左が雌岳、右が雄岳)

 

遠く飛鳥時代、大和の国の西に位置する二上山は二つの峰の間に夕日が沈むことから

西方浄土の入り口と考えられていた。

死者の魂が向かう先ということだが、

現に二上山を超えた河内飛鳥(大阪府羽曳野市など)には

聖徳太子やその親族の用明天皇や推古天皇、敏達天皇など当時の有力者が埋葬されている。

伝承によると、當麻寺は麻呂子王に繋がる豪族当麻氏の氏寺とされているが、

そもそも二上山の麓は極楽浄土との結界、

死者の穢れを畏れる古代人がわざわざその場所に氏寺を設けるだろうか。

創建された理由については謎に包まれているのである。

 

さて、當麻寺、曼荼羅、二上山と謎や不思議を追ってみたが、

伝説として書き留めておきたいことがもう一つある。

それは二上山に埋葬された皇族、大津皇子のことだが、長くなるので後編へ。

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夕焼け強化月間 By空倶楽部

2024-11-09 | 三国港 エッセル堤

三国港。エッセル堤越し沈む夕陽。

久しぶりにダルマ夕陽が見られるかも...

そう思って、快晴の空を眺めながら三国港に急行したのだが

陽が沈む間際に水平線に沿って雲が張り出してきた。

けれども、これも海の撮影ではよくあること。

長い冬を迎えるひと時を夕焼け強化月間とかってに決めているので

三国港の静かな水面を夕映えが染めてくれたならそれでよし。

 

 

「9」のつく日は空倶楽部の日。

     ※詳しくは、発起人 かず某さん chacha○さん まで

 

 

 

 

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